書籍目録

『東インド新旅行記』

グラニウス(偽名) / [ストライス]

『東インド新旅行記』

(英訳初版) 1682年 ロンドン刊

Glanius (pesudo.) / [Struys, Jan Janszonn]

A NEW VOYAGE To the EAST-INDIES: Containing An Account of several of those Rich Countries, and more particularly of the Kingdome of BANTAM…and like wise a faithful Narrative of the Kingdome of SIAM, of the Isles of JAPAN and MADAGASCAR,…

London, (Printed for) H. Rodes, 1682. <AB2025141>

¥385,000

First edition in English.

12mo (8.8 cm x 14.7 cm), Title., pp.1-28. [LACKING pp.29-44], pp.45-122, [LACKING pp.123-142], pp.143-192, Disbound in a modern card box.
装丁の表紙が欠落した未装丁の状態で保存用の紙容器に収納されている状態。口絵と、29−44、123−142ページが欠落[ESTC: R21683]

Information

完全英訳版に先立って偽名で刊行されたストライスの大ベストセラー航海記

 本書は、「ヨーロッパで空前のベストセラー」になったと言われるオランダ東インド会社員ストライス(Jan Janszoon Struys, 1630 - 1694)の『三大航海記』の第1部を英訳したもので、著者名をグラニウス(Glanius)と偽って1682年にロンドンで出版されています。本書には、1650年に長崎を訪れたストライスの見聞記も収録されており、17世紀後半に実際に日本を訪れた西洋人による貴重な記録となっています。

 ストライスはオランダ東インド会社の船乗りとしてアジア各地を航海、探検した人物で、彼の波瀾万丈の旅の記録は『三大旅行記』(J. J. Struys Drie aanmerkelijke en seer rampspoedige Reysen…Amsterdam, 1676)と題したオランダ語書籍として1676年に出版されて瞬く間に大ベストセラーとなりました。この作品は、ストライスの難破や奴隷として幾度も売買された後に奇跡の生還を果たしたという様々な困難に満ちた体験がスリリングに描かれており、異国冒険譚として広く読まれたことに加え、彼が訪れた東インド各地の様子が活写されていることから同地に対する関心を当時多くの読者に引き起こしたことが知られています。ストライスが訪れた地域の中には日本も含まれており、第11章(pp.185-)では、長崎に入港する際の様子や、長崎の街の様子、日本の人々の様子や風習がストライスの視点を通じて描かれています。

「『三大旅行記』は1676年にファン・メウルスおよびファン・ソーメレンによってアムステルダムで出版された。この出版社は1678年にドイツ語版、1681年にフランス語版も出版している。1683年にはロンドンで英語版が出された。『三大旅行記』は版を重ね、18世紀半ばまでに20版以上が出された。その大半が当時の知識人の共通語であるフランス語で出版されたことは、ストライスの人気がオランダだけでなく、ヨーロッパ全土に渡っていたことを物語っている。
 ストライスは読み書きがほとんどできなかったため、職業作家が彼の話を書き留めたようである。ストライスの魅力的な冒険物語の合間には、彼が訪れた各地を描写した記述が巧みに挿入されている。これらの記述は、すでに出版されていた他の旅行記や博学書から転写されている部分が多いが、そこに盛り込まれているストライスの実際の経験や見聞は、各地の描写記述に、当時の博学書にない生き生きとした表現力を与え、読者の好奇心を引き付ける魅力を加えている。各地についての記述の中で、ストライスが1650年に滞在した長崎についても3頁ほどが割かれている。この長崎についての記述は、他の書物からの転写部分は少なく、ストライス独自の話を基にしているようであり、長崎を訪れた冒険家としての感想が生き生きと書き留められている。」

(クレインス フレデリック『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年、193,194ページより)

 本書は上記で言及されている1683年に刊行された英訳版に先立って刊行されたもので、実際の著者であるストライスの名前をどこにも明記せずに、グラニウス(Glanius)という(おそらく架空の)著者名が記載されているという大変興味深い作品です。本書では1667年に12月にオランダのテッセル(Texel)を出航したと書かれていますが、正しくは1647年12月のことで、この年記載が誤りによるものなのか、あるいは偽名で出版された作品であることによる意図的な記載なのかは不明ですが、いずれにせよ、それ以降の記述と構成から見て、本書の内容がストライスによる1647年12月から1650年9月までの西アフリカ、マダガスカル、シャム、台湾、インドネシア、日本を訪れた航海記であることは間違いありません。本書が刊行された翌年1683年には、ストライスの名前を明記して彼による3つの航海記全ての完全英訳版(The perillous and most unhappy voyages of John Struys…London, 1683)が出版されていますが、本書はこれに先立って偽名で刊行されたという非常に興味深い、知られざる「英訳初版」と言えるでしょう。さらに、この奇妙な英訳初版は刊行直後に大いに人気を博したものと思われ、同年中に早くも増補改訂を施したと称する第2版が刊行されていることを確認することができます。

 なお、「グラニウス」なる著者による出版物としては、1661年9月にバタヴィアを出航した後に嵐のために難破して、バンタムに漂着したオランダ東インド会社の船員(Frans Jansz Heiden)による記録(Vervarelyke schip-breuk van 't Oost-Indisch jacht Ter Schelling, onder het landt van Bengale. Amsterdam, 1675)の英訳版(A relation of an unfortunate voyage to the kingdome of Bengala. London: Henry Bonwick, 1682)(ESTC: R40890)と思われる作品が、本書刊行と同年の1682年に出版されています。こうしたことに鑑みると、「グラニウス」という偽名は、1682年にオランダ東インド会社関係者による2つ航海記の英訳版を出版する際の偽名として用いられたことが明らかですが、なぜそのような偽名で出版する必要があったのかという背景事情や、後に出版された完全英訳版との訳文の違い、といったことも興味深いテーマであると言えるでしょう。

*ストライスと彼の航海記、ならびにその書誌情報としては、上掲クレインス本に加え、Encyclopedia Iranica の記事も非常に参考になります。
Floor, Willem M. STRUYS, JAN JANSZOON. In Encyclopedica Iranica, 2016.
https://www.iranicaonline.org/articles/struys-jan/


「ストライスは次に日本人についての印象を語っている。
 日本人は割と良い顔色を持っているが、ヨーロッパ人よりやや黒い。男性の日常の服装は女性のものとあまり変わらない。両方とも身体に長いローブ[着物]を無造作に巻いて、真中のところで帯で締めている。上流階級の女性は贅沢な刺繍が施された金や銀の布からできた衣服を着ている。彼女たちの髪は宝玉や宝石で小綺麗に飾られている。男性はたくましい身体を持ち、容姿が良い。頭は身体と比べて相対的に少し大きめである。女性は細いが、常にゆとりのある服を着ているので、身体を矯正していない。足だけは小さいまま保つように、できる限りきつく締め付けている。というのも、これが格好いいと思っているからである。これを続けると、大人になった時に5〜6歳の子供のような足を持つ。日本人は一般にとても頑丈であり、暑さ、寒さ、喉の渇き、空腹の極限に耐えることができる。この素質は、若い時の我慢強さによって形成される。というのも、彼らは幼児をいつも寒い時期に川で洗う。時には、子供を頭や耳まで雪の中に突っ込む。彼らは最も優秀な武士であり、鉄砲や弓、槍の使用に長けている。彼らは、その武器製造や鉄の鍛え加減に関しては中国人より巧みであり、ヨーロッパ人をはるかに上回ることで、アジアで名声を得た。彼らの刀はあまりに鍛え加減が良く、私がそれで半インチの太さを持つ鉄のピンを打ち砕いても、刃先には少しの損傷もなかった。彼らは狩りをよく行っている。これは日本での主要な行事であり、余暇である。他の美味しい物よりも狩猟で取った獲物の肉を好んでいる。接待に関しては、とても率直で自由である。彼らは心地良さのために茶を飲む。これは輸出されているものよりもずっと美味しく、また、別の方法で作られている。しかし、彼らはこれをキリシタンに分け与えることを拒んでいる。私はこれを少しおかしいと思った。なぜなら、他の国で飲まれるほど、彼らの利益になるからである。というのも、この島の茶は世界のどこよりも美味しい。
 この箇所に出ている、小さいまま保つために女性の足を締め付ける習慣について、ストライスは中国で行われた纏足と混同しているようである。」
(クレインス フレデリック『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年、198-200ページより)