書籍目録

『日本とその芸術』

ヒュイッシュ

『日本とその芸術』

1889年 ロンドン刊

Huish, Marcus B(ourne).

JAPAN AND ITS ART.

London, The Fine Art Society Limited, 1889. <AB2025136>

In Preparation

8vo (13.5 cm x 20.3 cm), pp.[i(Half Title.)-iv(Front.), v(Title.)-vii], viii-xii, pp.[1], 2-254, 1 leaf(advertisement), pp.[1], 2-4(advertisements), Original illustrated cloth.
装丁装飾にに褪色が見られ、本文小口部に傷みが見られる。旧蔵者による蔵書票の貼り付けと書き込みあり。

Information

より多くの読者に日本美術とその理解に不可欠な日本の歴史、文化などを伝えようとした力作

 本書は1889年にロンドンで刊行された、日本美術とその背景にある歴史や文化、宗教などをコンパクトで紹介している作品です。著者のヒュイッシュ(Marcus Bourne huish, 1843 - 1921)は弁護士の傍ら、当時のロンドンにおける芸術批評雑誌として強い影響力を持っていた『アート・ジャーナル』(The Art Journal)誌の編集長を務めており、本書はこの雑誌に掲載されたヒュイッシュの連載記事を全面的に増補改訂して刊行したものです。的確に日本美術の全体像を紹介したコンパクトで安価な書物として、当時多くの読者を獲得したことが知られている作品です。

 本書の著者であるヒュイッシュは本業である弁護士業に勤しむ一方で、芸術関連の雑誌記事や編集活動にも精力的に取り組んだことが知られており、特に本書の元となった連載記事が掲載された『アート・ジャーナル』誌の二代目編集長(1881年から1892年)としての活躍が有名です。また、ヒュイッシュは1876年に「ファイン・アート協会」(Fine Art Society)の創設メンバーでもあり、本書はこの協会の出版物の一つとして刊行されています。この協会は革新的な若手画家や芸術家たちを支援するための組織で、彼らに発表の機会を与える展覧会の開催などを行なっており、またその出版物を通して様々なジャンルの芸術の技法を紹介した手引書を多数刊行していました(本書巻末の広告でもそうした出版物を見ることができます)。この協会の出版物として刊行されている本書は、既にイギリスにおいてその流行が久しく続いていた日本美術について、若手の芸術家や一般の読者に向けてわかりやすく解説したものです。

 本書刊行の3年前には、お雇い外国人として6年余りの滞日経験を有していたイギリス人医師のアンダーソン(William Anderson, 1842 - 1900)による『日本の絵画芸術』(The pictorial arts of Japan. London, 1886)が刊行されており、この書籍は世界で初めて「日本美術史」を打ち立てた作品として高く評価されていました。ヒュイッシュはこの作品をはじめとする、日本美術を論じた既存の作品の存在を十分に意識しており、それらの類書とは異なる本書の特徴として、次の4点を挙げています。

1. 日本美術に描かれている、日本の歴史、風俗、宗教、日本の人々がいかなるものであるのかを提示することを目的としていること

2. ヨーロッパ、ないしはアメリカの優れた研究者、蒐集家の意見のみならず、日本の専門家の見解も提供していること

3. 本書のようなサイズの(小型)本で、ここまで広範囲な主題を扱い、そして数多くの挿絵が含まれている書籍はこれまでなかったこと

4. あらゆる他の類似の英語著作と比べて安価であること

 実際に本書を紐解いてみるとわかるように、日本美術の紹介書である本書は、その理解の前提となる日本の歴史や風俗、宗教、日本の人々とその社会の様相についての解説に多くの紙幅が割かれていて、そのテキストの至る所に数多くの図版が挿入されています。その上で、漆器や陶磁器、彫刻、そして浮世絵といった個別の日本美術が論じられており、日本美術の正しい理解のためには日本それ自身について一定の正確な知識が求められるのだという点が強調される構成となっています。

 また、これも著者自身が述べているように、既存の日本美術を論じた著作はアンダーソンの著作をはじめとして、精細な複製図録を収録した大判の書籍として刊行されることが多く、こうした豪華な書物の造りが読者にとって極めて魅力的であった一方で、そこに要するコストのために高額となってしまい、読者層が限られてしまうという側面は否めませんでした。ヒュイッシュはこうした点を踏まえて、より安価な書物として本書を刊行することで、より多くの芸術家、そして市政の人々に日本美術の素晴らしさを伝えることを目指したと言えます。ヒュイッシュは先行文献とその著者たちに多くのことを負っていることに謝意を示しつつ、特に日本の協力者としては、片岡政行(Masayuké Kataoka)の名を挙げています。片岡は当時のロンドンで日本美術等を扱う骨董省を営んでいたとされる人物で、後にその素行の問題からイギリスを追われることになったとも言われていますが、ロンドン滞在中の南方熊楠を大英博物館の中世部門の責任者で東洋美術の蒐集家としても知られているフランクス(Augustus Wollaston Franks, 1826 - 1897)に紹介したことなどが伝えられており、本書の序文からも、片岡が当時はロンドンにおける日英文化交流に少なからず貢献していたことが垣間見えます。

 ヒュイッシュは本書の最終章をイギリスにおける日本美術研究と蒐集の現状、そして日本の状況の変化と、今後の見通しについて論じており、イギリスでは大英博物館やサウス・ケンジントン博物館(現在のヴィクトリア&アルバート博物館)に収蔵されているコレクション以外で、日本美術の優品を実際に見ることが困難である現状を憂いており、またその一方で日本における社会変化によって今後そうした優品を収集することはますます困難になるであろうとしています。そして、近年のこの分野におけるドイツの目覚ましい躍進について言及し、いまや今やイギリスがドイツに取って代わられようとしていることを嘆いています。こうした現状に対し、イギリスにおいて日本美術や日本そのものをより深く、広く研究するための専門機関の設立が望まれることを主張して本書は締めくくられています。

 なお、本書はかなり読み込まれた跡があり、欠損等はないもののあまり状態が良いとは言えない一冊ですが、見返し部分に蔵書票と、この本がその旧蔵者に贈られた際の書き込みが見返しに残されており、1896年に16歳の誕生日プレゼントとして贈られた1冊であったことがわかります。「Miss Mae Louise Press Chicago Volume No.24」と記されている蔵書票から、旧蔵者の情報について当時シカゴ在住であったこと以上を知ることは困難ですが、少なくとも本書がイギリスだけでなく、アメリカでも広く読まれていたこと、また著者ヒュイッシュが望んだように専門家だけでなく、16歳の娘に誕生日プレゼントとして贈られるような作品であったこと、そしてその後も大切に所蔵され続けていたことを今に伝えており、本書の当時の読者層の広がりと愛され方を偲ばせてくれます。