書籍目録

『1862年(ロンドン)万国博覧会の一般向けガイド』

マクダーモット

『1862年(ロンドン)万国博覧会の一般向けガイド』

[1862年] ロンドン刊

McDermott, Edward.

THE POPULAR GUIDE TO THE INTERNATIONAL EXHIBITION OF 1862.

London, W. H. Smith and Son, [1862]. <AB2025131>

In Preparation

8vo (12.0 cm x 18.0 cm), Original paper wrappers, detached.
表紙が本体から外れており、本体の綴じ紐も各所で外れている状態だが、本文内容は完備。

Information

イギリスで日本美術が大々的に紹介された1862年ロンドン万博の一般向けガイドブック

 本書は1862年にロンドンで開催された万国博覧会のガイドブックです。一般の来場(予定)者を対象としたもので、会場全体の見取り図とそれぞれの区域の概要と特徴について紹介されています。この万博では、イギリスの初代駐日公使オールコックが日本で収集した数々の美術品が大々的に紹介された万博として夙に有名ですが、日本美術の展示についての紹介記事も掲載されており、また全体の見取り図から日本美術が会場の中でどの位置に置かれていたのかも一目でわかる資料となっています。

 1862年のロンドン万博に際しては、公式の図録、目録、ハンドブック、そして民間によるガイドブックなど夥しい数の関連書籍が刊行されたことがわかっています。公式図録や目録は数巻に渡る大部で立派なものが多いのに対して、民間で刊行されたものは本書のように会場に携行することも考慮したハンディサイズのコンパクトなものや、あるいは『アート・ジャーナル』誌が刊行した工芸品の紹介に特化した図録(Art Journal Catalogue to the International Exhibition of 1862)のように、特定の関心に絞った内容にするなど、多種多様な形態、内容の出版物が刊行されています。

 民間で刊行されたガイドブックとしてはRoutledge社のものや、Sampson and Low社によるガイドブックなどがありましたが、本書はロンドンの W.H. Smith & Son社から刊行されているものです。本編に入る前と巻末には多数の広告記事が掲載されており、これらの広告主は重工業からホテルなどの宿泊施設、コーヒーなどの飲食会社まで非常に幅広く、万博に関連する当時の企業活動を垣間見ることもできる興味深い内容となっています。本編は、この万博の概要とパビリオンについての解説から始まっており、以降はセクションごとにそれぞれの出品物の概要を紹介する内容となっています。冒頭には折り込みの会場見取り図が収録されており、日本の美術品がどこで展示されていたのかを確認することもできます。おそらく本書は会場に携行して会場でもこの見取り図を頼りに散策することが想定されていたのではないかと思われます。また入場に際してのインストラクションも掲載されており、チケットの種類や紛失物についての案内など、当時の会場を訪れる人々が得ていた実用的な情報を知ることもできます。

 日本美術の展示についての紹介記事は、2ページ弱と決して分量が多いものではありませんが、先述したオールコックが蒐集に尽力したことや、展示品の特徴が限られた紙幅で簡潔に紹介されています。また、この万博には日本からの文久遣欧使節が訪れたことがよく知られていますが、記事中では彼らが開会式に出席したことや、会期中に何度も会場を訪れていることも紹介されています。

 大部で立派な造本の公式図録や報告書とは異なり、本書のような一般向けガイドブックは万博期間中に酷使することが前提となっているような出版物のため現存するものはあまり多くありません。本書は表紙が本体から外れており、本体の綴じ紐も各所で外れているような状態ではありますが、内容自体は完備しており、当時の来場者の様子を追体験できる貴重な一般向けガイドブックとして大変貴重な1冊と言えます。


「イギリスのジャポニスムを検討するにあたって、この万博は3つの点で重要である。第一はここで初めて今までとは比べ物にならない程大勢のイギリス人がこの日本部を見たという事実である。日本の工芸品はかなり昔からイギリスで見ることができた。(中略)しかし、1862年の万博日本部のほうが圧倒的に観客の量が多い。この万博から後は、イギリスの一般大衆にとって日本の工芸品は珍しい、あるいは知られていないものではなくなった。つまり万博は日本趣味が広く普及するイギリスのジャポニスムの下地を作ったことになる。
 第二の点は、この機会に日本美術が初めて広く論議されたことである。一般文化を取り扱う雑誌・新聞等は、19世紀半ばまでに非常に盛んになってきたが、この日本部を評論した記事が幾つも出る。単なる紹介記事だけではなく、出品作品に基づいて、日本美術の特質を議論するものも、一、二にとどまらなかった。異国趣味の点だけからいえば、日本以外にも多くの非西洋国家の展示が見られたのだが、日本だけがこれらの評論では特別扱いを受けたということになる。特にデザイン評論家たちの間ではこの傾向が顕著である。多くのデザイン関係の論者たちはこの日本美術の性格を議論するのにイギリスの現状と比較し、ほとんどの場合日本美術に軍配をあげている。1862年という早い時期に既にイギリス美術にとっての手本としての日本美術といった態度がみられているのである。
 第三の点は、実際に何人かのアーティストやデザイナー達がこの日本部の出品作品に触発され、それを自身の作品に反映させた形跡があることである。(中略)1862年にはそうしたケースが急増する。直接に万博出品作品との関連がはっきりしていない場合でも、そうだった可能性がかなりあったであろう。
 つまりこの万博日本部によって、一般のイギリス人にとって日本美術、もっと極端に言えば、日本の存在そのもののイメージがよりはっきりとしたものになってきた。そしてアーティストやデザイナー達にとっても、無視できない存在として意識されるようになったのである。」
(渡辺利夫「イギリスーゴシック・リヴァイヴァルから日本風庭園まで」ジャポニスム学会(編)『ジャポニスム入門』思文閣出版、2000年所収、74-75ページより)