書籍目録

『日本の美術と工芸』

オールコック

『日本の美術と工芸』

初版 1878年 ロンドン刊

Alcock, Rutherford.

ART AND ART INDUSTRIES IN JAPAN.

London, Virtue and Co., Limited, 1878. <AB2025130>

Sold

First edition.

8vo (14.0 cm x 20.0 cm), pp.[i(Half Title.), ii], Front., pp.[iii(Title.)-v], vi-vii, pp.[1], 2-292, Original decorative cloth.

Information

イギリスへの日本美術紹介の先駆者であるオールコックの日本美術論

 本書は幕末にイギリスの初代駐日公使として活躍し、現代の日英関係の礎を築いたことで知られる外交官オールコック(Rutherford Alcock, 1809 - 1897)が、1871年に外交官を引退してから1878年にロンドンで刊行した作品です。1862年のロンドン万博において展示された日本美術品の収集と展示構成を手がけるという、イギリスをはじめとした当時の西洋社会に対して日本美術を紹介する先駆的な役割を果たしたオールコックが、「その仕事を完成させるもの」として刊行された日本美術論です。日本美術の細かな分類や宗派、歴史の解説よりも、その技法の特徴や背後にある社会と自然観、そしてそれらの西洋美術との比較といった理論的な考察が展開されており、オールコック独自の日本美術論として大変興味深い作品です。

 本書は1875年4月から雑誌『アート・ジャーナル』(Art Journal)に連載した記事をまとめたもので、全14章で構成されています。その後半では陶磁器や青銅器、漆器などといった美術品ごとの解説が展開されていますが、前半部分は日本美術に共通して見られる特徴を理論的に分析し、またその背後にある社会、自然観、宗教観などを明らかにし、西洋美術との共通点、相違点を解明することに主眼が置かれています。オールコックは本書冒頭で1862年のロンドン万博において自身が果たした役割を回想しつつ、現在ではフランスが日本美術紹介の先駆けのように誤って語られていることや、不十分な認識に基づく日本美術論に対して苦言を呈し、その分析が不十分なものであることを述べています。その上で、「芸術家たちの国」(Nation of Artists)である日本の美術がどのような特徴と思想を有しているのかを加盟することを本書の課題としています。

 非対称と簡潔さが多様性と独自の様式美に基づいて結び付けられていること、非対称なデザインは動植物の巧みな観察に基づいていること、単調な繰り返しを忌避し、異なる要素を一つの作品の中に優れたバランス感覚を持って取り込んでいること、さまざまな動植物や日常生活の極めて優れた描写があらゆる芸術分野において見られる一方で、肖像画をはじめとした人間そのものを対象とする作品が皆無に近いこと、芸術家と職人が高い次元で融合していること、等々、本書でオールコックが展開している議論は、後年の研究によって否定されるべき点もありつつも、オールコック自身がスケッチをこよなく愛していたこともあって非常に独創的なものです。また本書の議論は、前著において展開された比較文明論を踏まえて展開されており、本書は単なる日本美術論としてではなく、そこから日本社会と文明の特徴を描き出そうとする試みでもありました。日本が近代化の道を直走りつつあった1872年刊行された本書において、質の低い日本美術品、あるいは日本美術の粗悪な模倣品が欧米で溢れかえっている現状に対する見解として、その責任は日本にではなく、無際限にそのような粗悪品を求めようとする欧米市場のあり方にこそ帰せられるべきであるとして、西洋文明の急速な摂取によって日本美術が歴史的に培ってきた優れた特質が失われつつあることに対して深い憂慮を示しつつも、あらゆる美術は異なる文明、社会の相互影響の賜物であり、日本美術のそうした優れた特質がすぐに消失してしまうことはないであろうとも述べています。
 
 日本でも早く彼注目され、研究が積み重ねられてきた前著と異なり、本書は相対的に研究される機会が少なく、2003年になってようやく邦訳が刊行されましたが、それも現在ではすでに絶版となってしまっており、ジャポニスム研究の文脈でもそのタイトルに言及されることはあっても内容にまで踏み込んで紹介されることは残念ながらほとんどありません。しかしながら、オールコック自身が述べているように、本書は1862年のロンドン万博における日本美術品の出展という重大な任務の「やり残したこと」であり、また前著で展開された日本文明論を深める上での不可欠の要素として日本美術を本格的に論じた作品であることに鑑みると、より一層の研究と再評価、紹介がなされる著作ではないかと思われます。


「1875年4月、オールコックは『アート・ジャーナル』誌に、後に『日本の芸術と工芸』(1878年)にまとめられることになるエッセイ『日本の美術』の連載を開始している。この連載6回目(1877年2月)にかれは、1875年に出版された『日本の陶芸』の中でG・A・オーズリーとJ・L・ボウズが1862年万博に一切言及することなく、西洋世界に日本美術を紹介した功績を1867年のパリ万博に求めたことに反発して、『優先権のクレジットは、紛れもなく英国にあって、フランスにではない』と申し立てた。かれが英国の優先権にこだわったのは、1862年万博で自分が初めて大々的に日本の美術工芸が活性剤となったからこそ、1870年代半ばの今日、英国の工芸が目を瞠る躍進をとげているのだという自負があったからに違いない。
 そもそも、オールコックが1862年万博のために大量の日本の美術工芸品を持ち帰ったのは、単に鎖国を解いて間もない極東の未知の国に対する英国民の好奇心に応えるためではなく、フランスに大きく水をあけられていた英国の工芸産業の振興に資するためであった。言うまでもなく、万国博覧会というプロジェクト自体が本来諸産業の振興を目的としたものであった。ということは、絵手本のようなものも、日本の絵画芸術の見本としてではなく、東洋の清心な装飾パターンを教える実利的なデザイン・ブックとして持ち帰られた可能性が高いということである。つまり、英国における日本美術の紹介は、あくまでも序章で述べたような1830年代以来の工芸産業における国家的な窮状の打開というコンテクストの中で考えられねばならないということだ。こうした国家的な要請が、英国における日本美術の紹介や受容のありようを規定し、そこに工芸の変調という一定の方向性を与え続けたことを確認しておかねばならない。英国の公的美術館が漆器や陶磁器、金工品などの蒐集には熱心でも、およそ1880年代になるまで浮世絵版画の蒐集に消極的であったのも、それを『絵画』と見ることを妨げる隠然たる力が働いていたからに違いない。」
(谷田博幸『唯美主義とジャパニズム』名古屋大学出版会、2004年、78−79ページより)