書籍目録

『大君の都』

オールコック

『大君の都』

初版 全2巻(揃い) 1863年 ロンドン刊

Alcock, Rutherford.

THE CAPITAL OF THE TYCOON: A NARRATIVE OF A THREE YEARS’ RESIDENCE IN JAPAN. WITH MAPS AND NUMEROUS ILLUSTRATIONS IN CHROMOLITHOGRAPHY AND ON WOOD. IN TWO VOLUMES.

London, Longman, Green, Longman, Roberts, & Green, 1863. <AB2025129>

In Preparation

First edition.

2 vols. (13.5 cm 22.0 cm), Vol.1: pp.[i(Half Title.), ii], colored Front., pp.[iii(Title.)-v], vi-xxxi, folded map, pp.[1], 2-469, 1 leaf (advertisement), (some colored) plates with tissue guards: [6] / Vol.2: 1 leaf(blank), pp.[i(Half Title.), ii], colored Front., pp.[iii(Title.)-, vi-x, folded map, pp.[1], 2-539, (some colored) plates(with some tissue guards): [10], 20 leaves(advertisements). Original decorative green cloth boards, skillfully rebacked
刊行当時の装丁を保つ形で背部分の補修(補強)が丁寧になされており良好な状態。旧蔵機関の蔵書票、蔵書印あり。

Information

幕末日本外交史の基本文献としてだけでなく、独自の日本社会、文明論、そして先駆的な日本美術論としても特筆すべき不朽の名著

 本書は幕末にイギリスの初代駐日公使として活躍し、現代の日英関係の礎を築いたことで知られる外交官オールコック(Rutherford Alcock, 1809 - 1897)が、1859年から1862年にかけての日本滞在中の様々な出来事や、日本の人々、社会、文化、芸術などについて独自の研究と見解を披露した作品です。幕末期の日本の政治にも多大な影響を与えたことで知られるオールコックの主著として外交史研究おいて極めて著名な作品ですが、深い教養と豊富な日本滞在経験を踏まえた上で展開されている日本社会そのものについての論考は、異文化の只中にあって外交交渉という時に激しい衝突を引き起こすやり取りの最前線に立っていた著者ならではの独自の議論が展開されていて、今日でも示唆に富む内容となっています。さらに、1862年にロンドンで開催された万国博覧会のために日本美術を収集して出品し、その目録まで作成したというオールコックによる、先駆的な日本美術の紹介と分析も収録しており、イギリスにおけるジャポニスムの展開においてもその基礎となる情報を提供した著作として、極めて重要な作品です。

 この作品はオールコックが下賜休暇を与えられてイギリスに一時帰国した際に編纂されて1863年にロンドンで刊行されたもので、刊行されるや否や大きな反響を呼び、ニューヨークでも刊行されるなど、日本への関心が高まっていた当時の英語圏で非常によく読まれました。『大君の都:幕末日本滞在記』という邦題で日本語訳(山口光朔訳)も刊行されていることから、外交史研究という範囲を超えて広く知られている作品といえます。

「(中略)オールコックの滞在記は、それ(1858年の五カ国との修好通商条約締結)につづく数年間のわが国の実情を詳細に伝えている点で貴重である。しかもその内容は、開国直後の諸問題をめぐる西洋諸国とわが国との外交交渉の経過や、条約締結の責任者である井伊大老の暗殺、外国人襲撃などをふくむ内外の諸事件や、その当時まだ在任中のハリス公使に代表されるアメリカの対日政策と微妙な点で方針を異にするイギリスのそれの変遷などを網羅している。それに、この著者がはやくから当時の国情のうちにその後にきたる明治維新への国内的変革ないし革命の萌芽があったことを洞察していたことは、きわめて興味ぶかい。それなればこそ、従来の幕末外国関係および明治維新の研究に本書がひじょうに活用されてきたわけだ。本書の記述が終わった時期以後のことは、実際に明治伊sんを日本で見聞したアーネスト・サトウの記録(『一外交官の見た明治維新』)があるから、それを読まれればいっそう興味ぶかいことであろう。」
(前掲邦訳書、「訳者まえがき」より)

 このように、本書は幕末期の外交史研究の基本文献として、高く評価されて読み継がれてきた作品ですが、訳者も指摘しているように、本書はそれだけにとどまらない、当時のイギリス外交官による日本社会論、日本文明論としても極めて興味深い内容となっています。来日前にすでに中国において外交官として多年のキャリアを有していたオールコックは、それまでに西洋諸国で刊行された主要な日本研究書を読み込んで、日本の歴史や社会、政治体制について独自の研究を行った上で日本での実務に携わっており、本書ではこうした彼の日本研究の成果も随所で披露されています。彼が本書で展開している日本論や日本の文明論は、当時、世界最大の植民地帝国網を築き上げていたイギリスの外交官のそれとして、多分に西洋中心主義、植民地帝国主義的な見解に基づく内容であることが多いことも確かですが、その一方で、実際に全く異なる文化と歴史を有する社会である日本において、日々実務的な交渉を幕閣と重ね続ける立場にあった著者ならではの、自国や自分化に対する相対的な視点、時にはそれらを批判さえするような独自の視点が反映されているように思われます。

「したがって、日本の文明の真の価値を評価するにあたって、人間の活動を社会的ないし政治的生活のあらゆる異なった分野でわれわれの誇る進歩が実際になにを生みだしたか−道徳的な価値ばかりでなく、個人と国家の双方の運命を決定するような結実はなにであったか−を思いおこしてみることはいいことだ。西洋諸国が真の宗教の恵みや福音書の知識や高度の文明のいっさいの利点を、比較的野蛮な状態にあるとわれわれが見なしている東洋の諸民族に拡めるというという責務について、多くのことがいわれ書かれている。しかし、もしそういったはったりめいたことばや大衆向きの長広告の本当の意味を知ろうとするなら、われわれは哲学的な真理を愛好する気持ちになって、ヨーロッパの文明とアジアの文明がどういう点で一致し、どういう点で異なるかを、検討してみなければならぬ。そして両文明が、善悪いずれにせよ、とにかく生みだしたものにかんしては、われわれの自尊心があまり認めたがらないほど互いに類似していること、しかもただ「形態」上の差異が「内容」と「原則」上の根本的な差異だと誤って考えられてきたことがわかるなら、ヨーロッパからもってきたあらゆる種類の万能薬を、粗雑な宣伝手段によってアジア人に押し付けたいという熱意は、おそらく多少弱まるかもしれない。われわれの方では、東洋の専制主義や制度につきまとっている害悪をなおすつもりでその万能薬を押しつけようとするのだが、東洋の制度は東洋人や東洋諸国に固有のものであって、長いあいだの発達と相互の順応によって同化されているという大きな利点をもっていることを忘れている。さらに、東洋人がもはや近代的なつぎ木を外国からもちこまなくてもよいほどにわれわれの社会的・政治的制度が主要な目的とするところのことをことごとく完全に達成していることがわかれば、かれらの意に反してやぶ医者のように押しつけがましく特効薬を与えようとするのは、ちょっと見合わせたほうがよかろう。」
(本書第2巻263ページより、邦訳下巻154−155ページ)

 オールコックは日本の政治、社会状況を中世ヨーロッパにおける封建主義社会に類するものとみなしていますが、政治体制の違いを文明の発展度合いを図る尺度とみなすことには否定的で、問題となるのは政治体制の違いではなく、正義に基づく普遍的な法が行きわっている社会であるかどうか、またそのために必要不可欠となる真の宗教があるかどうか、が最も重要であるとしています。彼の言う「真の宗教」とはもちろんキリスト教のことを指していますが、日本をはじめとしたアジア諸国に対して、西洋諸国が大々的にキリスト教布教を早急に行おうとすることに対しては極めて批判的な態度をとっています。その上で、日本の現状と将来の見通しについて下記のように述べています。

「すべてが終わったとき、文明化の作用がかれらをこれまでよりもより賢明な、より善良な、より幸福な国民たらしめるかどうかは、ひときわ解決しがたい問題である。きわめて確実なのはつぎのひとつのことである。すなわち、西洋のもたらすいっさいの改革と改宗をいまわしいものとして排斥する傾向にある妨害的な信念は、日本人の心のなかであまりにも強いがゆえに、はげしい頑強な抵抗がないことは望めない。そしてこのために、必然的にそれに相当したはげしい攻撃が行われるであろうから、変化が実現し、これまでとはちがった社会組織のための新しい基礎が置かれるまでには、ある期間激動と混乱があるにちがいない。このようにさし迫った未来を予期するならば、これほど長くみごとに中世的な形態を維持してきて十分に発達した封建制度をもった国民とその制度の現状は、注意深い研究にあたいする。この封建性によって日本人は、われわれの考えている意味では自由ではないにしても、多くのしあわせを享受することができた。西洋諸国の誇るいっさいの自由と文明をもっていしても、同じくらい長年月にわたってこのしあわせを確保することはできなかったのである。国家の繁栄・独立・戦争からの自由・生活の技術における物質的な進歩ーこれらはすべて、日本人が国民として所有し、そして何世代にもわたってうけついできたものである。」
(本書第2巻277ページより、邦訳下巻173ページ)

 オールコックの日本社会論、日本文明論は主に第2巻第18章で展開されていますが、その論の展開はかなり入り組んでおり、またこの章だけでなく本書全体の随所で日本の歴史、政治、社会、宗教などについても議論が添加されており、その論旨を追うことは容易ではありませんが、当時の西洋社会に広く見られた典型的な植民チュ主義的発想とは一線を画する独自の内容と視座を有しているように思われます。

 また、さらに興味深いことは、このような独自の文明論に基づいた上でオールコックによる日本美術論が展開されているということです。第2巻第18章では、浮世絵をはじめとした日本美術についての紹介と分析も展開されていますが、この日本美術論はオールコックにとって、日本社会と日本文明を理解する上では欠くことのできない重要な要素の一つであったということに注意が必要です。オールコックによると工業技術や美術というものは、文明化の要因になりうるものの一つで、必ずしも高度な工業技術や美術の存在が、その社会が高度な文明にあることの証明になるわけではないとはいえ、一つの尺度になりうるものでした。その上でオールコックは日本の磁器、青銅器、漆器、そして浮世絵に対して「ヨーロッパの最高の製品に匹敵するのみならず、それぞれの分野においてわれわれが模倣したり、肩を並べることができないような品物を製造することができる、となんのためらいもなしにいえる」とまで述べています。

 オールコックは、日本には油絵や遠近法についての知識といった西洋美術における基本要素が欠如しているにも関わらず、人物画や動物画における鮮やかで軽快な筆使い、そしてその背後にある動植物の習慣と性格の熟知に関してはヨーロッパよりもはるかに優っているとします。彼は1862年のロンドン万博に際して、日本からの美術品を出展することを本国から打診され、(当時それどこではなかった)江戸幕府に代わって出品物を収集してイギリスへと送付し、さらには目録まで作成するという、日本美術の西洋社会への本格的な紹介に多大な貢献をなしたことで知られていますが、その背景には単なる新奇性や物珍しさからの興味はない、オールコックによる独自の文明論に基づく日本美術への高い評価があったことを本書は示しています。

 本書の挿絵にも彼自身によるスケッチが多数収録されていることからも分かるように、オールコック自身がスケッチをこよなく愛していたこともあってか、日本の木版画に対する彼の関心は並々ならぬものがあり、西洋ではつい最近になって発見された多色石版印刷によく似た独自の多色印刷の技術があることや、それ以外にも高度な技法が印刷に用いられていることを紹介し、こうした技術にもとづいて制作される作品は「絵と美しい色にたいする大衆の嗜好に、想像しうるかぎりのもっとも安価な値段で応じるもの」なのだと強調しています。日本滞在中にオールコックはこうした木版画や絵入り本を大量に収集したようで、そのコレクションの一例として、図版を何枚も掲載してその解説も行なっています。

 ここで展開される日本美術論は、後年になって『日本美術と工芸』(Art and art Industries in Japan. London, 1878)という著作においてより本格的に展開されていますが、西洋社会に対する日本美術、木版画の先駆的な紹介と分析であると考えられます。幕末期の西洋社会に対する日本美術、木版画の紹介としては、ペリーやエルギン卿といった条約締結交渉のために来日した使節団の記録において始められていますが、これら初期の作品では、印刷書籍という多くの人が手に取りうる媒体の複製図版として日本の木版画を掲載したことで、その存在と魅力を当時の西洋社会のより多くの人々に伝えることに大きく貢献しました。その一方で、これらの作品は日本美術を紹介したとはいえ、その内容や技法、そしてその背後にある自然観といった本格的な分析と議論を展開するまでには至っておらず、本書がその嚆矢になったものと言えます。また、先述の通り本書刊行前年1862年にロンドンで開催された万国博覧会では、オールコック自身が選定した日本美術が大々的に展示され、これが一般の人々が日本美術の実物を実際に目にする最初の機会となり、日本美術への関心を飛躍的に高めたことはよく知られており、そうした当時の状況にあって、この仕掛け人であったオーコック自身の日本美術論は多くの人々の関心を集めることになったものと思われます。

 このように、本書は幕末の日本外交史研究における基本書としてのみならず、優れた日本社会、文明論、そして先駆的な日本美術論が展開されている著作として、不朽の名著と言えるもので、今なお多くの示唆を与えてくれる作品と言えるでしょう。