書籍目録

『日本の断章:江戸の芸術家たちによる挿絵の複製を添えて』

オズボーン

『日本の断章:江戸の芸術家たちによる挿絵の複製を添えて』

1861年 ロンドン刊

Osborn, (Captain) Sherard.

JAPANESE FRAGMENTS, WITH FACSIMILES OF ILLUSTRATIONS BY ARTISTS OF YEDO.

London, Bradbury and Evans, 1861. <AB2025128>

In Preparation

8vo (13.5 cm x 19.0 cm), pp.[i(Half Title.), ii), Front., pp.[iii(Title.)v], vi-xii, pp.[1], 2-139 colored plates: [5], Original decorative cloth, skillfully restored and rebacked.
刊行当時の装飾装丁で丁寧な補修がなされており良好な状態。小口は三方とも金箔押し。

Information

広重らの浮世絵作品の彩色複製画を多数収録、紹介した最初期の著作

 本書は1861年にロンドンで刊行された作品で、タイトルにも謳われているように広重の浮世絵版画を美しい彩色複製図版で再現した6枚の挿絵と本文中の11枚の白黒挿絵を収録しており、当時のイギリスをはじめとした欧米の多くの人たちに広重や浮世絵版画の存在を知らしめることに大きな影響を与えたと考えられる書物です。

 著者オズボーン(Sherard Osborn, 1822 - 1875)は、イギリスの海軍士官で主にアロー戦争を初めとした極東における重要事件で活躍しただけでなく、北西航路開拓のための北極探検航海においても重要な役割を果たしたことが知られている人物です。オズボーンは、1858年に日本との通商条約締結のためにイギリスの公式外交使節団として来日したエルギン卿使節団にも随行し、1858年6月からの日本滞在中には、貴重な機会を最大限に生かして江戸市中を散策しつつ、大量の書物や浮世絵を収集しました。この時の日本滞在記は、エディンバラの出版社であるBlack Wood社が刊行していた雑誌『Black Wood Magazine』に連載記事として掲載されて大きな話題となり、1859年には『日本近海への航海』(A Cruise in Japanese Waters)と題した書籍として刊行されています。

 本書はこの作品に続いて1861年にロンドンで刊行されたもので、前作と同じく雑誌の連載記事として掲載されたものを書籍として改めて出版したものです。本書は前作の日本滞在記とは異なり、オズボーンによる独自の日本研究がまとめられており、日本の歴史、西洋諸国との交渉史、キリスト教との関係史、地理、政治機構などがまとめられており、今後の日本と西洋諸国との関係のあり方を考察するための基本文献となるような充実した内容となっています。また、日本滞在中に江戸や長崎での短期旅行の機会に恵まれた際の経験をもとにして、日本の書物を参照しながら架空の「江戸ー京都旅」も記されており、そこでは日本の人々の日常生活のあり方についての考察もなされています。

 本書がこの単行本の形で刊行された際の大きな特徴として、タイトルにも掲げているように、オズボーンが日本滞在中に熱心に収集した北斎や広重による浮世絵の複製挿絵が多数掲載されていることが挙げられています。本文中で浮世絵論や日本の芸術論が本格的に展開されているわけではありませんが、オズボーンは浮世絵、特に広重の作品に強く惹かれたようで、コストのかかる彩色複製画6枚をわざわざ本書に収録しています。欧米で幕末期に刊行された著作において浮世絵の複製画を収録する試みは、有名なペリーの『日本遠征記』における例を一つの代表例として、本書刊行以前にもなされていましたが、比較的安価でより多くの人々が手にすることが可能なポピュラー作品における事例としては、本書は最初期の作品として注目に値します。本書のように当時人気を博した著作において浮世絵の彩色複製画が収録されたことにより、より多くの人々が浮世絵の存在を知るところとなったであろうことを考えると、本書は日本美術そのものを扱った作品でないとはいえ、ジャポニスムの展開において大きな役割を果たした作品ではないかと考えられます。

 なお、本書は2022年に邦訳(山本秀峰(編訳)『日本の断章:江戸絵師に見る歴史と旅』露蘭堂、2022年)が刊行されるなど、近年になって改めて注目を集めています。


「次に取り上げる『日本断片録』(1861)は、エルギン卿の使節団を乗せたフリゲート艦フュリオス号の艦長で、1850年北極探検家として鳴らしたシェラード・オズボーン大佐によって書かれたものである。かれは1859年に既に『日本海域航行記』の一書を公にしていたが、これには一葉も挿図が入れられていなかった。しかし二年後に刊行されたこの『日本断片録』は序文4ページ、本文139ページの小冊子ながら、収められた色刷石版画6葉、木版画22図のすべてが日本の版画からの複製であった。色刷石版画6葉はいずれも落款・画題・改印などが消去されているが、すべて広重の複製で各々『東海道名所図会、品川』(口絵)、『六十余州名所図会、伯耆大山遠望』(18ページ)、『同、若狭漁船鰈網』(31ページ)、『同、下野日光山裏見ノ滝』(79ページ)、『東海道名所図会、島田』(112ページ)、『東海道五十三次、掛川秋葉山遠望』(129ページ)である。また木版挿図では、広重の『東海道五十三次』から2図、『六十余州名所図会』から2図、『隷書東海道』から1図が複製されている他、北斎の『漫画』から7図、『富嶽百景』から3図、北雲載賀の『北雲漫画』から4図、英泉の『浮世画譜』から3図が複製されている。オズボーンは江戸滞在中に数百枚にのぼる浮世絵を集めたと言われるから、これらの挿図がその中から選ばれたものであることはまず間違いない。」
(谷田博幸『唯美主義とジャパニズム』名古屋大学出版会、2004年、60−61ページより)

  • 参考)オズボーンがBlack Wood社が刊行していた雑誌『Black Wood Magazine』に連載して大きな話題となり、後(1859年)に『日本近海への航海』(A Cruise in Japanese Waters)というタイトルの単行本になった記事。