書籍目録

『マッフェイ全集::附セラッシオによるマッフェイ伝』

マッフェイ / セラッシオ

『マッフェイ全集::附セラッシオによるマッフェイ伝』

全2巻(揃い) 1747年 ベルガモ刊

Maffei, Giovanni Pietro / Serassio, Petro Antonio.

JO. PETRI MAFFEJI BERGOMATIS E SOCIETATE JESU OPERA OMNIA LATINE SCRIPTA. Nunc primum in unum Corpus collecta, variisque illustrationibus exornata….ACCEDIT MAFFEJI VITA PETRO ANTONIO SERASSIO AUCTORE….TOMUS I (& II).

Bergomi(Bergamo), Petrus Lancellottus, CIↃIↃCCXLVII.(1747). <AB2025118>

Reserved

2 vols.(complete)

4to (18.5 cm x 25.3 cm), Vol.1: Front.(Portrait of the author), Title., 3 leaves, pp.i-XLviij, 1-458, 1 leaf(errata). / Vol.2: Title., 3 leaves, pp.[1, 2], 3-88, 86(i.e.89), 90-345, 146(i.e.346), pp.[347-349], 350-515, Title. for other work(Life of Gregorio XIII), 7 leaves, pp.1-, Contemporary decorated vellum.
刊行当時のものと思われる空押し装飾ヴェラム装丁で良好な状態。旧蔵者の蔵書票等の貼り付けが見返しにあり。[Laures: JL-1747-KB1-618-422 (vol.1) / JL-1747-KB1-618-422 (vol.2)]

Information

日本関係記事を多数収録した16世紀のイエズス会士著作家マッフェイ全集

 本書は、16世紀におけるイエズス会士の代表的著作家であったマッフェイ(Giovanni Pietro Maffei, 1536? - 1603)の全集です。16世紀の日本宣教に関する重要作品を手がけたマッフェイの著作が全て集められており、また西洋社会に日本語とその文字を視覚的に初めて紹介した「大道寺裁許状」の木版画も収められている重要な作品です。

 マッフェイは、当時のイエズス会を代表する著作家で、特に歴史書の編纂において多大な功績を残した人物として知られています。マッフェイは、日本を含む世界各地のコレジヨの模範となるべくイエズス会によって運営されていた最も権威あるローマのコレジヨで教鞭をとっていたことからもわかるように、その豊かな学識と文体の洗練さにおいて当時から誉れ高く、彼が編纂したイエズス会の歴史関連の作品は、ヨーロッパ各地で広く読まれたため、イエズス会そのものの権威と影響力を高めることにも大いに貢献しました。

 マッフェイは、『東洋におけるイエズス会に関する1568年までの出来事』(HIstoria Rerum a Societate Iesu in Oriete Gestarum. 初版1571年、1574年まで毎年改訂版が刊行されタイトルも異なる)を手がけた他、『インド誌:インド書簡集』(Historiarum Indicarum Libri XVI. 1588)といった、イエズス会によるインド宣教史に関する公式作品の名著を遺しており、イエズス会創始者であるロヨラの伝記なども著しました。彼が手がけたこれらの作品は、幾度も再版が重ねられて長年にわたって読み継がれ、1747年には彼の出身地であるベルガモにおいて、全2巻構成で彼の全集が初めて刊行されました。本書はこの全集版で、4つ折り判の大型本に白のヴェラムに空押しの装飾が施された格式高い書物となっています。

 この全集の収録内容は下記のようになっています。

第1巻

・マッフェイの肖像画(口絵)

・ペトロ・アントニオ・セラッシオによる『マッフェイ伝』ならびにマッフェイに言及した書物目録(冒頭〜英数字48ページ)

・『インド誌』(1ページ〜)
*当時の日本を含むインド宣教の責任者であったヴァリニャーノ(Alessandro Valignano, 1539 - 1606)と協力して執筆された東インド各地の歴史、地理、文化、風俗、宗教を網羅的にまとめた作品。日本については主に12章(p.303-)、ならびに14章(p.363-)で論じられており、ここでは日本の地理的概況、風土や気候、農林水産物、産出される鉱物資源、人々の気質や風習、文化、宗教、政治状況と統治機構、歴史など、多岐にわたるトピックが解説されている。17世紀以降も繰り返し再版されただけでなく、その内容が数多くの作品に転載、引用されたことで西洋における日本観の形成に多大な影響を与えたで知られる。

第2巻

・『東洋におけるイエズス会に関する1568年までの出来事』における彼の解説(3ページ〜)
*同作はポルトガルのイエズス会士ダ・コスタ(Manuel da Costa, 1541 - 1604)が、ザビエルによるアジア宣教の開始以来、イエズス会士に認められた書簡を編纂して『東方布教史』と題してポルトガル語草稿にまとめていたものを、マッフェイが全てラテン語に翻訳し、自身の解説を付して刊行していたもの。

・『インド誌:インド書簡集』のうちの「書簡集」(48ページ〜)
*大半が日本関係の書簡で実質的には日本書簡集と言える内容。

・大内義長がトーレスらイエズス会士に教会の創建許可を与えた「大道寺裁許状」(318ページ〜)
*原文の日本文を再現した木版画にそのラテン語語翻訳を付したもの。この書簡の初出は1570年にポルトガルのコインブラで刊行された日本書簡集(通称『コインブラ版』)で、日本語が西洋社会に初めて紹介された事例として極めて重要とされている。本書は18世紀においてなおこの書簡が重視されていたことを証するもので、文字の形はやや崩れてはいるが、現代でも十分に判読しうるもので、日本語をビジュアルに伝えた資料としても興味深い。

・1585年3月23日の日本使節とグレゴリオ十三世謁見に関するローマ教皇庁枢機卿会の公式議録(337ページ〜)
*1585年に刊行された天正遣欧使節関係出版物のうち極めて重要な文献として高く評価されている作品の翻刻。大友宗麟、有馬晴信、大村純忠のグレゴリオ十三世宛書簡や宣教師ゴンサルヴェス(Gaspar Gonçaves, 1540 - 1590)が行った演説、式典で教皇名代を務めたボッカパズーリ(Antonio Buccapaduli, 1530 - 1593)からの使節に対する返礼となる答辞文などが収録されている。

・イグナティウス・ロヨラの伝記(347ページ〜)

・マッフェイ書簡集(482ページ〜)

・『グレゴリオ十三世伝』(タイトルページ別立て)
*未刊の草稿として遺されていたものを本書において初めて公刊された作品で、天正遣欧使節との謁見やコレジオ設置に尽力したグレゴリオ十三世の知られざる伝記作品と言えるもの。

 このように本書はマッフェイが手がけた全ての著作を読むことができるだけでなく、彼の伝記や書簡といった関連資料に加えて、本書が刊行されるまで未刊のままであった『グレゴリウス十三世伝』といった本書でしか読むことができない作品も収録している重要な著作です。本書は刊行当時に施されたと思われる手の込んだ空押し装飾が施された1冊で、この書物が長年にわたって大切に読み継がれたことを思わせるものとなっています。なお、マッフェイその人と彼の『インド誌』については、小川仁氏による下記の解説文が非常に参考になります。
(https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/book/000676577/)


「ジョヴァンニ・ピエトロ・マフェイ(1533ー1603)の二巻本著作集。『インド史』(1588年初刊)を第一巻に、第二巻には『東方布教史』(1571年初刊)その他を収録しています。  イエズス会の布教報告の蓄積とともに、これらに集められた情報を総合した著作の必要性が唱えられ、その任にあたったのが人文主義者マフェイでした。『東方布教史』はもともとコインブラのマヌエル・ダ・コスタがポルトガル語で記したもの、マフェイはその手稿をラテン訳するとともに、いわゆる「日本書簡」を編集した De Japonicis Rebus Epistolarum 等原著の約四倍に及ぶ大量の増補を行いました。
 ところがこれが公刊されると、ダ・コスタをはじめ、イエズス会内部から誤謬の指摘が相次ぎ、マフェイはあらためてイエズス会の布教史編纂に取り組むこととなりました。まず1578年イベリア半島へ赴くと、リスボンで、さらにコインブラやエヴォラのイエズス会文書を調査し、またローマのイエズス会本部からも大量の資料を入手したほか、たとえば晩年のメンデス・ピントにも面会して情報を得ています。また、特に日本については天正遣欧使節が携えてきた、ヴァリニャーノの『東インドにおけるイエズス会布教史』第一部など、新たな文献をそろえ、万全を期しました。このような周到な準備のうえで執筆された『インド史』は、刊行されるとただちに数版を重ね、十七世紀前半までしばしば上木されています。
 マッフェイの生地ベルガモで出版されたこの版は、『著作集』と銘打った最初のものにあたります。イエズス会はその後、1759年のポルトガル追放にはじまり、フランス、スペインで放逐され、1773年にはクレメンス十四世によって解散を命じられます。しかしその後もイタリア各地で『インド史』の出版は続けられています。」
(放送大学附属図書館所蔵日本関係コレクション展示会『西洋の日本観:フロイスからシーボルトまで』「32 マフェイ『全集』1747年」解説記事より)

刊行当時に施されたと思われる手の込んだ空押し装飾が施された1冊で、この書物が長年にわたって大切に読み継がれたことを思わせる。
第1巻装丁
第1巻見返し。旧蔵者による蔵書票の貼り付けのほか、20世紀初頭のイギリスの古書店のものと思われる本書の目録解説と価格情報が貼られている。
第1巻口絵とタイトルページ。
著者マッフェイの肖像画
第1巻タイトルページ。本書の刊行地であるペルガモはマッフェイの生地でもある。
献辞文冒頭箇所
序文冒頭箇所
セラッシオによる『マッフェイ伝』冒頭箇所。この伝記は本書が初出であると思われる。
第1巻に収録されている『インド誌』初版以降の版の変遷や翻訳版などの書誌情報がまとめられている。
上掲続き。
『インド誌』冒頭箇所。1588年にフィレンツェで初版が刊行され、17世紀にかけてヨーロッパ各地で何度も再版された当時の大ベストセラー作品である。
第12章では日本について詳述されており、日本の地理、歴史、気候、文化、風習、宗教など様々なトピックが論じられている。
ここで見られる日本関係記事は、同時代や後年の他作品にも数多く転載、引用されたため、当時の西洋人の日本観の形成に絶大な影響を与えたことでも知られる。
第14章でもザビエルの来日について詳しく論じられており、鹿児島や豊後、山口、京都での出来事が時系列に沿って紹介されている。
巻末には索引も設けられている。
第1巻末尾。
第1巻裏面の装丁。
第2巻タイトルページ。
第2巻全体の構成(目次)。
第2巻は、ポルトガルのイエズス会士ダ・コスタによる『東洋におけるイエズス会に関する1568年までの出来事』という著作に対する解説から始まっている。
『インド誌』に収録されていた「インド書簡集」冒頭箇所。
『インド誌』に収録されていた「日本書簡集」冒頭箇所。本書の大部分をなしている。ザビエルの来日のきっかけとなったパウロ(アンジロー)の日本報告書簡に始まり、1560年代半ばまでの日本報告書簡が網羅的に収録されている。
日本書簡集に続いて、1552年に山口の大内義長が宣教師トーレスに対してキリシタン教会として大道寺の創建を許可した「大道寺裁許状」が木版画として収録されている。
「大道寺裁許状」冒頭箇所。日本語を木版画で再現し、その横にラテン語訳を付している。
「大道寺裁許状」は1570年に出版された通称「コインブラ版」において初めて掲載され、西洋に日本語とその文字を初めて視覚的に伝えた資料として重視されている。
文字はやや崩れているとはいえ、現代から見てもある程度判読ができる精度である。
続いて、1585年3月23日の日本使節とグレゴリオ十三世謁見に関するローマ教皇庁枢機卿会の公式議録が収録されている。
大友宗麟、有馬晴信、大村純忠のグレゴリオ十三世宛書簡や宣教師ゴンサルヴェスが行った演説、式典で教皇名代を務めたボッカパズーリからの使節に対する返礼となる答辞文などが収録されている。
1585年に刊行された天正遣欧使節関係出版物のうち極めて重要な文献として高く評価されている作品である。
マッフェイによる『ロヨラ伝』は1585年に初版が刊行され、リバデネイラによるロヨラ伝と合わせてよく読まれた。
続いて、マッフェイ自身の書簡集が収録されている。
末尾には収録作品それぞれの索引が設けられている。
第2巻の最後は、タイトルページを改めてマッフェイによる『グレゴリオ十三世伝』が収録されている。
編者による序文。
本文に先立って索引が設けられている。
天正遣欧使節との謁見やコレジオ設置に尽力したグレゴリオ十三世の伝記だけに、索引「I(J)」の項目を見ると、日本についても言及されていることがわかる。
本文冒頭箇所。マッフェイによる『グレゴリオ十三世伝』は、未刊の草稿として長らく遺されていたものを本書において初めて公刊された作品
第2巻末尾。