書籍目録

『東洋汽船会社:アメリカ、ハワイ諸島、日本、中国、フィリピン、インド(英文案内)』

東洋汽船会社

『東洋汽船会社:アメリカ、ハワイ諸島、日本、中国、フィリピン、インド(英文案内)』

[1911年〜1916年頃?]   [サンフランシスコ刊?]

Toyo Kisen-Kaisha(Oriental Steamship Company).

TOYO KISEN-KAISHA. AMERICA, HAWAIIAN ISLANDS, JAPAN, CHINA, PHILIPPINES, INDIA.

[San Francisco ?], s.n, [c1911-1916?]. <AB202596>

¥33,000

21.3 cm x 23.0 cm (Folded: 10.68 cm x 23.2 cm), 10 leaves including both covers, printed in double column, Original pictorial paper wrappers.
裏表紙の折り目付近に穴あき、裏面に汚れ、一部の用紙に切れが見られるが概ね良好な状態。

Information

東洋汽船によるデザイン性と実用性を両立させた英文ガイドブック

 このガイドブックを作成した東洋汽船は、明治から昭和にかけて日本の旅客業界の中心の一角を担っていた海運会社です。現在の商船三井である大阪商船と日本郵船と並ぶ海運会社として大型客船や太平洋航路の運営など積極的な経営方針で知られており、特に海外旅客の誘致には特に熱心で、創業者である浅野総一郎は、紫雲閣と名付けた自身の邸宅に海外からの主要な旅客を招いて宴会を催したりもしています。また、ジャパン・ツーリスト・ビューローの活動にも尽力し「亡くなられる迄殆んど欠かさずビューローの総会に出席され、われわれを大いに激励された」とビューロー25周年回顧録に記されているほどです(山中忠雄『回顧録』ジャパン・ツーリスト・ビューロー、1937年)。

 このパンフレットでは、東洋汽船が1908年から11年にかけて激化する競争に対抗するために新造した最新鋭旅客汽船3隻農地、最後に完成した春洋丸(1911年竣工)を「新造船」(Our new)と紹介しており、地洋丸(1908年竣工)、天洋丸(1908年竣工)の3隻も誇らしげに紹介されています。この3隻のうち、地洋丸は1916年に座礁してしまいますので、このパンフレットは春洋丸が竣工した1911年から地洋丸が座礁する1916年までのいずれかの時期に刊行されたものではないかと推測されます。

 東洋汽船は、ガイドブックの作成にも早くから熱心だったことで知られ、本書にもその熱意が存分に注ぎ込まれています。折りたたむことでポケットに入りやすくなる縦長の形状は当時の西洋諸国でも流行していたもので、1枚を左右に分けてテキストを配置しています。最初に東洋汽船の航路や会社概要、主要な保有船舶の紹介などがあり、ここには浅野総一郎の肖像写真も見ることができます。本文では、日本への入り口となる横浜の紹介から始まっており、到着後に多くの乗船客が必要とするであろうガイド(通訳)の紹介、日本の紀行などが記されています。続いて、東京近郊、日光、鎌倉(ここでは巨大な仏像を写真入りで強調して紹介)、箱根と富士登山、東海道線沿線の魅力的な諸都市として、名古屋、岐阜、京都、奈良、大阪、神戸、瀬戸内海、下関と門司、そして長崎が数多くの写真とともに紹介されています。続いて、シベリア鉄道による大陸横断、台湾、中国、フィリピン、シンガポール、インド、ホノルルの紹介があり、サンフランシスコを起点してニューヨークまでのアメリカ各地の紹介を見ることができます。各地の案内に続いては、当時同社がこなっていた世界周航旅行の案内も掲載されていて、同社が自身で運営している航路と他社との航路の良好な接続環境をアピールしています。巻末には、同社が運行していた航路や料金といった実際的な情報が掲載されていて、簡便なガイドブックとしては非常によくできた内容と思われます。また中程には、航路を記した東西半球と日本地図を掲載しており、大まかな地理情報も得ることができるようになっています。

 質の高い印刷の出来栄えや高品質な用紙を用いた作りなど、相応の思い入れが感じられるガイドブックですが、刊行地や印刷会社についての情報は明記されていません。東洋汽船は多くの印刷物を日本国内ではなく、サンフランシスコで印刷していますので、おそらくはサンフランシスコでの印刷ではないかと思われますが、より正確なことについては更なる調査が必要です。