書籍目録

『日本における殉教者達の生涯:聖ペドロ・バウティスタ、聖マルティン・デ・ラ・アッセンシオンら4人のスペイン出身のフランシスコ会氏達、ならびに残るスペイン出身でない22人の生涯の概説』

ネンクラレス

『日本における殉教者達の生涯:聖ペドロ・バウティスタ、聖マルティン・デ・ラ・アッセンシオンら4人のスペイン出身のフランシスコ会氏達、ならびに残るスペイン出身でない22人の生涯の概説』

初版 1862年 マドリッド刊

Nenclares, Eustaquio Maria de.

VIDAS DE LOS MÁRTIRES DEL JAPON, SAN PEDRO BAUTISTA, SAN MARTIN DE LA ASCENSION, SAN FRANCISCO BLANCO Y SAN FRANCISCO DE SAN MIGUEL, TODOS DE LA ÓRDEN DE SAN FRANCISCO, NATURALES DE ESPAÑA, seguidas de una reseña biográfica de los 22 restantes no españole

Madrid, Imprenta de la Esperanza, á cargo de D. Antonio Perez Dubrull, 1862. <AB202593>

¥88,000

First edition.

8vo (15.5 cm x 22.0 cm), Illustrated Title., pp.[1(Title.)-5], 6-264, 2 leaves, 2 leaves(Índice & Erratas), Plates: [5], folded colored plates: [1], Contemporary(original?) brown cloth.
旧蔵機関の蔵書ラベルが表紙に貼られており、本文中にもヤケが散見されるが、概ね良好な状態。[Laures: JL-1862-KB10-748-519]

Information

事件の犠牲者の列聖を受けて当時数多く刊行された殉教伝を代表する、図版を数多く収録した作品

 本書は1597年の長崎で生じた、いわゆる日本二十六聖人殉教事件において犠牲となり、1628年には福者として認められていた26人のカトリック信者達が、1862年に聖者として認定(列聖)されたことを受けてマドリッドで刊行された作品です。

 この事件における犠牲者の顕彰をめぐっては事件直後から当事者であったフランシスコ会とイエズス会によって様々な駆け引きがありつつも、事件からわずか30年余りで列福されるという異例の展開を遂げ、カトリック信仰国において長らく崇敬の対象となっていました。事件から250年以上が経過し、日本が西洋諸国に再び開かれ始めた1862年に彼らが列聖されたことは大きな話題を呼び、ローマで行われた荘厳な列聖式の様子は、絵入雑誌などを通じて広く報道されて多くの人々の注目を集めました。また、本書のように事件とその犠牲者の伝記作品もヨーロッパ各国で数多く出版されました。

 本書は当時刊行された多くの著作を代表する作品の一つで、折り込みの大きな図版を含めた6枚もの図版が収録されていることに大きな特徴があります。著者ネンクラスの詳細は不明ですが、序文でスペイン出身である彼らの伝記を今こそ世に問うべきではないかと述べていることからも分かるように、犠牲者のうちのスペイン出身でフランシスコ会士であったペドロ・バウティスタ(Petro Bautista, Blasquez, 1546 - 1597)や、アセンシオン(Martín de la Ascensión, 1566? - 1597)を中心とした4人の宣教師達に特に注目して本書を執筆しました。

 それと同時に、日本の信徒を中心とした残る22人についても本書では一定の紙幅を割いて紹介されており、事件の背景と処刑当日に至るまでの彼らの様子、そして事件後の崇敬の高まりなど、この事件の全体像を把握できるような構成となっています。また、巻末には列聖式において行われた教皇や枢機卿らによる演説などのテキストもラテン語と併記する形で掲載されており、列聖式の様子もある程度知ることができます。著者は、事件後間もない1601年にフランシスコ会士リバデネイラ(Marcelo de Ribadeney(i)ra,)が刊行した事件報告(HISTORIA DE LAS ISLAS DEL ARCHIPIELAGO, Y REYNOS DE LA GRAN CHINA, TARTARIA, CVCHINCHINA, MALACA, SIAN, CAMBOXA Y IAPPON,...Barcelona, 1601)など事件に関する重要作品を慎重に読み込んだ上で、本書を執筆したことを強調しており、当時すでに入手が困難となっていたこれらの古典作品の内容を現代風にアレンジして読者に伝えようとする著者の姿勢がうかがえます。

 本書に収録されている図版は、事件当時の記述に基づいて新たに製作されたもので、そこに描かれている日本の人々の姿はほとんど清朝の中国の人々と混同されてしまっており、弁髪姿の日本の役人など現代の目からすると奇妙な描かれ方がなされていますが、当時刊行された類書に収録された図版のほとんどに同様の誤謬が見られます。これは、当時の西洋諸国にとって最も身近で接触機会が相対的に多かった中国が日本を含む東アジアの人々の基本イメージとなっていたことが原因ではないかと推測されます。

 事件直後に刊行された書物では、当時対立を深めていたイエズス会とフランシスコ会が相互に他会の犠牲者を意図的に除外し、テキストからだけでなく挿絵においても排除するという方針をとっていたため、この事件に関する書物に収録された挿絵は、常に26人の犠牲者のうち23人(フランシスコ会関係者)、または3人(イエズス会関係者)のいずれかしか描かれないという屈折した状況が長らく続きました。事件から250年以上が経過してから彼らが列聖された本書刊行当時にはそのような対立はすでに霧散しており、本書においても26人全員が(たとえ奇妙な姿であったとしても)正確に図版に描き込まれており、時代背景の変化が感じられます。