書籍目録

『嘉永新増 大日本国郡輿地全図』

小柴栄三雄 / (オールコック)

『嘉永新増 大日本国郡輿地全図』

1849(嘉永2)年 江戸(蔦屋吉蔵)刊

<AB202592>

¥121,000

73.3 cm x 143.5 cm, 1 folded map with an original covers,

Information

初代駐日イギリス公使オールコックによって本国に送られ、自身の著書にも収録されたという知られざる逸話を有する日本図

 本図は長久保赤水の日本図に影響を受けて数多く刊行された派生版の一つで、上下で70センチ以上、左右で1.5メートル近くにもなる大型の日本図です。西洋製の古海図(ポルトラーノ)に見られるコンパスローズ(羅針図)を図中に描いて緯度を示した上で、脊髄図に特徴的な極めて豊富な内地の情報が細かく描き込まれています。本図を手がけた高柴英三雄は、高柴三雄、高柴英とも名乗り、江戸末期に数多くの絵図を手がけたことで知られる人物で、『嘉永改正御江戸絵図』や『江都近郊名所一覧図』をはじめとして一般向けの地図や道中案内を精力的に作成しました。本図では、国郡名はもちろんのこと、河川や山脈、湖沼などの自然、神社仏閣や陣屋などが所狭しと記されており、欄外には江戸から日本各地の城下町、陣屋までの距離も記されています。モデルとなった赤水図と比べると海岸線の輪郭には歪みが見られ、特に西日本は東西に圧縮されたような奇妙な形となっています。

 本図は、幕末期に数多く製作、出版された日本図の中でも比較的よく知られたものの一つと思われますが、この図がとりわけ興味深いのは、駐日イギリス公使オールコック(John Rutherford Alcock, 1809 - 1897)によってイギリス本国へと送付され、また1863年に出版された彼の日本滞在期『大君の都』(The capital of the Tycoon. 2 vols. London, 1863)の冒頭の折り込み図にも採用されたという点です。

 英国外務省が保管する一般政務文書(General Correspondence from Political and Other Departments)に含まれている、1906年までの日本関係外交文書(Foreign Office: Political and Other Departments: General Correspondence before 1906, Japan. 通称FO46)に収録されている第13号文書(FO46 No.13. Despatches from Her Majesty’s Envoy Extraordinary and Minister Plenipotentiary Rutherford Alcock to the Foreign Office, Aug, 1861.)には、オールコックが外務大臣ラッセル卿に宛てた極秘書簡の附図として本図が送られたことが記録されています。この書簡は1861年8月16日に江戸から発信されたもので、18もの付録文書が添付されていますが、その最終第18号付録文書として、「143のダイミョー(大名)の居宅と首都を示す日本地図」(Map of Japan, showing the residents and capitals of the 143 Daimios. Japanese MS. )が収録されていたことを確認できます。残念ながらここに記されている「日本地図」は、後年に同文書から抜き取られてイギリス公文書館の地図部(Map Room)へと移されており、この文書内ではどのような「日本地図」であったのかを特定することはできません。

 しかしながら、東京大学史料編纂所が所蔵する同文書のマイクロフィルム複写目録(Aninventory of microfilm acquisitions in the library of the Historiographical Institute(Shiryo Hensan-jo)the University of Tokyo. Volume VI. The United Kingdom)には次のように記されており、この地図が本図であったことを確かに示しています。

「Encl. 18: Map of Japan published in 1849, with English inscription of place names put. Title in Japanese: 嘉永大日本国郡新増輿地全図:高柴英三雄編 江戸蔦谷吉三刊 嘉永二年」(同目録47ページ)

 この極秘書簡は、イギリス公使館のあった東禅寺が襲撃された事件(1861年7月)や幕府による開港開市の延期要請を受けて開かれた外国掛老中安藤信正と久世広周らとの秘密会談*で明らかになった内容を報告するもので、排外主義勢力の台頭が日本の内乱を誘発する危険性が高まっていることを緊張感を持って伝える内容となっており、おそらく諸大名の国内における位置と勢力を視覚的に伝えるための補助資料として、本図が採用されたのではないかと考えられます。
(*オールコックと安藤信正らとの秘密会談とその歴史的意義については、福岡万里子「日本の主権者は誰なのか:幕末駐日外交官の日本認識と外交1858〜1862」日本政治学会(編)『幕末・明治期の国際関係再考』(年報政治学2022-II)筑摩書房、2022年所収論文を特に参照)

 また、オールコックが1863年の帰国中にロンドンで出版した日本滞在期『大君の都』の冒頭に収録されている折り込みの日本図は、まさに本図に範をとってことが明瞭に見て取れるものとなっており、上記秘密書簡に添付された日本図が本図であったことを示唆しています。『大君の都』に収録されている折り込みの日本図は、それまでの西洋製日本図や同時代の西洋製日本図とは全く異なった輪郭線や特徴を備えたもので、オールコック自身が重要と見做し本国に送付した本図を元に作成したとしか考えられないものです。

 幕末期にオールコックを通じてイギリスへと渡った日本図としては、イギリス海軍の日本近海測量に同行した幕府公刊が所持していた伊能忠敬の日本小図が特に有名ですが、本図が駐日公使オルコックの手によってイギリスにわたって活用されていたことは、これまでほとんど知られていなかったのではないかと思われます。本図は伊能図と比べるとその正確さは相当に劣るものではありますが、当時巷に流布していた日本図としては極めて標準的なもので、またそこに記されている豊富な情報は、当時のイギリスにとっても非常に重要なものであったのではないかと思われます。また、『大君の都』に本図をベースとした日本図が収録されたことにより、この図を模倣した日本図が西洋各地で製作されるようになり、類似の日本図が後年の出版物に見られるようになります。その意味では、本図は幕末から明治初期にかけて西洋で少なくない影響を与えることにもなったという、東西交流の興味深いエピソードを示す貴重な日本図としても改めて評価されるべきではないでしょうか。


「高柴英三雄が手掛け、蔦屋吉蔵から1849(嘉永2年)に出版された日本図で、広げると天地710mm、左右1,445mmの大きさになります。色彩に富み、コンパスローズ(羅針図)といわれる方位を示した円盤が4箇所描かれ、国名や郡名の他に城下や陣屋、往還、神社仏閣、河川・湖池などを数多く掲載。日本列島の形は歪んでおり、特に四国、九州の形の歪みが大きくなっています。緯線と方角線が引かれており、江戸時代後期に人気を博した長久保赤水が手掛けた地図(赤水図)がベースになっているかと思われます。
 高柴英三雄は、江戸図や江戸城下を幾つかの近郊区域で分割した江戸切絵図(近吾堂版)など各種絵図を江戸後期の弘化・嘉永年間(1844~1854年)に編集しています。版元の蔦屋吉蔵は、江戸後期から明治期にかけて活躍した江戸南伝馬町一丁目の地本問屋。蔦屋重三郎の別家で、合巻や錦絵などの大手版元の一角をなしました。絵図上部には江戸から全国の城下・陣屋までの道のりをまとめた一覧表が記されており、地本問屋から出版された一面がうかがえます。」
(印刷博物館HP「コレクション探訪」「嘉永新増大日本国郡輿地全図」解説より)
(https://www.printing-museum.org/collection/looking/01372.php)

参考)オールコック『大君の都』(1863年)所収の折り込み日本図