書籍目録

『日本帝国図』

クルーゼンシュテルン / 有用知識協会 / [ビューフォート]

『日本帝国図』

初版 1835年 ロンドン刊

Krusenstern, A. J. Von / Diffusion of Useful Knowledge / [Beaufort, Francis].

EMPIRE OF JAPAN. YEDO…MEACO…Published under the Superintendence of the Society for the Diffusion of Useful Knowledge.

London, Baldwin & Cradock, 1835. <AB202590>

¥55,000

First edition.

35.5 cm x 42.0 cm, 1 colored map,
周辺の余白部に傷みが見られるが、図自体に欠損はなく概ね良好な状態。

Information

19世紀半ばから後半にかけて西洋各国で広く流布した当時最新の日本図

 本図は19世紀半ばから後半にかけて最も正確で標準的な西洋製日本図として高い評価を受けて流通した日本地図です。クルーゼンシュテルンがもたらした当時最新の日本の地理情報に基づいて、イギリス海軍水路部長であったビューフォートが手がけたものとされており、当時の西洋製日本図としては最も精度の高い作品の一つでした。しかも、本図はより多くの人々に安価で良質な知識や文化を伝えることを使命とする「有用知識協会」(S.D.U.K, Society for the Diffusion of Useful Knowledge)の出版物として、比較的安価で大量に印刷されたことから、イギリス国内のみならず西洋社会全体において大きな影響力を与えた地図としても知られています。

 19世紀初め頃まで西洋で製作される日本図は、実際の測量情報が極めて限られていたため、オランダ東インド会社関係者らによってもたらされた日本製地図をベースにしたものが主流となっていましたが、相次ぐ日本近海への西洋諸国の接近や、シーボルトのように実際に長らく日本に滞在した人物らによって、日本の地理情報を収集、分析されるようになり、その正確性が徐々に高められていきました。なかでも、エストニア出身のロシア海軍提督クルーゼンシュテルン(Ivan Fedorovich Kruzenshtern, 1770-1846)が成し遂げたロシアによる初の世界周航の航海記(1813年)に収録された日本図や、その後の精査を経て改めて刊行された『太平洋アトラス』(1835年)に収録された日本図は、沿岸部の実測に基づく西洋製日本図として極めて高い強化を受けました。また、こうした動きと呼応して、世界各地に艦隊や商船を派遣するようになっていた海上帝国であるイギリスでは、海軍水路部において世界各地の海図や水路誌の整備が急速に整えられるようになり、軍事的にも経済的にも極めて重要となる正確な海洋情報の収集を積み重ねることによって、七つの海を制するイギリス帝国の多方面にわたる活動を支え低空ようになりました。

 本図は、こうした19世紀前半に生じた西洋製日本図を取り巻く急速な変化を最も正確な形で反映されたと言ってよい日本図で、クルーゼンシュテルンがもたらした最新の日本情報にもとづき、イギリス海軍水路部において海図作成を担っていたビューフォート(Francis Beaufort, 1774 - 1857)が製図したとされているものです。この図は直接的にはクルーゼンシュテルンによる日本図に範を取っているため、当時としては極めて高い正確性を誇る日本図となっています。クルーゼンシュテルンの日本図は、彼自身による測量情報に加えて、当時日本で広く流通していた長久保赤水による日本図を大いに参照して作成されており、結果的に本図は長久保赤水の日本図を西洋社会に広めることにも貢献したと言えます。

 クルーゼンシュテルンの航海記やアトラス、そしてシーボルトの『NIPPON』は、極めて高い評価を受ける一方で、その価格は極めて高価で一般の読者が目にする機会は実質的にかなり限られていたと思われます。それに対して、本図は、良質で最新の教養を広く人々に伝えることを使命として活動していた「有用知識協会」の出版物として刊行されていることから、相対的に安価で大量に出版されており、より多くの人々の目に触れることになったのではないかと考えられます。有用知識協会は1825年頃から活動を開始した有志による非営利団体で、雑誌『Penny Magazine』や、「有用知識文庫」(Library of Useful Knowledge)シリーズの出版などを精力的に行なっていたことが知られており、こうした出版物を補完する重要な部門の一つとして重視されていたのが地図出版であったと言われています。(同協会については次の論文を参照。Cain, Mead T. The Maps of the Society for the Diffusion of Useful Knowledge: A Publishing History. IN Imago Mundi Vol46(1994), 00.151-167. )

 なお、本図は、1845年頃、1858年頃、そして1874年頃と実に40年近くにわたって繰り返し再版がなされており、また本図をモデルとした様々な日本図が西洋各国で出版されており、このことからも、いかにこの図が当時広く、長く流通していたのかがわかります。


「いくら優れた地図が作られても、それが普及して人びとに使われなければ役割を果たせません。普及という点からクルーゼンシュテルンの「日本帝国図」を見てみましょう。
 「日本帝国図」を元にした普及版の地図の代表例としてあげられるのは英国の「有用な知識の普及協会」(The Society for the Diffusion of Useful Knowledge)が1835年に敢行した「日本帝国」(Empire of Japan)で、「日本帝国図」とは構成が少しちがいますが、本州以南についてはあきらかに(長久保赤水の:引用者注)「改正日本輿地路程全図」の特色をよく残しています。
 左下の枠外に小さくクルーゼンシュテルンとケンペルの名の記入があるのは(”Krusensterun, Kaempfer &c.)、その原図の作製者を示すものでしょう。陸上では国境と国名のほか主要都市についても記載がありますが、ただしその選択はかならずしも良く考慮されたものとはいえません。また地名にはフランス綴りの名残を残しています。さらに左上の長崎付近の図は、「日本帝国図」の右下にみえるものと同じです。くわえて、蝦夷(今日の北海道)についてはクルーゼンシュテルンの描いた図に示したものによっていることがあきらかです。
 発行の母体となった「有用な知識普及協会」は、権威のある印刷物を安い価格で市民に提供することを目的とする非営利団体で、第1回の総会が1826年に開催されました。この幹部には海図製作者として著名なボーフォート(Francis Beaufort, 1774-1857年)が参加していました。ボーフォートは初代の英国海軍水路部長であったダリンプル(Alexander Dalrymple)には役からその技術をみとめられ、1829年に水路部長に就任し、25年間その地位で活躍しました。地質学・天文学・地理学の学会でも活動し、気象学では風力を図る尺度を考案したことでも著名です。ボーフォートは「有用な知識協会」では地図の刊行を担当し、自身で描いた地図の原稿を印刷に供したということです。また英国海軍に勤務したことのあるクルーゼンシュンとは海図の交換を継続したほか、1834年8月にクルーゼンシュテルンはボーフォートに最新の日本の測量を送るというやくそくをしたということです。この約束どおりになったかどうかは不明ですが、時期からしてもこの「日本帝国」の刊行との関係が推測されます。「有用な知識の普及協会」刊の本図は、クルーゼンシュテルンの「日本帝国図」の普及に大きな役割を果たしたと考えられます。」
(小林茂ほか(編)『鎖国時代 海を渡った日本図』大阪大学出版会、2019年、70ページより)