本図は1863年7月20日(文久3年6月1日)と同24日(同5日)の下関戦争の様子を描いたもので、実際にその際の様子を目撃していたと思われる「清吉」という船頭の聞き取りに基づいて描かれています。薄手の通常の和紙を継いだ用紙に手描きされたもので、何らかの報告書(あるいはその写し)であったのではないかと思われるものです。7月20日にはアメリカのワイオミング号による砲撃が、続く24日にはフランス艦隊による砲撃がなされ、長州藩の軍艦や沿岸の砲台設備は徹底的に破壊されたことはよく知られていますが、事件直後に行われた聞き取りに基づいて描かれたとされる本図には、両日の各地における出来事や艦隊の配備などが描かれていて、当時の惨劇の生々しい様子を伝えています。