書籍目録

『外国伝道報告書簡選集;日本編(第17巻)』

ファンファーニ編 / (マッフェイ)

『外国伝道報告書簡選集;日本編(第17巻)』

(全18巻中) 1829年 ミラノ刊

Fanfani, Ranieri / Maffei, Giovanni Pietro

SCELTA DI LETTERE EDIFICANTI SCRITTE DALLE MISSIONI STRANIERE PRECEDUTA DA QUADRI GEOGRAFICI STORICI, POLITICI, RELIGIOSI E LETTERARI DE’ PAESI DIMISSIONE…

Milano, Ranieri Fanfani, 1829. <AB202588>

¥55,000

vol.17 only (of 18 vols.)

8vo (14.5 cm x 21.5 cm), Vol. 17: A folded colored map, pp.[1(Title.)-7], 8-254, 1 blank leaf, Colored plates with tissue guards: [5], Contemporary half cloth on marble boards.

Information

 本書は、ザビエルに始まる初期の日本宣教書簡をイタリア語に翻訳して収録さした作品で、美しく彩色が施された織り込みの日本地図をはじめとした図版を多数収録しています。元々は、イエズス会をはじめとしたカソリックによる世界各地の伝道の記録と現地の社会、文化を包括的に収録するという全18巻からなる叢書として企画されたもので、本書はその第17巻にあたり、イタリアのミラノで1829年に刊行されています。

 この叢書は、南北アメリカや中国、東南アジア、インド、そして日本といったカソリックによる世界各地への勢力的な伝道活動の軌跡を主要な報告書簡集を再編纂し、新たに多くの地図や銅版画を盛り込んだもので、単なる伝道記録としてだけではなく、世界各国地域の「世界地誌」としても読むことのできるものです。編者にして出版社でもあるファンファーニ(Ranieri Fanfani)についての詳しい経歴は不明ですが、19世紀はじめの時点において用いることができた、世界各地へのカソリック伝道書簡集の古典とも言える評価の高い文献を自身の視点で独自に再編集したこの叢書は、カソリック伝道史の肯定的な再評価を促すとともに、当時流行していた「世界地誌」「世界史」文献としても好評を博したことがうかがえます。また、収録されている彩色図版は、現在の視点から見ると疑問に思わざるを得ないものも散見されますが、本書刊行当時のヨーロッパにおける視覚情報の標準的な水準を示すものとしてかえって貴重なものが多く、また地図資料についても、少なくとも当時最新の知見が反映されたものを採用しようとする姿勢が伺えることから、当該地域に関する地理情報の当時のヨーロッパにおける水準を本書に見ることができるものと思われます。

 日本を対象とした第17巻となる本書冒頭には、彩色が施された日本地図が収録されていますが、これは1820年から21年にかけてロッシ(Luigi Rossi)によって刊行された『52枚の地図からなる新世界地図帳(Nuovo atlante di geografia universale in 52 carte. 1820–21)』の第27図として収録された日本図を範に採ったものと思われます。ロッシの地図帳に収録された日本図は、同時代のフランスの地図製作者ビュアージュ(Jean-Nicolas Buache, 1741-1825)が1820年ごろに刊行した日本図を範にしたもので、先行する日本図を参照して作成された当時のヨーロッパにおける標準的な日本図と言えるものです。ロッシの地図帳は本書と同じくミラノで刊行されていますので、ファンファーニは、この当時最新であった日本図に着目し、本書に採用したものと思われます。

 本文については、ファンファーニが序文で述べているように、イエズス会による16世紀の日本伝道書簡集の古典として名高いマッフェイ(Giovani Pietro Maffei, 1533 - 1603)の『インド史』のセルドナーティ(Francesco Sedonati, 1540 - 1602)によるトスカーナ語訳版(Le istorie delle Indie orientali. 1589)を底本として用いています。マッフェイの書簡集は、16世紀の日本社会の状況をヨーロッパに伝えた文献として同時代から現代に至るまで高く評価され続けている古典的名著と言えるものですが、ファンファーニは本書によって、当時の文脈でマッフェイの再評価を試みたとも言えます。

 本書に収録されている彩色図版は、マッフェイの著作には含まれていなかったもので、その大半は、モンターヌス(Arnoldus Montanus, 1625 - 1683)の『東インド会社遣日使節紀行(Gedenkwaerdige gesantschappen der Oost-Indische Maatschappy in ’t Vereenigde Nederland, aan de kaisaren van Japan. 1669)』に源流を持つものと思われます。モンターヌスのこの著作は、ヨーロッパに日本についての視覚情報を本格的にもたらした著作としても知られていますが、ここに収録された日本の人々の姿は、その後の「日本像」に強い影響を及ぼし、19世紀半ばに至るまで繰り返しこの著作に由来する図版が、様々な書物に登場しています。本書に収録されている図版もこうした系統にあるものと思われます。現代の視点から見ると荒唐無稽と思われるものも少なくありませんが、当時のヨーロッパにおける標準的な「日本像」がどのようなものであったかを理解する上では、大変重要なものです。

 本書は、18巻にもわたる叢書の一部に含まれていた地図や図版といった視覚情報をふんだんに収録している点に鑑みても、1820年代におけるヨーロッパの標準的な日本像を伝える文献として興味深い1冊ではないかと思われます。