書籍目録

『桃源郷、日本にて』(『この世の楽園・日本』)

ポンティング

『桃源郷、日本にて』(『この世の楽園・日本』)

初版 1910年 ロンドン刊

Ponting, Herbert G(eorge).

IN LOTUS - LAND JAPAN.

London, Macmillan and Co., Limited, 1910. <AB202585>

Sold

First edition.

Large 8vo (18.0 cm x 24.5 cm), pp.[i(Half Title.), ii], colored Front., pp.[iii(Title.), iv], v-xvi, pp.[1], 2-395, colored plates: [7], Plates: [96], Original decorative red cloth.
背表紙の一部に染みが見られるが、褪色も少なく良好な状態。[NCID: BA06984915]

Information

著者自身による数々の写真と逸話が散りばめられた明治期を代表する日本滞在記

ただいま解題準備中です。今しばらくお待ちくださいませ。


「ハーバード・G・ポンティングの名は、欧米では1910年スコット大佐の第二次南極探検隊に加わり記録写真を撮った写真家として知られている(ゲルンシャイム著 !The History of Photography')。しかし、1901〜02年(明治34〜35)頃から何度か来日し、日本中を旅して日本の芸術や風俗、自然に親しみ、正確に日本を理解していた数少ない知日家であったことを知る人は少ない。また、数多くの優れた写真を撮影し、何冊かの写真集を出版しているが、不思議と日本の写真史上にその名を残すことはなかったようである。
 本書は、ポンティングが1910年(明治43年)に、ロンドンで出版した『この世の楽園・日本』(In Lotus Land Japan)の抄訳である。これは、英国人写真家ポンティングが、アメリカの雑誌の特配員として来日し、日露戦争を挟んで1906年(明治39年)までの来日のたびに見聞し、体験しそして感動したことを、自ら撮影した写真と共に記したものである。
 だが、本書は、当時多くの外国人らによって書かれた日本見聞記とは趣を異にしている。それらの書物の多くが、好奇の目で綴られた通りいっぺんの印象記に終わっているが、本書は、外国人として初めて日本陸軍に従軍し、日露戦争に参加して軍人を通して日本人の赤裸々な姿に触れ、さらに延べ三年間に日本滞在の経験から得た日本観、日本人観が見事に浮き彫りにされながら表現されている。
 いささか日本や日本人に対して好意的過ぎるようにも見えるが、英国紳士として日本人や日本文化に最大級の尊敬の念を持っていることがその底流にあることがよく理解できるのである。特に日本女性に対する理解や芸術作品の鑑賞眼は、もの珍しさやエキゾチシズムなど外面的な興味を越え、その本質的なものを見抜いているようである。
 長岡祥三氏の日本語訳の美しさに助けられているとはいえ、見事な文章で綴られている。写真の技術的なことについては特に触れていないが、観察の濃やかさは、さすがに写真家の眼を感じさせる。陶器や七宝の製作者との交流、富士山や浅間山に登山したときの情景描写にその豊かな感覚がうかがえるのである。
 その写真作品であるが、(中略)原書に掲載されている印刷された写真から写真家としての眼の確かさは判断できよう。風景や自然を対象にした写真を得意としているようであることは〈日の出の富士〉、〈白糸の滝と富士山〉などの捉え方のうまさによく現れている。しかし、さらに興味をひくのは、人物の描写の仕方である。三人の若い芸者が気取ったりポーズすることなく自然に立っている〈立ち姿の芸者〉や、障子を開けようとしている女性を撮った〈美しい日本の女中さん〉、長い髪のまま襖の前に立っている女性を撮った〈唐紙の前で〉などに見られる人物の動きの捉え方は新鮮で、モデルの美しさや特徴を見事に表現しており、その技術の的確さを知ることができる。写真は独学で学んだということであるが、1900年に国際的な写真コンテストでグランプリをとったという実力はいかんなく発揮されている。」
(ハーバート・G・ポンティング / 長岡祥三(訳)『英国人写真家の見た明治日本:この世の楽園・日本』講談社、2005年、澤本徳美による「本書について」より)


「幕末から明治時代にかけての時期には、外交官・宣教師・技術者・旅行家・ジャーナリストといった、それまでの日本人がほとんど接することがなかった欧米の外国人が数多く来日している。彼ら(彼女ら)と交流することでもたらされた様々な知識が、日本の近代化に大きな役割を果たしたことはいうまでもない。いっぽうで、そうした外国人の中には、自らの滞在中に見聞したことを日記や絵画、そして19世紀初頭に発明されたカメラを用いて写真にとどめ、それらを用いて、母国において旅行記や論文の形で発表する者もいた。こうした媒体をとおして、『知られざる国』であった日本の実像が世界に伝えられていくことになる。
 そのひとつに、1910年にロンドンのマクミラン社から出版された『In Lotus-Land Japan』という書籍がある。Lotusとは仏教において『聖なるもの』の象徴とされる蓮を意味し、この作品の題名を日本語に訳すと『聖なる国、日本』ともいえようか。
 この書籍の著者は、イギリスの写真家、ハーバート・ポンティング(Herbert George Ponting:1870−1935)。彼は、1910年から1912年にかけて、ロバート・スコットを隊長とする第二次南極探検隊に同行したカメラマンとして知られ、探検隊の拠点であった南極のエバンス岬に暗室を作り、1000枚以上の記録写真を制作したほか、特別に改造されたカメラによる映像の撮影も試みている。ポンティングがイギリスの国家的プロジェクである南極探検のカメラマンに選ばれた要因の一つには、前述の『In Lotus-Land Japan』が好評を博し、その写真技術とトラベルライターとしての才能が評価されたことが挙げられよう。
 ポンティングは、『In Lotus-Land Japan』を著すにあたり、1901年に日本に初来日し、以降1903年〜1906年にかけて毎年日本を訪れ、各地を旅して写真を撮影している。彼に最初に日本における撮影を依頼したのは、アメリカでユニバーサルフォトアート社(Universal Photo Art Co.)を営んでいたカールトン・グレイブス(Carton Harlow Graves)とされている。グレイブスは当時欧米で大流行していたステレオ写真の題材として日本を選び、専属カメラマンとしてポンティングを日本へ派遣したのである。」
(井上卓也『ステレオ写真で眺める明治日本:まちとむらの暮らし、富士山への憧れ』古今書院、2023年、5, 6ページより)