書籍目録

『日本、インドシナ(ビルマ帝国、シャム、コーチシナ、マレー半島ーほか)、セイロン』

ジャンシニー / (シーボルト)

『日本、インドシナ(ビルマ帝国、シャム、コーチシナ、マレー半島ーほか)、セイロン』

(全世界:あらゆる人々の歴史と記述叢書) 1850年 パリ刊

Dubois de Jancigny, Adolphe Philbert.

JAPON, INDO-CHINE, EMPIRE BIRMAN (OU AVA), SIAM, ANNAM (OU COCHICHINE), PENISULE MALAISE, ETC. CEYLAN, …

Paris, Firmin Didot Frères, M DCCC L(1850). <AB202584>

¥77,000

(L'Univers. HISTOIRE ET DESCRIPTION DE TOUS LES PEUPLES)

8vo (13.0 cm x 20.0 cm), Half Title., Title., Folded map(of Japan), pp.1-229, [230], Plates: [14], a map sheet, pp.[231], 232-606, Plates: [3], a map sheet, pp.[607], 608-662, Plates: [3], pp.[663], 664-665(Table of Index), [666](List of Plates), Slightly later cloth.
見返しに蔵書票の貼付あり。シミやヤケが散見されるものの概ね良好な状態。図版完備。[NCID: BA13251674]

Information

セシーユ提督らとともにアヘン戦争に揺れる東アジアにおいて活躍した著者による独自の日本論

 本書は19世紀前半に主にインドや東南アジア、東アジア方面で活躍した探検家、外交官である著者が、日本を中心として、インドシナ各地とセイロンについての情報をまとめたもので、当時のフランス語圏で非常によく読まれただけでなく、他国へも影響を及ぼしたことが知られているベストセラー作品です。特に日本についての記述は、多くの参考文献を駆使しつつシーボルト『NIPPON』などから転用した多くの図版を収録しているだけでなく、独自に作成した折り込みの日本図も収録するなど完成度の高い内容となっていて、本書刊行当時のフランス語圏における最もまとまった日本論と言えるものです。

 本書の著者であるジャンシニー(Adolphe-Philbert Dubois de Jancigny, 1791 - 1860)は、ナポレオン統治下において農学者として活躍した父のもとで生まれ、インドや東南アジアといったいわゆる東インド方面への遠征や現地駐留官僚、外交官として活躍したことが知られています。特に1841年から46年にかけては、後に琉球との交渉をはじめとしてフランスによるインドシナ方面への進出拡大において大きな役割を果たすことになる海軍提督セシーユ(Japn Baptiste Thomas Médée Cécille, 1787 - 1873)による東南アジア、東アジア遠征に同行し、アヘン戦争に揺れる広州において清朝とイギリスとの間で巧みに交渉を進め、自国の権益を確保することにも貢献しました。しかしながら、自らがその権益獲得に尽力した駐留フランス領事との衝突により、本国への召喚命令が出されたため1846年に帰国を余儀なくされ、その後は外務省で働きながらも本人が望んでいた要職を得ることは叶わず、インドのシャンデルナゴル(Chandannagr)に派遣されて間もなく同地で亡くなりました。

 本書は召喚を受けてフランスに帰国中に執筆されたものと思われ、1850年にパリで刊行されています。その表題が端的に示しているように、日本、インドシナ、セイロンという3つの国と地域について記したもので、600ページを超える大著とも言えるボリュームを誇る作品です。来日経験はなかったとはいえ、上述の通り当時のフランスにおいて最も東インド情勢に明るい人物であったため、ジャンシニーはこうした作品を手がける著者としては最適な人物であったと言えます。この作品は、全60巻で構成されている『全世界:あらゆる人々の歴史と記述』と題した叢書の1巻として刊行されたもので、専門家というよりも一般の人々に向けて出された作品ですが、各地域ごとに参照文献一覧を付されているなど、一定の学術水準を満たす内容となっています。

 冒頭に置かれている日本の記述は230ページにも及ぶもので、また14枚もの図版と折り込みの日本地図を収録するなど、本書の中で最も充実した内容を有するものとなっています。冒頭の日本図は当時最新のシーボルトによる日本図などを参照しているものと思われ、海岸線の輪郭は当時の西洋製日本図としては精度の高い地図となっており、小型ながらも完成度の高い日本図と言えるものです。本文は、基本的な地理情報から機構、地質、産物などの記述に始まり、出島におけるオランダ商館の起源から日蘭貿易の現状、オランダ人による江戸参府、日本の歴史と政治状況といった統治体制に関わるテーマから、日本の人々の風習や気質、神話と宗教、文字と諸学問、芸術、産業、商業、海運といったテーマまで多岐にわたるトピックが論じられています。また、後半では日本との交渉を開こうと試みる西洋諸国の試みや、蝦夷や琉球といった日本の周辺領域についても論じられており、積極的なアジア進出を試みていた当時のフランスにとっても有用な情報が散りばめられています。また、本文中に収録されている14枚の図版の大半は、シーボルトの大著『NIPPON』に収録された図版を縮小して転用したもので、縮小版とはいえ細部まで鮮明に再現された美麗な図版となっており、読者の関心を引くものとなっています。本文末尾にはジャンシニーが参照した日本関係欧文献の書誌情報が丁寧に列記されており、当時のフランス語圏で入手しうる日本情報がどのような文献に由来するものであったのかを垣間見せてくれています。

 本書は当時のフランス語圏で相当に売れたようで、現在でも数多くの現存本を確認することができます。シーボルト『NIPPON』のような名著は、極めて質の高い内容を有する日本関係書ではありましたが、その発行部数は限られたもので、また非常に高額であったことに鑑みると、本書のようにそうした名著の内容を存分に反映させつつも、一般の読者にも十分手が届く形で刊行された作品の方が、当時より多くの人々に影響を与えた作品だったのではないか思われます。また、本書の日本に関する記述は、ロシアで出版されたシーボルト『NIPPON』のロシア語訳版と称する作品において、その図版も含めて大部分が転用されていることが確認されており(宮崎克則『シーボルト『NIPPON』の書誌学研究』花乱社、2017年、第5章)、他国への影響も大きかったことがわかっています。

 当時は本書のような日本や中国をはじめとした東アジア、東南アジアの国々についてコンパクトにまとめた作品が多数出版されていますが、本書がそうした類書と異なっているのは、来日経験はなかったものの、実際に南アジア、東アジア、東南アジアにおいて多年にわたって滞在し、重要な外交交渉にも直接携わった経験を有する著者によって記されているという点といえます。本書は、ベストセラー作品のゆえに稀覯書と見做されることはかえってあまりなく、また当時流行した類書と同様に、その内容はあまり注目されたことはありませんでしたが、いわゆる「安楽椅子著作家」とは異なる経験豊富な著者による独自の日本論としても、改めて評価されるべき作品ではないかと思われます。