本書は森有礼(1847年 - 1889年）が1872年末頃にワシントンにて私家版（Privately Printed)として刊行した小冊子で、いまだキリスト教弾圧が継続していた当時の日本において異例とも言える先駆的な「信教の自由」の意義を全面的に肯定した作品です。森の伝記研究などでは必ず言及される作品でありながら、私家版としておそらく小部数のみが発行されたパンフレットのような小冊子であるがゆえにか、国内研究機関における所蔵が極めて限られているという希少な1冊でもあります。

　若くして明治政府最初期の中米外交官として派遣された森のアメリカ滞在時代の活動や執筆活動についてはすでに多くの研究がありますが、この時期にアメリカで森が刊行した作品は、Life and resources in Amrica(1871)、この作品をチャールズ・ランマンの手を借りて増補改訂したThe Japanese In America(1872)、そして本書（1872）、さらに続いて Education in Japan(1873)という4つもの著作を3年ほどの間に出版しています。いずれもアメリカ（とイギリス）で英文で刊行されており、明治初期の日本の著者による海外における出版活動としても注目すべき活躍と言えるものですが、本書はその中でも「信仰の自由」という当時の明治政府の要職にある人々の間でもほとんど理解が及んでいなかった重要テーマを正面から論じているところに大きな特色があります。

　本書はいわゆる「岩倉使節団」がアメリカ、ヨーロッパ各国を歴訪中の1872年11月25日付で留守政府を預かる三条実美宛に提出された建白書という形式をとって執筆されており、全16ページという非常に短い小論です。それだけに森の「信仰の自由」をめぐる目下の問題意識や批判的意見の要約とそれに対する反駁、そして自らの主張が濃密に論じられており、しかも英文で執筆されていることによりアメリカやヨーロッパの読者の目に触れることも意識されていることは注目に値します（提出された三条実美は英文を解さなかったと言われていますが）。本書において、森は、明治元年に創設された明治政府による神仏分離を進めるための機関である神祇官を念頭に、国家によって強制される宗教の無意味さや不合理さを批判しつつ、その逆に国家が特定の宗教に対する信仰を禁止すること外貨に誤っているのかを正面から論じています。当時の反対意見としてキリスト教を日本に導入することを危険だとする意見に対しては、そのような意見を述べる人たちが一体どれほどキリスト教のなんたるかを理解しているのかという反論でもってその臆見を喝破し、キリスト教における良い部分と悪い部分とを見極めてから導入を進めるか否かの判断を行うべきだという意見に対しては、国家が「良い部分と悪い部分」を判断することの愚かさを批判し、その基準を一体誰が公平に担保しうるのかという反論を展開しています。その上で、「信仰の自由」は人間が有する諸権利の中でも最も重要な根本的な権利であり、その権利を保障しない文明国は存在しないという旨の意見を述べています。また、「信仰の自由」に対する正しい見解を広く国民が共有するためには、国家による教育制度の整備が必要不可欠であるとして、無宗教による公的教育制度の早急な整備を進めることを提言しています。こうした教育制度を重視する森の見解は、本書に続いて刊行されたEducation in Japan(1873)において、より積極的に展開されることになったのはよく知られているところです。

　森が本書のおいて展開しているこうした見解は、今日の目からすれば至極当然であるように思われる意見ばかりですが、明治初期の日本においては異色とも言えるほどの先駆的な見解であり、特に「浦上四番崩れ」に代表されるような明治政府によるキリスト教弾圧が正に行われていた当時にあっては、驚異的とも言える明晰な見解であったと思われます。本書が刊行された当時、アメリカでの長期滞在を経てヨーロッパ諸国を歴訪中であった岩倉使節団は、キリスト教弾圧を明治政府が行っていることに対して厳しい批判を受けているところでした。森がそうした状況を意識した上で、本書を執筆、刊行したのかどうかは定かではありませんが、そのような批判を次々と受けていた明治政府にあって、森のような人物が存在していたということの意義は改めて評価されるべきことではないかと思われます。

　また、本書には本文に続いて、森による「大日本帝国における信仰に関する憲章」(The Religious Charter of the Empire of Dai Nihon)と題された草案が付されており、この草案では日本政府が信仰の自由を人間の根源的原理として尊重する胸が高らかに宣言されています。 もちろん、この草案は実際に採用されることはありませんでしたが、このような草案が1872年にあってすでに構想され、しかも英文で対外的に発表されていたということは驚くべきことと言えましょう。

　本書はこのように明治初期の政府関係者による宗教政策を提言した作品として、極めて得意で重要な英文作品と言えるものですが、私家版の小冊子ということもあって現存部数は極めて少ないようです。本書はその押印や鉛筆による表紙の記載から見て、海外の図書館に長らく所蔵されていた1冊が近年になって放出されたものではないかと思われます。