書籍目録

『日本の多色刷り木版画:ヴィクトリア&アルバート博物館の版画とイラスト、デザイン部門収蔵コレクション:84枚の図版を添えて』

ストレンジ

『日本の多色刷り木版画:ヴィクトリア&アルバート博物館の版画とイラスト、デザイン部門収蔵コレクション:84枚の図版を添えて』

改訂第6版(最終改訂版) 1931年 ロンドン刊

Strange, Edward F.

VICTORIA AND ALBERT MUSEUM DEPARTMENT OF ENGRAVING, ILLUSTRATION AND DESIGN. JAPANESE COLOUR PRINTS WITH 84 ILLUSTRATIONS.

London, (Printed under the authority of )The Board of Education, 1931. <AB202562>

Sold

6th(final revised) ed.

13.0 cm x 20.7 cm, Original front cover, pp.[i(Title.)-v], vi-xii, 1-164, 84 numbered plates(complete) , original back cover. 40 blank leaves(lately inserted), Purple half leather on yellow brown cloth.
1972年という箔押しがなされた後年の半革装丁で革色に褪色が見られるものの非常に良好な状態。[NCID: BA12461784]

Information

学生、デザイナーらのために収集された膨大な浮世絵コレクションに元にした浮世絵研究書のベストセラー本

 本書は、イギリスの浮世研究者として著名なストレンジ(Edward Fairbrother Strange, 1862 – 1929)が、副館長を務めていたヴィクトリア・アルバート美術館に収蔵されている日本の浮世絵コレクションを豊富な図版と共に開設した作品の第6版です。1904年に初版が刊行されて以来ベストセラーとなり数年ごとに改訂版が刊行された著作の最終改訂版に当たるものです。

 ストレンジは現在ではあまりその名が知られていませんが、19世紀末から20世紀初めにかけてのイギリスにおける日本美術、特に浮世絵についての研究家ヴィクトリア・アルバート美術館の日本美術収集のキュレーターとして多大な貢献を成した人物で、本書の他にも下記のような日本美術に関する著作を刊行しています。

・『日本の挿絵』(Japanese Illustration. London: George Bell and Son, 1896)
・『日本の多色刷り木版画』(The Color-Prints of Japan. London: A. Siegle, 1904)
・『北斎』(Hokusai. London: A Sieg.e, 1906)
・『日本の漆塗工芸』(Catalogue of Japanese Lacquer. London: HMS Office, 1924-1925.)
・『広重の多色刷り木版画』(The Color-Prints of Hiroshige. London: Cassel, 1925.)

上記の著作のうち『日本の多色刷り木版画』と思われる作品は戦前にその一部が邦訳されており、ストレンジについて訳者は次のように紹介しています。

「エドワード・ストレンジ氏は英国食糧省の一官吏を勤め、兼ねてロンドン・サウスケンジングトン博物館の副館長として、『ハームスウヮース蒐集』として知られる莫大な浮世絵版画蒐集を監掌していた人である。夙に『日本の挿絵』の著もあり、エッチングなど広く西欧版画にも興味をもち、その方の研究にもまた造詣深く、またウースター伽藍の年に生まれた人だけあって、美術全体についても並ならぬ素養を積んでいるらしい。『版画小史』は主としてそのハームスウヮース蒐集につき、親しく時代的に研究し、傍ら日本側の伝記文書を参照したものである。その見如何にも穏健著実、殊に一々実際の作品そのものについて断案を下しているのは頼もしい。」
(E.フェノロサ / E.F.ストレンジ / A.モリソン / 平田禿木(編訳)『西人の「浮世絵観』七丈書院、1942年、2,3ページより)

 本書は全13章と年表、図版、索引という下記のような構成となっています。

第1章;序論
第2章:鳥居派
第3章;春信の時代
第4章:歌麿、栄之、英泉
第5章;歌川
第6章:北斎
第7章:大坂(上方)派
第8章:国貞と国芳の弟子たち
第9章;風景
第10章;刷物
第11章:技術
第12章:主題
第13章:日本の木版画史
日本の年表
各種署名(落款)の複製図とその絵師名
絵師索引

 ストレンジは序論において、ヴィクトリア・アルバート博物館に所蔵されている浮世絵コレクションの特徴として、1902年にパリで売却された林忠正のコレクションに代表されるような著名な絵師の初期の名作を網羅的に集めたようなものではなく、むしろより後年の時に芸術的が劣るとの評価もされているような多彩な絵師たちの作品が中心となっていると言います。その理由として、ヴィクトアリ・アルバート博物館が日本の浮世絵コレクションを所蔵しているのは、美的鑑賞のためというよりも、学生やデザイナーの創作にとって実用的な助けとなるためであって、それゆえにさまざまな日本の風景や日常場面、衣類、家具類が豊富に描かれているこれらのコレクションは、日本の工芸家や職人、応用美術を学ぼうとする人にって計り知れないほど大きな有用性があるのだと述べています。こうした浮世絵に対する「実用的な」視点を重視する傾向はイギリスにおけるジャポニスムにおいて特に顕著な特徴で、その背景には、19世紀半ばに工業技術については世界的に圧倒的な優位性を持ちながらも、デザイン面において他国に対して著しく劣っていることを痛感していたイギリスが日本美術にその打開策を見出そうとしたという歴史的事情がありました。

「V&A(ヴィクトリア&アルバート博物館のこと:引用者注)は、英国における最大の工芸博物館である。日本人にとっては、あまりなじみがないため、大英博物館と肩を並べる規模の博物館であると言うと驚かれることが多い。歴史は、それほど古くはなく、1852年設立、57年に現在のサウスケンジントンに移ってサウスケンジントン博物館となり、1899年に現在の名称となった。ヴィクトリア朝時代における世界の工芸品とデザインが収集の中心であるが、これは1851年に開催されたロンドン万国博覧会で得られた収益と工芸品が元になっているからで、そのデザインが英国のデザイナーやアーティストの参考となり、創作活動に寄与することを目指したものという。V&Aの東アジア部門にある浮世絵のコレクションの収集についても同様の目的があり、1908年にV&Aが出した『日本の版画』(エドワード・ストレンジ著)では、V&Aのコレクションを指して「デザイナーや職人、日本の応用美術を学ぶ学生にとって非常に実用性があり」「人々に活用されるコレクションとして価値が高い」と評している。この点では、骨董 / 美術品としての美術史的な価値を求めて収集された他の大規模なコレクションとの大きな相違を示している。
 V&Aは、浮世絵の収蔵数では世界で4番目の規模を誇る。その数は、大英博物館の2倍をはるかに超えており、この事実は日本では、ほとんど知られていなかった。2007年5月から1年間に亙り、「初公開 浮世絵名品展」という展覧会が大田記念美術館をかわきりに、石川県、山口県、愛知県、兵庫県、福島県と巡回していたので、観覧した方もおられると思うが、その規模と価値については、この展覧会を見てもそれほど認識できなかったかもしれない。収蔵数は、公式には約25,000点とされているが、実枚数では38,000枚を超えており、V&Aの東アジアコレクション全体の2分の1にも及ぼうとする数である。(中略)
 V&Aでは、1852年の博物館設立後、1886年にイギリス人のディーラー、S.M.フランクから12,000点に及ぶ昨品が購入されたという記録がある。」
(赤間亮「英国V&A博物館とスコットランド国立博物館所蔵浮世絵のデジタルアーカイブ」『アート・ドキュメンテーション研究』第16巻、2009年所収論文より)

 とはいえ、ストレンジをはじめとするイギリスにおける日本美術、浮世絵研究や蒐集活動は、結果的に美術史研究においても優れた成果を次々生み出し、西洋社会全体に大きな影響を与えることになり、またそれが上掲のように日本にも影響を与えることにさえなりました。序論においてストレンジは内外のさまざまな研究者、蒐集家の助力を得たことに謝意を記しており、たとえば、ジャーナリスト、推理小説家にして東洋美術蒐集家で浮世絵研究において多大な貢献を成し、南方熊楠ら同時代にの日本にも大きな影響を与えたことが知られるアーサー・モリスン(Arthur George Morrison, 1863 - 1945)などの名前が挙げられています。

 簡潔で的確な視点に基づいて構成されたテキストに加え、84枚もの図版や落款の図像と絵師の索引といった豊富な付録も備えた本書は、いまなお活用しうる名著と言えるでしょう。なお、本書は1972年に施された後年の装丁本ですが、非常に丁寧に施された半革装丁からはこの作品が長く大切に読み継がれてきたことが見て取れます。

「ヴィクトリア アンド アルバート美術館(当時知られていた名では、サウスケンジントン美術館)は、1851年にロンドンで開催された万国博覧会の収益で設立された。美術館の本来の趣旨の一つとして、英国のデザイナーと芸術家にインスピレーションを提供することとあり、浮世絵が最初に評価され展示されたのは確実にこの趣旨に基づいている。コレクションに関わった最初の重要人物は、1889年に美術館に携わるようになったエドワード・ストレンジである。1897年に出版されたストレンジ著『日本の挿絵』の序章で、彼は日本の版画がアンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックなどヨーロッパの現代ポスターデザイナーたちに影響を与えたと賞賛している。1908年に彼が書いたヴィクトリア アンド アルバート美術館の小冊子『日本の版画』(おそらく本書のこと;引用者)では、当館コレクションの大半の作品は19世紀の作品であり、「デザイナーや職人、日本の応用美術を学ぶ学生にとって非常に実用性があるので」、このコレクションは「人々に活用されるコレクションとして価値が高い」と断言している。実際に、日本の版画に使われる道具や技術を紹介する展示が早くも1913年には完成した。しかしながら、全体的にみるとストレンジ氏の後継者たちはこのコレクションに対し、より歴史的観点を重んじるようになっていった。これは、美術館全体で何を重要視するかが変わってきたことによるものであった。」
(キャサリン・ディヴィッド「ヴィクトリア アンド アルバート美術館と浮世絵」永田生慈(監修)『ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵 初公開 浮世絵名品展』2007年所収、10,11ページより)