書籍目録

『朝鮮西岸、ならびに大琉球島の探検航海記』

ホール / リュース(訳)

『朝鮮西岸、ならびに大琉球島の探検航海記』

ドイツ語訳版 1819年 ワイマール刊

Hall Basil / Rühs, Friedrich.

Entdeckungsreise nach der Westküste von Korea und der großen Lutschu=Insel von dem Captän Basil Hall. Aus dem Englischen übersetzt, und mit Anmerkungen begleitet von Friedrich Rühs. Mit zwei Chartem.

Weimar, Gr. H. S. priv. Landes=Industrie=Comptoirs, 1819. <AB202550>

Sold

First edition in Germany with translator’s annotations.

8vo (11.5 cm x 19.0 cm), pp.[I(Title.)-III], IV, pp.[1-3], 4- 290, Folded maps: [2], Contemporary or slightly later marble boards.
旧蔵機関による空押し印あり。[NCID: BA25950069]

Information

西洋社会に朝鮮と琉球の最新情報をもたらした名著の大変珍しいドイツ語訳版

 本書は、1816年にイギリスがアマースト(William Pitt Amherst, 1773 – 1857)を代表とした清国への外交使節団を派遣した際に、護衛艦ライラ号の船長として随行したホール(Basil Hall, 1778 – 1844)による航海記、見聞記で、とりわけ琉球の風俗や社会、人々の様子を実見に基づいて本格的に西洋に紹介した最初の作品として知られる書物です。原著英語版からイタリア語やオランダ語などの各国語に翻訳されて広く読まれたことで知られる作品ですが、その中でも本書は大変珍しいドイツ語訳版です。

 本書の著者であるホールは、イギリスの海軍将校にして著作家としても活躍した人物です。アマースト率いる派遣団による清国との貿易交渉は、清国側が求める三跪九叩頭の礼をアマーストが断固として拒絶したこともあって皇帝との謁見すら叶わず、ほとんど成果を上げることはできませんでした。その一方で、ホールが艦長を務めたアマースト号は、この航海時にアルセスト号とともに朝鮮と琉球にも寄港し、特に後者においては40日ほども那覇に滞在して現地の人々と交流を行い、周辺の測量活動を行うなど、大きな成果を上げることに成功しました。

 それまで西洋社会における琉球や朝鮮に関する情報は非常に限定的で、特に実際に現地を訪れた人物による記録はほとんどなかったことから、ホールの航海記は、1818年に「Account of a voyage of discovery to the west coast of Corea and the Great Loo-Choo Island…」(London, 1818)として刊行されると大きな反響を呼びました。この作品は、原著英語版がその後何度も再版されただけではなく、すぐさまオランダ語訳板(Verhaal eener ontdekkingsreis langs de westkust van Corea en het groot Loo ChooEiland in de Japanische Zee. Rotterdam, 1818)が刊行されたのに続いて、ドイツ語訳版(本書)、イタリア語訳版(Relazione d’un viaggio di scoperte alla costa occidentale della Corea ed alla grand’ isola Lu-Tsciù. Milano, 1820)という風に立て続けに翻訳版が刊行されて、広く読まれることになりました。

 本書であるドイツ語訳版を手掛けたのは、フリードリッヒ・リュース(Friedrich Rühs, 1781 - 1820)という歴史家、著作家でスウェーデン史や独仏関係史に関する著作を多数残したことで知られる人物です。その経歴からするとリュースは本書で描かれている朝鮮や琉球についての知見が乏しそうに思われますが、訳者による序文においてリュースは原著の構成や意義、特に琉球語の研究の重要性を論じた後に、これまでのヨーロッパにおける朝鮮と琉球研究を概説しながらその乏しさを強調する一方で、ティツィングレミュザといった当時最新の研究者の論考に言及しながら、本書の意義を解説しており、一方ならぬ知見を有していたことがうかがえます。

 本書は、航海に関する測量情報といった特別な記述を省いた(訳者によると一般の読者にとって関心が低いと思われるため)こと以外には、原則として英語原著の忠実なドイツ語訳となっています。第1部が朝鮮航海記(pp.1-68)、第2部(pp.69-147)と第3部(pp.148-239)が琉球航海、滞在期とされた全3部構成となっていて、さらに本編に続く付論(pp.240-290として、マカオなど各地で採取した植物についての報告と、琉球語、日本語、朝鮮語とドイツ語との比較語彙集とその分析論とが収録されています。この構成から見ても分かるように、本書はその紙幅の大半が琉球に関する記事に割かれています。

 当時海禁政策を採っていた朝鮮において拒絶的な厳しい対応を受けたこととは対照的に、琉球王国においてホールらは、現地の人々との交流を親しく行うことが許され、食糧の提供を受けたり、那覇にしばらく滞在することや、周辺海域の測量を行うことなどができました。本書では、一行が両国君主の健康を祈念して盃を交わしたことや、琉球の人々が知的に洗練されていること、ホールらに対して非常に友好的であるとことなどが随所に書かれていて、琉球の人々に対してホールが非常に好感を持ったことが伝わってきます。巻末にはライラ号とアルセスト号が朝鮮西岸や琉球周辺で行なった測量に基づいて製作された海図掲載されているほか、琉球語語彙がドイツ語や日本語、朝鮮語と対訳される形で掲載されています。

 ホールによる原著は、朝鮮と琉球、とりわけ後者に対する貴重な情報を当時の西洋社会にもたらし、大きな影響を与えることとなりましたが、本書はその広がりがドイツ語圏にまで広がっていたことを称する貴重な翻訳作品ということができます。英語原著と比べると発行部数が少なかったのか、国内研究機関の所蔵は非常に少ないようで、これからの本格的な研究が待たれる作品です。