書籍目録

『イグナシオの霊操に関する瞑想、並びに種々の祈りや霊的刺激の善悪を判別するための規則と指示』

ペルデュイン

『イグナシオの霊操に関する瞑想、並びに種々の祈りや霊的刺激の善悪を判別するための規則と指示』

改訂第2版 1693年 ブリュッセル刊

Perduyn, Gislain.

GEESTELYCKE OFFENINGEN BEHELSENDE NIET ALLEENLYCK MEDITATIEN VAN D’EXERCITIEN VAN ONSEN H. VADER IGNATIUS, Maer syne onderwysingen nopende verscheyde manieren van bidden, ende verscheyde regelen, om t’onderkennen het ingeven van den goeden, ende den quade

Brussel, François Foppen, M DC. XCIII(1693). <AB2024207>

Sold

2nd revised ed.

8vo (10.0 cm x 16.3 cm), Title., 7 leaves,pp.[1], 2-230, 1 leaf(errata), plates: [8], Later half leather, on marble boards.
19世紀ごろのものと思われる装丁が施されており、全体的に良好な状態。[Sommervogel: Vol.VI, p.490]

Information

 本書は1694年にブリュッセルで刊行されたオランダ語著作で、ロヨラ『霊操』に基づく日々の精神修養や瞑想、黙想を行う際の手引きとして書かれた作品で、本文中の随所に銅版画が挿入されていて読者がより直感的にその内容を理解、会得しやすいように工夫されている点に大きな特徴があります。

 イエズス会は、その創設者イグナティウス・ロヨラの主著が『霊操』であることからも分かるように、日々の精神修養、瞑想を、黙想を重要視していました。霊操』はロヨラ自身の神秘体験を、全ての信徒が追体験することを可能にするための実践的な手引書であると言えますが、内容の普遍性を高めることを強く意識したその文体は抽象度の高いもので、実際に同書を用いた精神修養を行う際には、指導者による監督や個別指導が基本的に必要とされていました。1673年に優れた絵師と印刷工房が発展していたアントワープで、『霊操』の内容を銅版画でも伝える書物(GEESTELYCKE OEFFENINGHEN VANDEN H. VADER IGNATIVS VAN LOYOLA Instelder van de Ordre der Societeyt Iesu…Antwerpen: Michael Cnobbaert, 1673)が刊行されると、これに倣ってより直感的に内容を理解しやすい銅版画を多数収録した、日々の祈りのための著作が刊行されるようになっていきます。

 本書の著者である、ペルデュイン(Gislain Perduyn, 1630 - 1708)は、オランダのミデルブルク出身のイエズス会士で、1671年にルールモントで司祭を務め、生涯フランドル地方で活動を続け、日々の瞑想や精神修養に関するオランダ語著作を主にブリュッセルやブリュージュの出版社から数多く刊行し、フランドル地方におけるカトリックとイエズス会の活動を支えたことが知られています。彼が活動の拠点としていたフランドル地方は、イエズス会にとってもプロテスタント国オランダと境を接する「最前線地域」であると同時に、アントワープを中心に優れた銅版画工房や出版社が軒を連ねていました。

 本書は、こうした環境にあってロヨラ『霊操』の内容をより多くの読者、特にオランダ語圏の読者にわかりやすく伝え、広めることを企図して刊行された著作と思われ、1681年にブリュージュ(ブルッヘ)で刊行された初版に続いて、1694年にブリュッセルで刊行されたものです。ロヨラの『霊操』を基軸としつつ、より多くの人々にとってわかりやすくさまざまな規則や注意点を解説する内容となっているようで、第2版である本書は、テキスト内容に大幅な増補がなされたわけではなく、より簡潔に、そして正確に読者が内容を理解できるように工夫することを主眼に改訂がなされていることを、著者は序文においてかなり詳しく論じています。本文では8日間で一巡する形での瞑想の仕方について、それぞれに図版とテキスト、解説文とを添えて解説しています。用いられている図版は、先に言及した挿絵入り版『霊操』と非常によく似たものも見受けられます。

 ロヨラによる視覚芸術の重視と、16世紀以降にめざましい技術的進歩を遂げつつあった銅版画を大いに活用したイエズス会による書籍出版については、近年数多くの研究がなされており改めてその意義が検討されるようになってきています。

「彼(ロヨラのこと:引用者注)は自らの住まいに宗教画の小コレクションをもち、絵画の前で祈祷し、瞑想するのが常であったと記録されている。しばしば彼は、わき上がる雲と光の中にイエスを抱く聖母の幻視を見た。彼自身の体験もあって、ロヨラは霊魂の上昇に際して、とりわけイエスと聖母マリアのイメージが宗教的霊感を鼓吹するものであることを知り、積極的に、これを修道士の修練法に用いた。とくに、惰性に堕ちた日常のなかで、画像によって、イエスと聖母の苦難や犠牲、血、涙、苦痛、歓喜などを、あたかも眼前にしたかのようにつぶさに体験することが信仰心の活性化にとって不可欠だと信じ、教会において、それらの効果的な聖画像を設置し、崇敬することをすすめていた。これはトレントの公会議第25盛会議で公布された命題と一致する。すなわち、1563年12月3日、聖遺物、聖画像の崇敬の布告が決定されているが、そこには「キリスト、マリア、聖人たちのイメージを、特に教会のなかに置き、これを崇敬すべきである」と書かれているのはすでに述べたとおりである。イグナティウス・デ・ロヨラの宗教美術館はトレントと一致していた、というよりも、トレントの聖画像重視にはイエズス会の理念が反映していたと見るべきであろう。
 彼は聖書の事件を歴史的にも空間的にも彷彿とさせるように福音書の挿絵を描くことが修行にとって重要だと考えていた。そのために絵画にとってもっとも重要なことは「場の設定」であり、教義的にも歴史的にも正統的な人物とその配置を構想することが必要だと考えた。おそらく過去の聖人のなかで、福音書を正確に図解することを真剣に考えた者は彼以外にはいなかったであろう。
 このことは、ロヨラとイエズス会が聖書の「情景」を信仰にとって重要なメッセージだと考えていたこと、すなわち、イエスと共通の体験をすることが、信仰にとって重要であり、そのためには、喚起の方法として言語的、理論的な手段だけではなく、視覚的、感覚的な手段もまた必要だと認識していたことを意味する。」
(若桑みどり『聖母像の到来』青土社、2008年、83-84ページより)

 本書はこうしたロヨラとイエズス会による視覚芸術を重視する姿勢と、同会における最重要著作である『霊操』とを有機的に結びつけ、しかもプロテスタント世界との「最前線」にあるフランドル地方においてオランダ語で刊行した、とてもユニークで重要と思われる作品と言えるでしょう。