書籍目録

『日本の木版画:その歴史、技術と特徴』

アンダーソン

『日本の木版画:その歴史、技術と特徴』

1895年 ロンドン刊

Anderson, William.

JAPANESE WOOD ENGRAVINGS: THEIR HISTORY, TECHNIQUE AND CHARACTERISTICS.

London, Seeley and Co., Limited, 1895. <AB2024203>

Sold

Large 8vo (18.0 cm x 26.5 cm), 1 leaf(blank), Front.(colored woodblock plate), pp.[1(Title.)-3], 4-80, colored woodblock plates: [5], Contemporary red morocco half leather.

Information

日本の木版画史の標準的なテキストとして日本を含め世界中で愛読された名著

 本書は、1873年から1880年までの間、お雇外国人として来日し海軍医学校教師として明治初期の日本における海軍医学教育や、当時の遠洋航海において重大な問題であった脚気の研究などで活躍したイギリス人アンダーソン(William Anderson, 1842 - 1900)による日本の木版画史研究書です。すでに日本美術史について大著を上梓していたアンダーソンが、日本において独自の発展を遂げた木版画芸術に注目し、その歴史や特徴などをわかりやすく解説したもので、当時の西洋における木版画史、浮世絵論の標準的なテキストとして広く読まれただけでなく、日本における浮世絵の再評価にも貢献したという極めて重要な著作です。

 本書には多数の図版が収録されているだけでなく、空刷りなどの技法を用いた6枚(口絵含む)の木版画そのものも収録されていて、読者がテキストだけでなく、実際に作品を体感しながら日本の木版画芸術を学ぶことができるようになっていて、書物としても非常に特別な造本となっていることに大きな特徴があります。さらに本書は、刊行当時に施されたと思われる上品なモロッコ革装丁で綴じられており、当時の読者が本書を大切な書物として慈しんでいたことがうかがえる一冊です。

「アンダーソンは、1842年にロンドンに生まれ、スコットランド北東部の都市アバディーンの医学校で学んだ。医学教育を受ける前には、ロンドンのランベス美術学校にも通い、そこで素描の訓練を受けたとされる。その後再びロンドンへ戻り、セント・トマス病院附属の医学校で外科を専攻した後、ダービー市立病院を経て、セントトマス病院で外科研修医、解剖学実験の助手として勤務している。1873年10月、アンダーソン30歳ときに、日本の海軍省から要請を受けて、海軍医学校の教師として派遣されると、1880年1月に任期満了により離日するまで、約6年間を日本で過ごした。日本滞在中、アンダーソンは、高輪西台町の海軍医学校に程近い品川南馬場3丁目に、後に三田小山町24番天暁院に居を構えている。この間に、医学校の教師としては、専門の外科、解剖学のみならず医学全般を1人で講義して15名の学生を卒業させ、医学者としては、日本人の脚気の研究に取り組んだ。アンダーソンが日本政府から得た俸給は、月俸400円で、これは各省の次官に匹敵する処遇であった。
 アンダーソンは、この莫大な俸給を美術品の蒐集に充てたとされる。当時の市場には、1871年の廃藩置県によって没落した藩士の旧蔵品や、廃仏毀釈で流出した寺院宝物が溢れており、いずれも政府の欧化政策の煽りで、低価格で売られていた。アンダーソンは、イギリス公使館の通訳から書記官になったアーネスト・サトウと美術を通じて交流があり、ともに日本各地を旅行して美術品を買い求めていた。サトウの『日本旅行日記』には、アンダーソンの帰国直前に、京都で合流して関西を旅行し、京都で「いくつかの店で絵本を物色」したり、西陣や粟田、清水、楽などの窯元や社寺を廻ったことなどが記されている。アンダーソンは恵まれた経済力に、海軍のお雇いであるという特権的な立場もあって、6年間の滞在中に、3600点に登るコレクションを築いた。しかしながら、彼は持ち帰ったコレクションの大半を、帰国後すぐさま大英博物館に売却している。これに関して、馬渕明子は、アンダーソンはもともと自分のためにコレクションを始めたのではなく、帰国後を睨んで、母国のアジア・コレクションの充実を図った可能性を指摘している。」
(粂和沙『美と大衆:ジャポニスムとイギリスの女性たち』星雲社、2016年、35,36ページより)