書籍目録

『日本の装飾とデザインの文法』(図案集)

カトラー

『日本の装飾とデザインの文法』(図案集)

(図版完全揃い) 1880年 ロンドン刊

Cutler, Thomas W(illiam)..

A GRAMMAR OF JAPANESE ORNAMENT AND DESIGN. With Introductory, Descriptive, and Analytical Text.

London (Paris), B.T.Batsford (Alfred Guérinet), 1880. <AB2024202>

Sold

28.0 cm x 37.5 cm, Illustrated Title., pp.[i(Title.)-ix], x , xi, pp.[1], 2-31, 7 plates(Analysis Plates: A-G), 58 numbered plates(2-57)(complete), Original decorative cloth.

Information

19世紀後半のイギリスの工芸産業において絶大な影響を与えた日本美術工芸図案集

本書は、イギリスの工芸分野において日本美術の影響が非常に大きかったことを象徴的に伝える図案集で、日本の浮世絵や種々の美術品、工芸品のデザインをモチーフにした60枚以上の図案が詳細な解説とともに付された作品です。非常に大型の書物で厚みのある高級紙を用いて鮮やかな印刷がなされており、当時のイギリスにおいて実際に工芸家がデザインに用いることができる作りとなっていると同時に、いわゆるジャポニスムの愛好家にとっては日本美術から抽出された珠玉のデザイン集としても楽しめる作品となっています。

 国に先駆けて産業革命を成し遂げたイギリスは、19世紀半ばに列強諸国間で熾烈化する国際経済競争において圧倒的に優位な立場を保持していましたが、その一方でデザイン面においては国フランスに、大量生産と機械化においてはアメリカに、という風に自国の優位性を脅かす強力なライバル国の出現に危機感を募らせていました。蒸気機関を駆使した優れた生産技術を誇りながらも、工芸製品のデザインについては、旧来風の絵画作品の模倣の枠を出ない保守的な意匠が依然として主流となっており、1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会は、このことを改めて顕在化させる契機になったと言われています。こうした課題を克服するためにロンドンに「装飾美術館」(Museum of Ornament Art、現ヴィクトリア&アルバート博物館)が新たに創設され、万博を契機として民衆の工芸品に対する感性を高めるとともに、工芸家のデザイン力を強化することを目指したデザイン改良運動と呼ばれる活動が展開されました。

「日本の美術工芸品に施された装飾や図案がイギリスのデザイナーや製造業者に注目された社会的要因として、デザイン改良運動の影響が挙げられる。19世紀後半のイギリスは、世界に先駆けて産業革命を成し遂げ、技術の面では諸外国に先んじていながら、デザインの品質に関しては技術的な後進国にすら及ばないとして、全面的な見直しを迫られていた。現状を打開し産業芸術を振興させるために、王室を後ろ盾にロンドンのサウス・ケンジントンに装飾美術館が創設され、各国の優れた装飾芸術がイギリスで産業見本として蒐集されたのも、こうした経緯によるものである。」
「装飾美術館は、世界各国の優れた作例を蒐集・展示し、国民のデザイン教育を促進することを目標に掲げ、1852年5月にバッキンガム宮殿の近くに王室が所有していたモールバラ・ハウスの最上階に設けられた。(中略)装飾美術館は、「学生、製造業者、製品を消費する大衆のため」という設立理念にしたがって、より多くの国民を啓蒙することが重視され、学生は常に無料とされ、一般市民も月曜と火曜、イースター、クリスマスは無料で入館することができた。」
(粂和沙『美と大衆:ジャポニスムとイギリスの女性たち』星雲社、2016年、106,109ページより)

 そして、このデザイン改良運動において優れた模範を示す好例として特に注目されたのが日本の美術品、工芸品でした。1862年の第2回万国博覧会において、初代駐日イギリス公使オルコックが自ら蒐集した日本の品々が
「日本部門」として大々的に紹介されたことは、大きな反響を呼んでイギリスにおける日本美術工芸品に対する関心を高める契機となり、停滞にあえぐ自国の装飾工芸の分野において活用すべき模範として大いに注目されることになっていきます。1857年にサウス・ケンジントンへと移り「サウス・ケンジントン博物館」と改名した装飾美術館は、「1875年から83年にかけて、年間購入資金総額の11.5%(1882年)から28.5%(1875年)に当たる額を日本美術工芸品の購入に宛て」(前掲書、119ページ)たほどで、日本の美術工芸品が当時のイギリスにおいて絶大な影響力を放っていたことがうかがえます。

「1862年のロンドン万博を端緒として、日本の美術工芸品はイギリスのデザイナーや製造業社にとって、産業見本として無視できない存在となっていった。そして、コレクションの充実にともない、イギリスの産業芸術には、日本の作例を参照したデザインが次々と生まれていくのである。」(同)

 このように日本の美術工芸品が、19世紀半ば以降のイギリスの産業芸術に新たなデザインと発想の源として大いに注目され、そして実際にそうした作品が生み出されていく際に、大きな役割を果たしたのが「図案集」の存在です。サウス・ケンジントン博物館(装飾博物館)のように公衆に開かれた博物館が創設されたとはいえ、実際の図案家たちが日常的に日本の美術工芸品に接することはまだまだ非常にハードルが高く、また日本の美術工芸品からどのような装飾アイディアを引き出すのかということは大きな問題でした。こうした問題を解決してくれるのが本書のような図案集で、優れたデザイナーが実践的に活用することを念頭において、装飾作例を画集のように取りまとめ、さらにその解説を付すことで、汲み取るべき発想や着眼点を享受してくれる図案集は、当時のデザイナーたちにとって日常的に参照することができる非常に便利で有用な書物であったと思われます。19世紀中頃から装飾図案集のような書物が刊行されるようになり、そこに日本美術工芸品から採ったモチーフも盛り込まれるようになっていくことで、これらに影響を受けた作例が次々と乱されるようになっていきました。

 本書はこのように当時のイギリスにおける工芸品製作の現場における実践的な手引きとして活用されていた図案集の中でも、日本だけに着目して編まれたという非常に興味深い図案集です。当時の図案集の多くがさまざまなモチーフを様々な地域や時代から採って編纂されているのに対して、本書は日本の装飾だけを専門的に扱い、詳細な解説テキストが付されていることに大きな特徴があります。著者のトーマス・カトラー(Thomas William Cutler, 1842 - 1909)は、主に建築分野のデザイナーとして活躍したことが知られる人物で、彼の手がけた壁紙などが現在のアルバート・ヴィクトリア美術館に所蔵されています。

「トーマス・カトラーもまた、建築家兼デザイナーとして活躍する一方で、日本の図案に着目し、1880年に『日本の装飾とデザインの文法』(本書のこと;引用者)を出版するなど、その紹介に努めたという点で重要である。ここで彼は、日本の襖紙や『北斎漫画』などの絵手本から採った図案を紹介する一方で、自らのデザインにも採り入れている。壁紙に見られる、淡い黄色の地に施されたスズメのモティーフは、そうした研究成果の現われと言えよう。1870年代後半から80年代にかけて、日本の図案に対する関心は、デザイナーや室内装飾業者たちの間で高まりつつあり、カトラーの本は彼らに対してデザインソースを提供する役割を担っていたと考えられる」(前掲書、131ページより)

「日本の伝統的なアーツ・アンド・クラフツのデザインが、イギリスの工芸に与えた影響を考察できる。着物、紋、蒔絵、北斎漫画、画帖などから取られた日本のデザインのモチーフが網羅されている。1879年に分冊で刊行されたが、1880年には1館本となって刊行されたのが本書で、ジャポニスム研究の貴重な文献である。」
(『女子美術大学図書館貴重書デジタルライブラリー』より。https://library.joshibi.ac.jp/rare-book/comments/04.html)

 本書は表紙の装丁デザインからして非常に凝ったもので、あたかもこの書物そのものが工芸品の作例であることを示しているかのような感があります。カトラーは序文において自身の日本美術工芸品に対する見識を深めてくれた人物として、海軍のお雇い外国人として来日し、のちに大英博物館に収蔵されることになった日本美術コレクション収集に尽力したアンダーソン(William Anderson, 1842 - 1873)や、日本学者として名高いディキンズ(Frederick Victor Dickins, 1838 - 1915)らの名を挙げて謝意を記しており、彼が日本美術や文化研究の分野における当時の研学らとも交流があったことが伺えます。図版に先立ってカトラーは自身の日本美術論ともいうべき論考を寄せており、そこでは日本の歴史と美術工芸品の分類と解説、そしてカトラー自身による分析と注目点などが議論されていて、当時の読者のみならず、現在の我々にとっても非常に興味深い内容となっています。
 
 全60枚以上が収録されている図版はカトラーによって独自の分類(グループ分け)がなされており、①鳥類、②魚類、③虫など④花、植物、木々、⑤装飾、という分類に従って掲載されています。収録されている図版は多色印刷が駆使されたものも少なくなく、いずれも非常に高精度で鮮やかなものばかりで、そのまま転写してデザインとして用いることができるようになっています。先述の通り非常に厚手で大判の高級紙に印刷されていて、1枚ごとに独立した図案サンプルとして実際に用いることができるように工夫されているようです。本書は美しい装飾クロス装丁が施されていますが、実際には1枚ごとの図案を別個に用いることがもあったようで、現存する諸本の中には意図的に装丁が解かれたものも見受けられます。

 本書は19世紀後半のイギリスの工芸産業において、日本美術工芸品がいかに大きな影響力を有していたのかを象徴するような作品と言えるものですが、その造本から察するに印刷には莫大な費用を要したものと思われ、一般の書籍と比べて発行部数はそれほど多くなかったのかもしれません。また、実際に当時のデザイナーたちが活用することを目的として刊行されていることもあってか、現存するものは多くなく、特に本書のように装丁も含めて完全な状態を保っているものは非常に貴重であると思われます。

 なお、本書のタイトルページにはパリの出版社の情報が貼り付けられており、この作品はロンドンだけでなくパリでも販売されていたことを示唆しています。また、上掲引用文も言及されているように、本書は一冊の書物としてまとめられたものですが、それに先行して分売形式でも本書は販売されたようで、店主の確認しうる限りでは全4部構成でそれぞれに厚紙の表紙がつけられる形で分配販売されたようです。ただし、内容についておそらく全く同一ではないかと思われます。

(参考)本書に先行して刊行されたと言われている分冊版。店主の確認しうる限りで、全4部構成でそれぞれに厚紙の表紙がつけられる形で分配販売されたようだが、内容についておそらく全く同一ではないかと思われ