書籍目録

「中国(東部)、朝鮮、ならびに日本地図」

ペーターマン

「中国(東部)、朝鮮、ならびに日本地図」

(『シュティーラーによるハンドアトラス』第5版初期刷りからの抜粋) 1868年 ゴータ刊

Petermann, Von A(ugust).(Heinrich) / (Stieler, Adolf)

CHINA(ÖSTL. THEIL), KOREA UND JAPAN. IM MAASSSTABE VON 1:7,500,000.

Gotha, Justus Perthes, 1868. <AB2024142>

Reserved

(Extracted from Stielers Hand-Atlas, 5th ed. early issue)

37.0 cm x 45.0 cm, 1 colored map,

Information

ワイマール地理局と並んで当時のドイツ語圏地理学出版を牽引した名門社が手がけた東アジア図

 本図は、当時のヨーロッパ屈指の地図出版社であったゴータの出版社Justus Perthes社によって刊行された日本と中国、朝鮮を中心とした東アジア図で1868年に製作されたものです。同社が手がけていた地図帳(Stielers Hand-Atlas)の第5版の初期刷りに収録されていた地図で、日本が開国を直前に控えた時期の情報に基づいて製作されています。当時のドイツ語圏で製作された地図に特有の、各国、地域の領域を明確に手彩色で区分して表現する手法が取られており、各色が示す内容が凡例で明記されていることから、当時の当該地域の地理認識を伺うことができる地図となっています。

 本図の作成を担った地理学者ペーターマン(August Heinrich Petermann, 1822 - 1878)は、19世紀前半のドイツ語圏における地図制作や出版、地理学教育に大きく貢献したことで知られるベルクハウス(Heinrich Berghaus, 1797 - 1884)の手ほどきで近代地理学や地図制作を学んだのちにスコットランドやロンドンでも経験を積み、ゴータの出版社 Justus Perthes 社に請われて同社の地図出版の中心的役割を果たしていました。ペーターマンは、自身の名が冠された雑誌 『ペーターマン博士による地理学全般にわたる重要な最新研究についてのPerthes 地理学協会報告誌』(Mitteilungen aus Justus Perthes Geographischer Ansalt über wichtige neue Erforschungen auf dem Gesamtgebiet der Geographie von Dr. A. Petermann)を1855年から手掛けており、この雑誌には当時の西洋人にとって初めて解明された地域の地理情報や最新の旅行記などが精巧な地図とともに掲載され、当時のヨーロッパを代表する地理学雑誌として高い評価を得ており、近代地理学の発展に大きく貢献したことで知られています。また、後述するようにこの雑誌には日本についての情報も頻繁に掲載されています。

 Justus Pethes社が当時刊行していた『シュティーラーによるハンドアトラス』(Stielers Hand-Atlas)にその名が冠されているシュティーラーというのは、同社の創業者(Justus Perthes, 1749 - 1816)とその息子(Wilhelm Perthes)の下で手腕を振るった地理学者アドルフ・シュティーラー(Adolf Stieler, 1775 - 1836)のことで、1834年に彼の名を冠した地図帳が初めて刊行されて以来(ただし、それ以前にすでに地図帳の分冊配本は開始していた)、彼の没後もその名が継承され続けました。この地図帳は、当時のドイツ語圏における最も有名で評価の高い地図帳の一つとなり、その後100年以上にわたって版を重ねただけでなく、簡易版や教育版、他言語版といった派生版も数多く産み出し、Justus Perthes社を代表する地図帳として、多方面にわたって大きな影響力を有しました。同社の地図帳は、ワイマール地理局が手がけていた大型地図帳(Allgemeiner Hand-Atlas. 名称は版により異なる)と並ぶ、ドイツ語圏を代表する地図帳として現在でも高い評価を受けています。

 本図にはその下部に1868年という製作時期と第43図であることが明記されていることから、Justus Perthes社の地図帳の第5版初期刷りに収録されていたものと思われます。同社の地図帳は当時大いに好評を博したことから版表記を変更しないまま改訂増刷を何度も行っており、同じ第5版でも収録されている地図には細かな改訂が施されているため、刊行年によって異なる地図が収録されています。本図は、1863年から1867年にかけて刊行されていた第4版には収録されていなかった地図で、第5版になって初めて採用された地図であることがわかっています。従って、1868年という製作時期が明記されている本図は、1868年から1874年にかけて刊行されていた第5版と表記された地図帳のうち初期刷りに収録されていた地図ではないかと推定されます。描かれている日本の地名は幕末の日本の状況を反映しているようで「JEDDO」(江戸)、「MIJAKO」(京都)といった地名表記がなされていることが確認できます。

 19世紀に欧米各国で製作された様々な地図には、銅版画で印刷された上で手彩色が施されていることが多いですが、彩色のあり方については必ずしも明確な意図と正確性が重視されていないことが多く、同じ地図でも塗り分けが大きく異なっていることも珍しくありません。それに対して、本図をはじめとしてドイツ語圏で製作された地図には、本図に見られるような具体的な凡例を備えた上で、地図製作者の明確な意図を反映した塗り分けがなされていることが多いことから、当時の地理認識のありようを理解する手助けとしても活用する地図となっています。


「これは中国東部、朝鮮、日本の詳細地図で、1847年から1854年まで、ヴィクトリア女王付き地理学者であったペーテルマン(1822-1898年)が作成した。ドイツへ帰国後、彼はJ・ペルテスと共同で仕事をした。この1868年の地図は、A・シュティーラー「常用地図帳」43cに出ている。 地図は中国東部、朝鮮、および北海道の南部のある日本を図示していて、右下の挿入図には、詳細な上海、広東および東京湾の商館が描かれている。中国、台湾および日本のアメリカおよびヨーロッパの条約港は赤の下線があり、また中央下には政治体制の境界が色記号で示されている。 明治維新の年の詳細な描写である。」
(放送大学図書館「デジタル貴重書室:西洋古版日本地図」No.200より)
https://lib.ouj.ac.jp/gallery/virtual/kochizu/index_1800_04.html)