書籍目録

『イエズス会の主要人物総覧:聖イグナティウス・ロヨラと聖フランシスコ・ザビエルが列聖された厳かなる日に同会神父によって掲示された(図の解説)』

ウトレマン / (日本二十六聖人殉教事件) / (パウロ三木ほか)

『イエズス会の主要人物総覧:聖イグナティウス・ロヨラと聖フランシスコ・ザビエルが列聖された厳かなる日に同会神父によって掲示された(図の解説)』

初版 1623年 ドゥアイ刊

[Outreman(Oultreman), Pierre d’].

TABLEAVX Des Personnages signales de la Comp. de IESVS. Exposés en la solemnité de la Canonization DES SS. PP. IGNACE, ET FRANCOIS XAVIER Par vn Pere de la mesme Comp.ie.

Douai, Balt(hazar). Bell(erus), M.DC.XXIII.(1623). <AB2024128>

¥275,000

First edition.

8vo (10.8 cm x 17.2 cm), Illustrated Title., 7 leaves, pp.1-100, 10(i.e.101), 102-189, 150(i.e.190), 191-209, 201(i.e.210), 211-272, 263(NO DUPLICATED PAGES)-511, 21 leaves(Index), Contemporary vellum.
刊行当時のものと思われるヴェラム装丁で両表紙に箔押し装飾あり。 本文の鉛筆等での書き込みが散見され、装丁の一部に偏食や痛みが見られるものの概ね良好な状態。[Sommvervogel: Vol.6, 37]

Information

ロヨラとザビエルの列聖を記念した代表作に収録されたパウロ三木ら3人の日本のイエズス会士

 本書は、イエズス会創立者であるイグナティウス・ロヨラとフランシスコ・ザビエルが1622年に列聖されたことを記念して刊行されたと思われる作品で、両人をはじめとしたイエズス会を代表する著名人物たち、そして世界各地の宣教活動において殉教したと目されている人物たちを紹介した作品です。後者の中には、いわゆる日本二十六聖人殉教事件において犠牲になった2人のイエズス会士も含まれており、当時はまだ列福前であった彼らについての顕彰がイエズス会の中で既に盛んであったこと、そして彼らの存在がロヨラ、ザビエルというイエズス会創立者との強い結びつきの中で表象されていたという大変興味深い事実を示す重要な作品です。

 ロヨラとザビエルというイエズス会を代表する同会にとって偉大な2人が、1609年の列福に続いて1622年に列聖されたことはイエズス会にとって極めて大きな出来事でした。世界各地への積極的な宣教活動の展開や、教育機関の設置など多方面に渡って大いに活躍していたとはいえ、後発で歴史の浅い修道会であったイエズス会にとって、その創立者たちが聖人として公式に認定されるということは、イエズス会の権威が公式に認められ、大いに高められることを意味していました。そのため1622年にロヨラとザビエルが列聖された際にはローマは言うに及ばず、ヨーロッパや宣教先各地で記念式典が華々しく挙行されたことが伝えられています。本書は、このようなロヨラとザビエルの列聖を記念して刊行された著作の一つで、列聖翌年の1623年にドゥアイで刊行されています。

 ドゥアイは現在のベルギーの国境にもほど近いフランス北部にある街で、1559年にフェリペ2世の援助と教皇パウル4世の認可を受けて設立されたカトリック大学を擁する大学街として知られています。ドゥアイは当時スペイン領だったフランドル地方の一部とみなされており、ヨーロッパ北部のカトリック大学として最も古い歴史と権威を誇るルーヴェン大学との密接な関係によって、ドゥアイ大学は対抗宗教改革におけるカトリックの重要拠点でもありました。ドゥアイ大学はイングランドからの亡命カトリック神学者たちの受け入れ先にもなっていたとも言われており、いわゆる「ドゥアイ・バイブル」(1610年)が刊行されるなど、カトリック関係の書物の出版地としても当時のドゥアイは大いに賑わっていました。本書はこうしたドゥアイの街を代表する出版人であったバルタザール・べレール(Balthazar Bellerus, 1564 - 1639)が手がけたものです。当時フランドル地方におけるカトリック関連出版の最大拠点であったアントワープの出身であったベレールは、同地におけるルーベンスをはじめとした優れた画家による銅版画作品を範に採った挿絵入りの神学関連書を数多く手がけたことがわかっています。べレールはイエズス会との関係も深く、同会随一の著作家であったリバデネイラが手がけた第三代総長フランススコ・デ・ボルハの伝記のフランス語訳版なども刊行しています。
(本書刊行当時のドゥアイ、並びに出版社バルタザール・ベールについては、木村三郎「ドゥーエーとパリ:16世紀末から17世紀前半のフランスにおける、日本関係図書の刊行とイエズス会周辺の出版業者」同『ニコラ・プッサンとイエズス会図像の研究』中央公論美術出版、2007年所収を参照)

 本書の著者名はタイトルページには記されていませんが、献辞文末尾に署名されているようにウトレマン(Pierre d’ Outreman(Oultreman), 1591 - 1656)という説教者、著作家で、当時それほど目覚ましく活躍したわけではありませんが、本書以外にも数点の作品を遺しています。序文で彼自身が述べているように、本書は1622年のロヨラとザビエルの列聖を記念してドゥアイで開催された記念式典において掲示されたという120枚のイエズス会を代表する著名人物を描いた油彩画に描かれた人物たちを紹介するという趣旨で記されています。ウトレマンによると、この作品は本書刊行以前に別の人物によって既に原稿が完成していて、その著者の没後に出版社によって刊行されたものの(店主にはその刊行物を特定できず)、その内容には不十分なところが多かったため、ウトレマンが改めて手を入れることによって本書の形に仕上げたとされています。

 イエズス会はロヨラとザビエルの正式な列聖以前から、彼らや世界各地の宣教地で命を落とした殉教者と目されるイエズス会士を描いた図像を関連施設内に掲示して、信徒の信仰を高めるために用いていたと伝えられることからも分かるように、信仰における視覚素材の重要性にいち早く着目していました。本書のタイトルページはそうした当時のイエズス会の方針を示した代表例とも言えるもので、上段左右両端に描かれたロヨラとザビエルの中心に「IHS」の文字が輝き、そしてその上に十字架を抱くキリストらが描かれ、その下部では信仰のために命を落としたイエズス会士たちが描かれています。このタイトルページ以外に本書本文中には銅版画は収録されていませんが、本書が想定する当時の読者には、前年にドゥアイで挙行されたロヨラとザビエルの列聖記念式典において、当該の油彩画作品を実際に目にする機会があった人も多いであろうことに鑑みると、その経験をもとに本書では、その理解と信仰をより深めるために書かれていると考えられそうです。

 本書で紹介されているイエズス会士は、冒頭に掲載されたロヨラ、ザビエルを別格として、初期のイエズス会の活動において大きな役割を果たした人物たちで、歴代の総長や枢機卿などの要職経験者、宣教活動、学問分野、会の歴史や伝記著作などの執筆活動といった各分野で大きな功績を上げた(と当時認識されていた)著名なイエズス会士が紹介されています。日本や中国との関係でいえば、ザビエルとともに来日して初期の日本宣教において大いに活躍したバルタザール・ガーゴ(Balthasar Gago, c1521 - 1583)(pp.179-)や、中国宣教の先鞭をつけたマテオ・リッチ(Matteo Ricci, 1552 - 1610)(pp.278-)らが、また著作家としては先に挙げたリバデネイラ(pp.292-)などが紹介されています。著者ウトレマンは本文に先立って本書執筆のために用いた参考資料の一覧を掲載しており、そこには著名なトルセリーニによるザビエル伝や、マッフェイによる『インド誌』など、いわゆる「東インド」に関する書物が数多く含まれており、既存の著作や未刊文書などの多くの資料を参照しながら丁寧に本書が執筆されていることがわかります。

 また、本書の後半(pp.385-)は、イエズス会が精力的に展開する世界各地での宣教活動において、信仰のために命を落とした殉教者と目されるイエズス会士たちを紹介したものです。ここに紹介されている殉教者たちの多くは、ローマにおいて公式に福者や聖人に認定されていたわけではありませんが、当時各地において崇敬の対象となっていたと思われる、あるいはそうしたいとイエズス会が考えていた人物たちが選ばれているものと思われます。大変興味深いのは、その中に当時はまだ福者としても認定されていなかった、1597年2月に長崎で犠牲となったいわゆる日本二十六聖人殉教事件の犠牲者のうち、パウロ三木ら3人のイエズス会が含まれていることです(pp,470-)。当初イエズス会はフランシスコ会とは対照的に、この事件での犠牲者の列福に向けた活動に消極的であったものの、次第にその顕彰活動を積極的に展開するようになったことが近年明らかにされており、本書はその契機を象徴する書物の一つとしても注目されています。

「イエズス会の日本殉教者への態度の変化を最も象徴するのが、刊行物である。例えば『イエズス会に属する人物図:聖なるイグナチオ神父とフランシスコ・ザビエル神父の列聖の厳粛な日に、同会の神父によって公開されたもの(Tablaux des personnages signalez de la Compagnie de Iesus. Exposez en la solemnite de la canonization des SS. PP. Ignace, et Francois Xavier; par vn pere de la mesme Compagnie)』と題される印刷物が存在する。タイトルからして、ロヨラとザビエルの列聖を記念したものと思われるが、彼らの列聖の年(1622年)やその直後ではなく1627年に発行されており、日本で列福された3人も含まれている。これは、著者が「重要人物」あるいは「殉教者」として高く評価しているイエズス会のメンバーのリストであり、列福が受けた殉教者はすぐにこのリストに組み入れられたという。」
(小俣ラポー日登美『殉教の日本:近世ヨーロッパにおける宣教のレトリック』名古屋大学出版会、2023年、128ページより)

 上記引用文で言及されているのは1627年にリヨンで刊行された本書の後年版のことで、その初版である本書はまさにロヨラとザビエルの列聖直後である1623年に刊行されています。本書はドゥアイのみならず、両人の列聖を記念して刊行された関連書物を代表する作品としてしばしば言及される作品である一方、現在では入手が非常に難しいこともあって、国内の主要研究機関では筑波大学のベッソンコレクションにある1627年版を除くと所蔵が皆無であるように見受けられます。ロヨラとザビエルの列聖というイエズス会にとって極めて大きな意義を有する出来事を記念した作品として、しかも日本の殉教者たちについての記事が収録されている興味深い作品として、本書は多くの研究テーマを示唆してくれる重要な作品であると言えるでしょう。

刊行当時のものと思われるヴェラム装丁で両表紙に箔押し装飾が施されている。
ロヨラとザビエルを上段左右に、殉教者たちを下段に配置し、その上段中央に「IHS」とキリスト等を描いたタイトルページ。
献辞文冒頭箇所。左の余白面に書き込みが見られる。
献辞文末尾に著者名が記されている。右は序文冒頭箇所。
著者が本書執筆のために参照した文献一覧冒頭箇所。然るべき資料に裏付けられた上で本書が執筆されていることがわかる。
冒頭に掲載されているのは当然ロヨラである。
続いてザビエルが取り上げられる。この2人の記事は別格の扱いとなっている。
第3代イエズス会総長を務めたフランシスコ・ボルハ。
第5代イエズス会総長を務め、巡察使ヴァリニャーノの朋友でもあったアクアヴィーヴァ。
福音書やイエズス会史、伝記といった著述分野で活躍した人物も取り上げられている。書物と教育を重視した同会ならではと言える。
ザビエルとともに初期日本宣教に尽力したバルタザール・ガーゴ。
中国不況の礎を築いたマテオ・リッチ。
第2部は世界各地の宣教先で殉教したイエズス会士らが取り上げられている。
第2部序文冒頭箇所。
この第2部では、日本二十六聖人殉教事件で犠牲となったパウロ三木ら三人のイエズス会士も大きく取り上げられている。
第2部末尾には殉教者の索引が設けられている。
巻末に設けられている本書全体の索引。事項別に検索できるようになっており、特に関心のあるキーワードやテーマから該当記事を見つけ出せるようになっている。
索引末尾。