書籍目録

「日本:本州・九州・四国・朝鮮海岸の一部に関する予備的海図」(2347号海図)

英国海軍水路部 / 伊能忠敬

「日本:本州・九州・四国・朝鮮海岸の一部に関する予備的海図」(2347号海図)

1863年11月10日出版、1864年11月、1865年3月改訂 1865年 ロンドン刊

British Admiralty (Hydrographic Office) / Ino, Tadataka.

Preliminary Chart of JAPAN. NIPON, KIUSIU & SIKOK AND PART OF THE KOREA. Japan is compiled from a Japanese Government Map,…Islands North of Quelpart from E. Wild’s survey of 1863.

London, (Sold by) J. D. Potter(, Agent for the Admiralty Charts), 1865. <AB2024126>

Reserved

(Published at Admiralty 10th Nov. 1863. Corrections Nov. 1864. March 65.)(Corrections June 1864)

67.5 cm x 101.8 cm, 1 rolling chart, Contemporary linen-backed.
当時の実際の利用者によるものと思われる複数の書き込みあり

Information

伊能図の採用によって劇的にその正確性を高めた英国水路部による最も代表的な日本沿海図、これまで未調査と思われる1865年3月改訂版

 本図は英国海軍水路部によって作成された2347号海図と呼ばれる本州、九州、四国、そして朝鮮半島を対象とした海図(航洋図)で、その正確性が当時の英国海軍関係者らによって高く評価された伊能図による沿岸線が採用された海図としても、特に重要な版とされているものです。しかもこれまでの研究史上で言及されたことのない時期の改訂版で、新たな知見を提供しうる非常に興味深い一枚です。

 幕末期から明治初期にかけて日本に来航した諸外国にとって、日本沿海の水路情報を正確に把握することは、極めて喫緊の課題でした。ペリー来航以前の19世紀はじめから既に複数の外国船が日本近海を航海し部分的な測量を始めていましたが、1858(安政5)年の条約締結以後は、開港の決まった長崎と横浜への安全な航路を把握するために、イギリスを中心とした列強諸国が本格的な日本沿海の測量の必要性を幕府に求めていきます。本図は、こうした要請に基づいて作成、改訂されていった英国水路部が作成した海図(航洋図)で、当時の日本の主要領土であった本州(当時外国ではNiponと呼ばれていました)、九州、四国を中心に、朝鮮半島沿岸を含めた広域全体を示しています。

 英国海軍水路部作成の海図には、その対象地域ごとに番号が振られており、この図は「2347号」と呼ばれるものです。この2347号海図は、遠洋航海時に用いられる広範な区域を対象とした「航洋図」と呼ばれる海図で、これと並んで英国海軍水路部がほぼ同時期に作成した日本近海の航洋図として、北海道以北、千島列島、カムチャッカ半島南部、樺太南部を対象とした「クリル諸島図」(Kuril Islands)と題した2405号海図があります。当時の世界における水路科学、実務分野で最も秀でていた英国海軍水路部が作成した海図は、欧米各国で製作される海図の手本として翻訳されて広く用いられましたので、その意味ではこの2347号海図と2405海図は、幕末から明治初期にかけて欧米諸国の船舶が日本沿海を航海する際に、必携となる最重要の航洋図として広範な影響力を有したということが言えます。また、明治初期以降、明治政府が自身による海図作成を進めていく際にも、自国沿海の最も優れた海図として大いに参照されることにもなりました。
 
 この2347号海図は、日本を対象とした英国海軍水路部作成の海図の中では最も古い歴史を有しており、その初版は1828年にまで遡ります。これは、日本近海を航海し部分的な測量を行ったクルーゼンシュテルン(Adam Johann von Krusenstern, 1770 - 1846)の成果に基づく地図帳の日本図を元に作成されています。日本近海の英国自身による測量活動はこれ以降しばらく目立った成果がありませんが、オランダやロシアの部分的な測量成果に基づいて2347号海図は改訂が重ねられ、特にペリー来航以降はその改訂頻度が高まり、1855年、1861年、1862年とに改訂版が連続して出されています。そして、これらに続く最も大きな改訂となったのが本図が直接の原版とする1863年の改訂版で、この改訂において英国海軍水路部が幕府より提供を受けた伊能図に基づいた沿岸線が初めて採用され、その正確性が飛躍的に向上したことが非常によく知られています。

「1863年5月改版の海図は、表題記事に「日本は、Mr. Richards(1855)に位置を合わせるようにして日本政府の地図から編集した」と明記している。同海図に採用された伊能小図については、1861年(文久1)に英国測量艦に幕府役人が乗船した際に、和暦7月12日に伊能図(小図)を見る機会があり、その後、許可を得て和暦7月19日に内容確認、1861年8月24日付日本駐在英国全権公使オールコックを通じて資料提供を要請、和暦7月22日にオールコックへ渡した旨伝えた。日本政府から入手した地図は1864年4月11日に軍艦アクテオン(Acteon)号とドーヴ(Dove)号から英国水路部に収められた。」
(菊池眞一「幕末から明治初年にかけての日本近海英国海図:日本水路部創設前の海図史」『海洋情報部研究報告』第43号、2007年所収論文、9, 10ページより)

「これが1863年5月発行の2347号海図になると、その表題の最初に「日本政府の図からの編集••••」と明記されているだけに、少なくとも日本沿岸に関しては以前とは見違えるほど改善されていて、いかに伊能図の正しさが認識されたかを示す。(中略)またメルカトル図法に描き改められているとはいえ、伊能図にみられた経度の狂いも、クロノメータを使って測定した資料によって、ほとんど修正されている。のみならず北九州から瀬戸内海へかけて、および東京湾を中心として測深点が多数となっていることも目立つ。(中略)これからもわかるように、アクテオン号その他の乗組員は、伊能図の写しを与えられていて、海峡線の測量は不要と思ったが、測深の方はできるだけ多数の点で実施していたのである。」
(保柳睦美「伊能図に基づいたイギリス製日本沿海図」『地学雑誌』第79巻第4号、1970年所収論文、33ページより)

 この2347号海図1863年改訂版は、5月に刊行されて早くも11月には改訂版が刊行されたことが確認されており、「下関、御手洗等に灯台が記載され、水深がかなり増加している」(菊池前掲論文)ことが明らかにされている一方で、その後1864年6月、1865年6月に改訂版が刊行されたこと自体は分かっている(同前)ものの、その内容やそれ以降の改訂版については、これまでほとんど明らかにされていませんでした。これはひとえに最新版が刊行される度に旧版が積極的に廃棄されてしまうという海図という資料の性質もあって、国内は言うに及ばず国外の主要研究機関においてもほとんど所蔵されていないという現存図の著しい希少性がもたらす困難によるものです。そもそも2347号海図の1863年改訂版については、伊能小図との関係性からその重要性が早くから指摘されているにもかかわらず、国内研究機関にはほとんど所蔵が確認できず、同時代の毛利家による収集品である山口県文書館毛利家文庫所蔵図がほとんど唯一の現存図として研究や展示等において用いられてきました。

 本図は一見した限り、1863年5月改訂版である山口県文書館毛利家文庫所蔵図と非常によく似ていますが、タイトルに続いて記されている情報源の記載に「Islands North of Quelpart from E. Wild’s survey of 1863」と追記されているほか、図の枠外中央下部にある書誌事項記載部に「10th Nov. 1863. Corrections Nov. 1864.」とあり、さらに続いてこれよりも細字の字体で「March 65」とあり、さらに左下下部には「Corrections June 1864」と記されていることから、これまで知られていた毛利家文庫所蔵図とは明らかに異なり、また前掲論文でその存在が報告されていた改訂版とも異なるこれまで未知の1864年、65年の改訂版であると思われます。地図上において実際にどのような改訂がなされているのか(あるいはいないのか)については、今後の研究が待たれるところですが、いずれにしましてもこれまで現存数が極めて少なく、主に毛利家文庫所蔵図だけが繰り返し参照されてきた2347号海図の1863年改訂版における新出図として、非常に興味深い重要な海図であると思われます。

「海図幕末期に刊行された日本近海の小縮尺英国海図はTable4に掲げる海図5図である(①航洋図2405号:The Kuril Islands. [1 : 2,00,000] / ②航洋図2347号:Japan. [1 : 1,800,000] / ③航洋図2412号:Islands Between Formosa and Japan. [1 : 1,540,000 / ④航海図2875:Seto Uchi or Inland Sea. [1 : 447,000] / ⑤航海図358号:The Western Coast of Kiusiu and Nipon including Tsuchima. [1 : 536,000] のこと:引用者)。国内でこれらの海図所在を調査したが、19世紀の地図は古地図収集の対象とされておらず、その数は極めて乏しい。国内所蔵海図では山口県文書館所蔵のものが最も早い刊行時期のものと考える。それ以外に確認できたのは、海図2347(1876年改版、92年まで改正:東京大学総合図書館所蔵)だけであった。」(菊池前掲論文、7ページより)

 本図は裏面が厚手のリネンによって裏打ちされており大きな破れや欠損もなく良好な状態を保持しています。リネンによる裏打ちは当時の海図に多くみられた措置で、航海における実用面での耐久性を高めるためになされたものと思われます。本図には当時の実際の利用者が書き込んだと思われる長崎、横浜方面に向かう複数の手書きの航路線を確認することができ、毛利家文庫所蔵図とは異なり、実際に当時の利用者によって用いられた一枚であるという興味深い来歴を示しています。

 なお、本図は別掲の2405号海図と共に同じ所有者から入手したもので、両者は同じリネンを用いた仕立てがなされていることから、2枚とも同じ当時の航海者が用いていたものではないかと推測されます。