書籍目録

「横浜(地図)」「日本(地図)」

ジャパン・ディレクトリ

「横浜(地図)」「日本(地図)」

(両面印刷地図) [1883年作成] [横浜刊]

Japan Directory.

Yokohama / Japan.

[Yokohama], Japan Directory, [1883(drawn)]. <AB2024122>

Reserved

51.0 cm x 71.0 cm, 1 folded map, printed on both sides,

Information

1883年頃に作成されたと推定される横浜居留地と日本全体とを両面で描いた地図

 本図は、幕末から英字新聞、Japan Gazetteを刊行していたJapan Gazette社が毎年刊行していた日本居留地ディレクトリ(年鑑)の1884年号から1887年号のいずれかにおいて収録されていた折り込み図で、1883年頃に作成されたものと思われます。両面印刷となっており、一方は横浜居留地を描いたモノクロの地図(1:5,000)を、もう一方は日本全体を描いた彩色地図を掲載していて、1883年頃の横浜居留地の地理的状況を一望することができる貴重な史料と言えるものです。

 幕末に開港した横浜、長崎、神戸などでは、居留地民や会社、領事館などの情報をまとめた年鑑が刊行されていて、居留地内外の関係者にとって便利な出版物となっていました。こうした主要な年鑑は主に横浜で刊行されていて、中でもJapan Gazette社による年鑑Japan Directoryは、幕末から20世紀前半(1920年代)にかけて長期間にわたって刊行された続けた最も有名な年鑑で、現在では各年代の居留地の歴史を調べる際の一級史料として高く評価されています。その一方でこうした年鑑類は常に最新のものが重宝され、旧版は随時廃棄されてしまうことが多かったため現存するものは極めて限られており、長期間にわたる巻号を所蔵している研究機関は非常に少なくなっていますが、非常に便利な復刻版(斎藤多喜夫(編)『幕末・明治在日外国人・機関名鑑:JAPAN DIRECTORY』全46巻+別巻2巻、ゆまに書房)が刊行されたため、年鑑の全体像を比較的容易に辿ることができるようになりました。

 Japan Gazette社によるJapan Directoryは特に幕末から明治初期の号では折り込みの地図が収録されていることが多く、年鑑本文で居留地番号を確認しつつ、地図でその位置を特定することができるように工夫されていました。本図は、そうした収録地図の中でも最も大きなもので、国内最大の居留地を形成していた横浜居留地の番地と通り名を英文で記載した横浜居留地図です。先述の復刻版で確認する限りでは、1884年号から1887年号にかけて、本図とほぼ同じ図が収録されていることから、1883年頃に製作されて、それから数年の間用いられた地図であると考えられます。1888年号からは、本図を踏襲しつつも居留地内も英文で町名を記したりといった改訂が加えられた地図が新たに収録されています(同図については、横浜開港資料館(編)『図説横浜外国人居留地』1998年、4/5ページを参照)。地図作成者については特に明記されておりませんが、かなり正確な地図であるように見受けられます。

 また、その反対面には日本全体を対象とした地図が印刷されていて、こちらは鮮やかな彩色地図となっています。この地図を手がけたのは、当時のイギリスにおける地図出版の最大手の一つであるスタンフォード社(Stanford)で、同社による日本地図であることが明記されています。スタンフォード社は、本図とほぼ同じ図を分割図としてリネンで裏打ちして折りたたんで携行できるようにした日本地図を19世紀後半から20世紀初頭にかけて継続して刊行していて、それ以外にも世界地図帳において日本図を収録するなど、日本地図の出版に精力的な出版社でした。ただし、同社が手がけた日本地図には刊行年が記載されていないことがほとんどで、世界地図帳に収録された際にタイトルページで確認する以外に、単独で正確な刊行年を特定することができなくなっています。本図は、反対面の横浜居留地図が1873年頃作成のものであることに鑑みると、おそらくほぼ同時期に作成された日本地図であると考えてよいでしょう。

 先に述べたようにJapan Directoryをはじめとした居留地で刊行されていた年鑑類は、現在では入手することが非常に困難となってしまっており、古書市場に出現することも極めて稀です。幸いにも復刻版が刊行されていることから、その内容の多くを通時的に調べていくことが現在では可能になっていますが、本図のような繊細な描線や記載を有する地図については、復刻印刷の際にその細部が潰れてしまって判読できなくなってしまっていることが多く、原図を直接調査することが依然として必要となっています。その意味では、本図は1883年頃の横浜居留地と日本全体を両面で描いた史料的価値の高い地図であるということができるでしょう。