本書は、イエズス会創始者イグナティウス・ロヨラの代表的伝記作品として知られる極めて重要な作品で、最初に刊行されたロヨラ伝としてのみならず、その後に続くあらゆるイエズス会による聖人伝、偉人伝、歴史書の基礎を打ち立てた記念すべき作品としても高く評価されています。本書は1584年にマドリッドで刊行されたスペイン語改訂版を底本としつつ、天正遣欧使節関連の記述を追記するなどの独自の増補改訂が施されていることから、リバデネイラによる『ロヨラ伝』諸版における記述のあり方の変遷を辿る上でも重要な版です。
著者のリバデネイラ(Pedro de Ribadeneira, 1527 - 1611)は、スペインのトレド出身で裕福な改宗新教徒の家庭に生まれました。13歳の時にファルネーゼ枢機卿(Alessandro Cardinal Farnese, 1520 - 1589)の付き人として1539年にローマに赴いた際に当地に滞在中であったロヨラに強い感銘を受け、イエズス会がローマ教皇によって正式に認可されるわずか数日前の1540年9月18日にイエズス会に入会しています。ロヨラらと2年余り過ごして研鑽を積んだのち、パリ、ルーヴァン、パドヴァ、ローマといったヨーロッパ各地で修辞学の教師としても精力な活動を続け、1553年に正式に叙階されています。
リバデネイラはロヨラ伝である本書をはじめとして、第2代、第3代イエズス会総長の伝記も手掛けたほか、古代からの聖人伝を自身で新たに編纂した作品、イエズス会士著者と著作目録の編纂など、数多くの執筆活動を終生にわたって精力的に続けました。特にスペイン語圏におけるリバデネイラの影響は顕著なものがあると言われており、グスマン(Luis de Guzmán, 1544 - 1605)やピニェイロ(Luys Piñeyro, 1560 - 1620)といった当時を代表する日本関係欧文図書を執筆した著者らにも多大な影響を与えたと言われています。その意味では間接的に、ヨーロッパにおける日本情報の流布のあり方についても本書は少なからぬ影響力を持った作品と考えることができます。
イエズス会創始者であるロヨラの伝記刊行については、その帰天(1556年)から2年後の1558年に早くも計画され、イエズス会の優れた人文学者ペルピニャン(Jean Perpinan or Perpinien, 1530 - 1566)によって執筆されることになっていましたが、彼が若くして亡くなってしまったこともあってしばらく中断してしまうことになります。その後1565年、時の第3代イエズス会総長ボルハ(Francisco de Borja, 1510 - 1572)は、本書の著者であるリバデネイラの著述家としての類稀なる才能をに見出し、彼にロヨラの伝記執筆の命を授けます。リバデネイラは、自身がロヨラの近くにあった経験を存分に生かすだけでなく、入手しうるあらゆる文書、書簡、証言を集め、可能な限り事実に基づいて客観的に記述することを強く意識して執筆を行い、命を受けてから約4年後の1569年にそのラテン語草稿を完成させました。このラテン語草稿は関係者らに回覧され、非常に高い評価を受けたため、イエズス会関係者による注意深い検閲を経た上で、1572年にナポリで出版されました。このラテン語初版は、イエズス会がその関係者の伝記作品を初めて刊行した記念すべき作品で、まずイエズス会関係者のために約500部が印刷されたと言われており、刊行後の評判も非常に良かったことが伝えられています(O’Malley, 2013)。
しかしながら、このラテン語初版はイエズス会最初のロヨラ伝として高い評価を受けた作品であるにもかかわらず、当時のイエズス会内部における反スペイン感情の高まりに基づく組織内で生じた対立にリバデネイラが知らずして巻き込まれてしまったことや、ボルハの跡を継いで第4代イエズス会総長となったメルキュリアン(Everard Mercurian, 1514 - 1580)とリバデネイラとの確執など、いくつかの不運が重なり、イエズス会関係者以外への販売や、普及を促進するためのそれ以降の増刷や翻訳を一切禁じられてしまうという悲劇的な境遇に置かれてしまうこととなりました。このことが大きく災いして、ラテン語初版は、ロヨラ研究やイエズス会による出版活動史などでは必ず言及される作品であるにもかかわらず、今日の古書市場ではほとんど見ることができないという、いわば幻の作品ともいうべき存在になってしまっています。
このような不運に見舞われたリバデネイラは1574年に約25年ぶりに祖国スペインへと戻り、極めて限定的な配布にとどまってしまったラテン語初版を全面的に改訂を施し、より多くの読者にとって親しみやすいスペイン語で執筆することに専念していきます。こうした中、リバデネイラとの関係が悪化していたメルキュリアンが1580年に没し、第5代イエズス会総長に就任したアクアヴィヴァ(Claudio Acquaviva, 1543 - 1615)は、メルキュリアンと対照的にリバデネイラのロヨラ伝スペイン語版の執筆を強力に後押ししたことから、1583年に全命的な改訂が施されたスペイン語版がついにマドリッドで刊行されることになりました。この改訂スペイン語版は絶大な支持を受け、刊行翌年には早くも第2版が刊行されたことを皮切りに、リバデネイラの生前だけでも少なくとも6度もマドリッドで版を重ねただけでなく、1586年にはイタリア語訳版がヴェネチアで、1590年にはインゴルシュタットでドイツ語訳版が、1599年にはフランス語訳版がリヨンで、そして1616年には英語訳版までもが刊行されるなど、ヨーロッパの数多くの俗語に翻訳され、非常に多くの読者を獲得することになりました。このスペイン語改訂版は、ロヨラ自身によって改めてラテン語にも「翻訳」され、アントワープ(1587年)やローマ(1589年)、インゴルシュタット(1590年)、リヨン(1595年)、ケルン(1602年)といったヨーロッパ各地で出版されました。ただし、これらの「ラテン語訳版」は、あくまでも改訂スペイン語版を底本とした翻訳版で、同じ著者によるラテン語で刊行されたロヨラ伝といっても、最初からラテン語で執筆された本書とは大きく異なることに注意が必要です。
このようにリバデネイラによる『ロヨラ伝』は大変複雑な出版経緯を有する作品であると言えますが、これらを鑑みた上で改めて整理しますと、
① 原典として1572年に刊行されたラテン語版
② ①に全面的な改訂を施して1583年に刊行された改訂スペイン語版(当店HPで以前紹介した<AB2021156>)
③ 改訂スペイン語版②を底本とした再版本
④ 改訂スペイン語版②を底本とした翻訳本(②以降に刊行された本書含むラテン語訳版もここに含まれる)
という4種に大別することができ、その中でも、原点となった①と、それに大きく改訂増補を加え、以後の版の底本となった②とが最も重要な版であると言うことができるでしょう。ただし、上記④中のラテン語訳は、リバデネイラ自身が翻訳を手掛けると同時に独自の増補改訂を加えており、他本には見られない記述が含まれていることから、リバデネイラによる『ロヨラ伝』の記述のあり方の変遷を辿る上で、非常に重要な版となっていることにも注意が必要です。本書はまさにリバデネイラ自身による独自の増補改訂が施されたラテン語訳版にあたるもので、1587年にアントワープの名門出版社プランタン社から刊行されています。
上掲①とその全面改訂版である②1583年スペイン語版は、同じ構成をとっていますが、両者の間には大きな相違があるとされており、その相違点や執筆方針の細かな違いこそが、リバデネイラの執筆方針の深化を示すと言う点で非常に重要であると考えられています(O’Malley, 2013 / Roldán-Figueroa, 2016, 2021) 。本書は②を底本としつつもさらに増補改訂が加えられていることから、①と②、そして本書を比較することで、リバデネイラの執筆方針の深化、変遷を跡付けることが可能となる重要な版といえるものです。後述するように本書の特徴は、1583年の全面改訂スペイン語版、そして同版を底本としたラテン語訳版において次第に明確に深められ、本書を基点にしてリバデネイラの目指す「聖人伝」叙述のあるべき姿、ひいては後年のイエズス会による同種の作品や歴史作品の叙述形式の雛形が形作られていったとされています。従って、この3種の異なる版を具に対照しながら、少なくないとされる諸版の記述の相違点を辿ることや、どのような増補改訂が施されていったのかを調査することは、この作品が後世に与えた影響の大きさに鑑みますと、非常に意義のある研究テーマということができるでしょう。
本書の本文は、全5部で形成されていて、伝記作品としてロヨラの生涯を基本的に時系列に沿って叙述する形式を採っています。第1部はロヨラの生誕から1528年にパリ大学に入学するまでを、第2部は教皇パウロ3世によってイエズス会が正式に認可される1540年までを、第3部はイエズス会初代総長として選出される1541年から1550年までを扱っています。第3部後半以降と第4部は、初期イエズス会の動向についての記述が中心を占めるようになりますが、これはロヨラが初代総長としてローマに常駐する必要が生じたことと、ロヨラ自身の伝記事項と初期イエズス会の歴史とが表裏一体であることに対応したものと考えられます。ここではロヨラがイエズス会の基本方針として示した様々な方策も述べられていて、特にロヨラが教育の重要性をいかに強く認識していたかについては詳細に論じられており、コレジオをはじめとする教育機関をイエズス会が手がけることの意義が論じられています。また、第4部ではザビエルのインド宣教と帰天についても一章(第7章、pp.381-)を割いて論じており、マラッカで出会った日本のアンジロー(通称パウロ)との対話をきっかけに日本へと赴いたことや、鹿児島、山口、京都の各地で宣教をおこなったことについても記されています。第5部は主にロヨラの生涯における様々な徳性や彼に由来する奇跡を全13章で紹介するもので、イエズス会による日本を含むインド各地への海外布教活動もロヨラに起因する奇跡的な事績として論じられています。
本書で特に興味深いのは、1585年にローマ教皇グレゴリオ13世と謁見した天正遣欧使節の記述を代表例として日本についての記述が新たに加えられていることです。天正遣欧使節とグレゴリオ13世の謁見についての記述は、本書第2部最後に新たに付け加えられた第19章「インド諸国におけるキリスト教信仰の広まりについて」(p.171-)において見ることができ、使節の概要だけでなく(本書執筆当時の)現在、彼の地においてロヨラの弟子たちによって無数の改宗者が生まれていることが強調されています。本書の底本となったスペイン語改訂版は1583年に刊行されていることから天正遣欧使節についての記述は当然含まれていませんが、同版出版直後に起きたこの出来事をロヨラの事績を語る上で欠かせない重要事件としてリバデネイラは重く捉えたものと思われ、ロヨラ没後の出来事でありながらもロヨラの播いた種の大きな成果の一つとして本書に追記していることは非常に興味深いことと言えます。また、ロヨラの主導によってヨーロッパ各地だけでなくインドにおいても設立されることになった教育機関(コレジオ)について記述した第3部第5章(pp.199-)や第24章(p.326-)では、その誇るべき成果の代表事例として日本のコレジオについても言及されているのを確認することができます。
このような構成で執筆されている本書が果たした役割や意義、その叙述における特徴は、これまで数多くの研究や議論がなされています(O’Malley, 2013 / Roldán-Figueroa, 2016, 2021) が、主に次の点まとめて考えることができます。
1. 成長著しいといえども未だその聖俗両界における基盤が不安定であったイエズス会の権威と影響力を高めることに大いに貢献したこと。
2. ルネサンス以前の「聖人伝」に比べて、記述に際して裏付けとなる証言、文書等に基付くという叙述の方法論に極めて自覚的であり、「実証性」を強く意識していること。
3. 実証性の重視と同時にルネサンス以降に重視された叙述における優れたレトリックで構成されていること。
4. その結果、本書に続くあらゆるイエズス会の著作、出版物の基礎を構築し、後年の出版物は本書の大きな影響の下に出版されていること。
5. のみならず、ルネサンスと宗教改革以降、衰退著しかった「聖人伝」の新たな叙述形式、可能性を開いたこと。
6. その一方で、「実証性」の重視は、後年のロヨラの列福、列聖過程において、その「奇跡」を証明する必要が生じた際に困難な状況をもたらすことになったこと。ただし、本書ではそれまでの版と比べて、ロヨラの「奇跡」を積極的に強調するような記述の変化が見られるという点で、イエズス会とリバデネイラ自身にとってのこの問題をめぐる葛藤を背景とした記述の変遷が跡付けられるということ。
7. 全ての『ロヨラ伝』の基礎となった作品の改訂版である本書において、天正遣欧使節をはじめとした日本情報が追記されることで、以後もこの出来事が人々に長く記憶される大きな契機の一つとなったこと。
リバデネイラは、自身の執筆活動の意義について非常に自覚的で、その著作がイエズス会の将来の活動のために大いに役立つことを意識していたとされています。また、その一方で、執筆活動がイエズス会の利益に叶うだけでなく、書くことそれ自身が神に奉仕することになるという信念を有していたと言われています。その意味において、リバデネイラにとって、著作の執筆活動はある種のMission(宣教、使命)であったと言えるもので、本書はまさにこのリバデネイラのMissionが体現された作品と言うことができます。リバデネイラ自身は、中世以来伝統的なジャンルであった「聖人伝」に対してどちらかと言うと懐疑的な立場を有しており、その叙述の根拠が不明瞭なものだったり、空想に基づくものであることに対して強い不満を有していました。また、ヨーロッパ各地で研鑽を積んだ経験から、ルネサンスによってもたらされた、テキスト批判、原典への回帰といった動向にも親しんでおり、自身の伝記執筆に際しては、リバデネイラ自身のロヨラに接した豊富な経験、リバデネイラ以外のロヨラに接した人々の証言、ロヨラやその関係者が残した夥しい数の書面、著作、書簡といった様々な異なる情報源を、自覚的に区別しながら網羅的に収集、駆使して自身の叙述がこうした確かな情報源に裏付けられることを強く意識しています。その意味で、本書は(もちろん現代的な視点においては様々な不備があるとは言え)科学としての歴史学、実証史学の先駆けとも言える作品となっています。従来の「聖人伝」は、ルネサンスにおいて、エラスムスを中心にして刷新が求められていたことに加えて、宗教改革においてプロテスタントから聖人崇拝を厳しく批判されたこともあって当時衰退傾向にあり、事実ローマにおける新たな列聖作業も1523年から1588年の長きにわたって停止されていました。こうした状況に対して、本書は新しい「聖人伝」の可能性を開く作品となり、実証性と聖性をその叙述において両立させる一つの模範、基盤となりました。
また、リバデネイラはこうした実証性の重視と同時に、優れたレトリックを効果的に用いることで、自身の著作が無味乾燥で退屈な作品とならないことにも非常に注意しており、多くの読者を長年にわたって獲得することにも成功しました。本書におけるこの両立は、以後のイエズス会のあらゆる著作の手本、基礎となり、後年刊行されることになるトルセリーニ(Orazio Torsellino, 1545 – 1599、Horatius Torsellinusはラテン語表記)のザビエル伝をはじめ、イエズス会が手がける著作に多大な影響を及ぼすことになりました。その意味で、本書はイエズス会による著作出版活動の原点となったと作品と言うことができます。
その一方で、リバデネイラによる実証性の重視は、イエズス会がロヨラの列福、列聖を進める上で一つの躓きの石ともなりました。リバデネイラはロヨラが生前に奇跡を起こしたかどうかについて、それまでの版では明記せず、ロヨラの生涯がもたらしたものが結果的にかくも偉大なものであることこそが、ロヨラの生が神の恩寵によるものであったことの証明であるというやや曖昧な記述にとどめています。しかしながら、トリエント公会議以降に新たに定められた列聖条件においては、対象となる人物が奇跡を起こしたことを証明することが定められていたことから、このリバデネイラの曖昧な記述はイエズス会とリバデネイラに困難をもたらすことにもなりました。こうした問題を背景にして、本書ではそれまでの版とは異なって、ロヨラに起因する奇跡がより積極的に強調される記述が付け加えられています。のちにリバデネイラは別の著作においてロヨラが生前に奇跡を起こしたことをさらに明確に認めるに至りましたが、本書はこうしたリバデネイラ(とイエズス会)にとって、ロヨラによる奇跡をめぐる記述についての葛藤を背景にした記述の変遷を跡付けることができる版であると言えます。リバデネイラによるロヨラの奇跡についての記述のこうした変化は後年になって、ピエール・ベール(Pierre Bayle, 1647 - 1706)による批判に代表されるように、実証性を重んじたリバデネイラの方針にそぐわないとして少なからぬ批判を呼ぶことにもなりました。ただし、こうした批判が生じたことはそれだけ本書がロヨラ伝として長年にわたって多大な影響力を有していたことの証であるとも言えます。
国内において諸本が数多く所蔵されているザビエル伝と比べて、ロヨラ伝はその蔵書数が著しく少なくまた十分な研究がなされているとは言えないのが現状です。しかしながら、ザビエル伝とその記述や表象の変遷を理解する上でも、ロヨラ伝の研究は不可欠と言えるもので、イエズス会を代表する二人の創始者の伝記作品がどのように執筆され、描かれ、また変化していったのかということは、両名の伝記作品の重要諸本の研究によって初めて可能になることから、ロヨラ伝の研究は今後一層重要となるのではないかと思われます。その意味でも、ロヨラ伝の原点となったリバデネイラによる『ロヨラ伝』のラテン語初版、それを底本としつつ大幅な増補改訂を施したスペイン語改訂版、そしてそこからさらに独自の増補改訂が加えられた本書であるラテン語増補改訂版は、そうした研究の基本史料として必須の重要作品と言えるでしょう。
*上記解説文の作成に際しては下記の文献によるところが大きく、多くの記述は(もちろんその誤りは店主が責を負うものですが)これらの優れた先行研究に拠っています。
Rady Roldán-Figueroa.
Pedro de Ribadeneyra’s Vida del P. Ignacio de Loyola(1583) and Literary Culture in Early Modern Spain.
In: Robert Aleksander Maryks(ed.). Exploring Jesuit Distinctiveness: Interdisciplinary Perspectives on Ways of Proceeding within the Society of Jesus. (Jesuit Studies 6)
Leiden: Brill, 2016.
Rady Roldán-Figueroa.
The Martyrs of Japan: Publication History and Catholic Missions in the Spanish World (Spain, New Spain, and the Philippines, 1597-1700). (Studies in the History of Christian Traditions 195)
Leiden: brill, 2021.
John W. O’Malley.
Saints or Devils Incarnate?: Studies in Jesuit History. (Jesuit Studies 1)
Leiden: Brill, 2013.
Hitomi Omata Rappo.
Des Indes lointaines aux scénes des colléges: Les reflets des martyrs de la mission japonaise en Europe (XVIe - SVIIIe siécle)(Studia Oecumenica Friburgensia 101).
Múnster: Aschendorff Verlag, 2020.