書籍目録

「日本内地の旅と富士登山、熱海温泉訪問記」(『王立地理学協会雑誌』第31号収録)

オールコック

「日本内地の旅と富士登山、熱海温泉訪問記」(『王立地理学協会雑誌』第31号収録)

1861年 ロンドン刊

Alcock, Rutherford.

Narrative of a Journey in the Interior of Japan, Ascent of Fusiyama, and Visit to the Hot Sulphur-Baths of Atami, in 1860. (In THE JOURNAL OF THE ROYAL GEOGRAPHICAL SOCIETY. VOLUME THE THIRTY-FIRST)

London, John Murray, 1862. <AB202466>

¥121,000

8vo (14.3 cm x 22.1 cm), (pp.321-356), Original pictorial paper wrappers.
出版当時の仮綴本で本体も未開封の状態。

Information

西洋人による初の富士登山を刊行したオルコックが最初に発表した富士登山記

 本書はイギリスで最も権威ある地理学会である王立地理学協会(Royal Geographical Society)の発行する紀要の第31号で、西洋人で初めて富士登山を行った駐日イギリス公使オールコック(John Rutherford Alcock, 1809 - 1897)による富士登山記(Narrative of a Journey in the Interior of Japan, Ascent of Fusiyama, and Visit to the Hot Sulphur-Baths of Atami, in 1860. )と地図(Japan. Map to illustrate a journey from the CITY of YEDDO to the MOUNTAIN OF FUSI-YAMA; Performed by Rutherford Alcock.)が収録されています。

 オールコックは1860年7月に幕府の反対を押し切って富士登山を決行し、西洋人として初めて富士山を登った人物となったことはよく知られています。本書に収録されているオールコックの富士登山記は、その速報記事と言えるもので、オールコックが帰国中に王立地理学協会で行った講演が元となっています。オールコックによる富士登山は、オールコック自身の個人的関心に加え、外交官の内地旅行特権の象徴的な行使という側面もあったと言われていますが、オランダ商館関係者らによって西洋に古くから伝えられていた富士山に対する関心という歴史的な背景もあったのではないかと思われます。この時の富士登山については、同行したイギリスの新聞『Times』の記者によって、1860年11月29日号において早速報じられており、その詳細な報告が長らく待たれていたものと思われ、それに応える形で下賜休暇でイギリスに一時帰国する機会を生かして王立地理学講演でオールコック自身によって報告がなされ、その内容が本書に収録されることになりました。

 本書は王立地理学の紀要として当然ながら地図の収録、とりわけこれまで西洋人に知られていなかった地域の新しい地図の発表と考察を重要視しており、オールコックの富士登山報告は、長らく西洋人に知られていたものの、それまで誰も実際に登ることが許されてこなかった富士山の実体験に基づく報告と、その際に作成された富士山周辺の地図という二つの新しい知見をもたらすこととなりました。この地図には江戸から富士山に至るまでオールコックがとったルートが示されており、河川や山脈、主要都市の情報も簡単ながら描かれています。当時、まだ西洋人がほとんど日本国内を自由に移動することが許されていない状況にあって、オールコックが決行した富士登山は様々な面から関心を惹起する興味深い出来事であったと言えます。

 なお、オールコックは自らの日本滞在記を単著としてまとめた『大君の都』(The capital of the Tycoon. 2 vols. London, 1863)にも富士登山のことを詳細に論じていますが、本書に収められた地図は同書には収録されておらず、本書でしか見ることのできない貴重なものとなっています。