書籍目録

『富嶽百景:北斎による富士(富士山)を描いた百の風景』

ディキンズ

『富嶽百景:北斎による富士(富士山)を描いた百の風景』

1880年 ロンドン刊

Dickins, Frederick. Victor.

FUGAKU HIYAKU-KEI. OR A Hundred Views of Fuji (Fujiyama) by HOKUSAI. INTRODUCTORY & EXPLANATORY PREFACES, WITH TRANSLATIONS FROM THE JAPANESE, AND DESCRIPTIONS OF THE PLATES.

London, B.T. Batsford, 1880. <AB202464>

¥220,000

16.0 cm x 22.6 cm, pp.[i(Title.)-xi], xii-xviii, double pages plate, pp.[1], 2-54, double pages plate, pp.55-70, 1 leaf(advertisements), Contemporary card boards, bound in Japanese style.
刊行当時に施されたと思われる厚紙表紙の和綴製本だが綴じ糸は近年のもの。鉛筆による書き込みが随所に見られる。

Information

『富嶽百景』を初めて西洋に紹介した記念すべき著作

 本書はフレデリック・ディキンズ(Frederick Victor Dickins, 1838 - 1915)による葛飾北斎の「富士百景」を紹介した作品で、西洋社会に「富士百景」を最初に紹介した記念すべき重要著作として知られているものです。そうした高い評価を得ている一方で、奇妙なことに現存本がほとんど確認できず、国内研究機械においてもその所蔵が皆無と思われる希少な1冊です。

 ディキンズは、1863年に来日して以降、法律専門家としてイギリス公使館で勤務する傍ら、日本語と日本研究に没頭し、アーネスト・サトウらとも親しく交流したことが知られる幕末から明治期における最初期の日本学者です。時に親しかった南方熊楠からの手厳しい批判を受けながらも、1879年の帰国後も自身の日本研究を精力的に深め続けました。『竹取物語』や『方丈記』といった日本の古典を次々と英訳して西洋社会に紹介するなど、彼の日本学が当時の西洋社会に与えた影響は非常に大きかったと思われます。

 本書はそのディキンズが帰国後間もない1880年に刊行した著作で、彼が公刊した日本研究所としては最初期の作品に当たるものです。初来日時に彼が感銘を受けたという「富士山」について、その威容と美しさを最も適切に表現した日本の作品としてディキンズが注目したのは、葛飾北斎の「富士百景」で、本書ではこの作品と著者(絵師)である葛飾北斎の紹介と部分的な英訳、ならびに日本における富士山の歴史的な位置付けと重要性を解説しています。本書が刊行された当時すでにジャポニスムは欧米各国に広まりつつありましたが、葛飾北斎に関する本格的な伝記資料はまだ刊行されておらず、また北斎を正面から論じた研究成果も限られていたことから、その執筆には大変な苦労が伴ったのではないかと思われます。

「『百景』の全貌をヨーロッパで初めて紹介したのはイギリスの軍医で後に弁護士として横浜の領事裁判所に務めたディキンズである。1863 年の初来日時に長崎市中で『北斎漫画』を入手して以来、その紹介に全力を注いだ。
 『百景』の解説と翻訳は1860年代から始まっていたようだ。その構成は、序文と、『和漢三才図会』(1712 年)による富士山についての解説等に続いて、『百景』第1編から第3編までの序文の英訳と全図の記述がカタログ番号付きで、間違いなく102 点について掲載される。「マミアナ」のような不思議な説明も少なくはないが、概要は確かに把握されている。そして最後に、1691 年に長崎から江戸に向かったドイツ人医師ケンペル (Engelbert Kämpfer, 1651-1716)の『日本誌』(The History of Japan, 1727)から富士山についての記述を付録として引用して全体を補っている。
  この時点ではまだ、まとまった伝記情報はほとんど利用できなかった。虚心による伝記は 1893年の刊行である。18頁からなる序文では、そのためか、 ほとんどが『漫画』の序文と『和漢三才図会』をもとに解説が試みられている。ディキンズが言葉で称賛するのは、既成概念に囚われずに、しかも夥しい数の独創的な素描を生み出す北斎の「天才」的な能産的な創造力である。彼によれば、「西洋の基準にしたがったとしても北斎が真の天才の持ち主であることに疑いの余地はない」。
 ここで北斎が、19 世紀西洋の近代的な美学理論にもとづいて「天才」的な 「芸術家」として理解されていることを確認しておこう。ただし、この賛辞には修辞的な誇張に近いところがないわけではない。北斎や浮世絵の芸術性について称賛した後には、いつも基本的には態度を保留して、友人のアンダースンやサトウによる今後の研究の成果を待つと断っている。最終的には芸術性よりも世態風俗や自然(とくに火山としての富士山) や人工物についての博物学的な情報源として魅力が彼を惹きつけていたのかもしれない。」
(加藤哲弘「欧米における北斎の『富嶽百景』の評価」関西学院大学人文学会『人文論究』第71巻第1号、2021年所収論文、61-62ページより)

 このように本書は非常に高く評価されている作品ですが、それにもかかわらず国内主要研究機関における所蔵は皆無のように見受けられます。サトウやチェンバレンといった日本研究の対価と同時代に(あるいは先駆けて)本格的な日本研究を行なった人物であるにも関わらず、相対的にディキンズのことは現在の日本ではあまり知られているとは言えず、こうした認知度の低さが所蔵常用に反映されているのかもしれません。また、日本国内に限らず海外の研究機関においても本書の所蔵がほとんど確認できないことに鑑みると、そもそも発行部数が極めて限られていた私家版のような作品であったのかもしれません。いずれにしましても、西洋社会に「富士百景」を初めて本格的に紹介した極めて重要な著作として、改めて多方面からの研究が待たれる1冊と言えるでしょう。