書籍目録

「英国ならびに諸外国政府による1870年までの調査による日本(本州、九州、四国)と朝鮮の一部の沿岸海図」付属「英国議会文書商業報告第18号付属(日本)地図」

英国水路部ほか

「英国ならびに諸外国政府による1870年までの調査による日本(本州、九州、四国)と朝鮮の一部の沿岸海図」付属「英国議会文書商業報告第18号付属(日本)地図」

(海図2347号)(英国議会文書商業報告No. 18A(1875) [C. 1355-1] 1873年 / 1876年 ロンドン刊

HYDROGRAPHIC OFFICE / Walker, J. and C. (engraver)

Preliminary Chart of JAPAN NIPON, KIUSIU & SIKOK AND PART OF THE KOREA From British & Foreign Government Surveys to 1870. [with] MAP BELONGING TO Part V of "Reports by Her Majesty's Secretaries of Embassy and Legation on the Manufactures, Commerce, ...

London (Published at the Admiralty) / London, (Sold by ) J. D. Potter (Agent for the Admiralty Charts) / HARRISON AND SONS, (Published at the Admiralty 10th Nov. 1863 Corrections) Jan. y(ear of 18)73 / 1876. <AB201793>

Sold

1 rolling chart. 68 cm x 102 cm / 1 folding map. 67.7 cm x 73.0 cm (Folded: 17.5 cm x 25.5 cm),
左下部端の一部に破れがあるが、全体として良好な状態。

Information

日本海軍水路部創設(1871年)までの英国による測量成果と設置灯台を示した日本沿海図とそれを元に作成された日本の鉱物資源産出地を彩色で示した議会報告付属地図

 幕末期から明治初期にかけて日本に来航した諸外国にとって、日本沿海の水路情報を正確に把握することは、極めて喫緊の課題でした。ペリー来航以前の19世紀はじめから既に複数の外国船が日本近海を航海し部分的な測量を始めていましたが、1858(安政5)年の条約締結以後は、開港の決まった長崎と横浜への安全な航路を把握するために、イギリスを中心とした列強諸国が本格的な日本沿海の測量の必要性を幕府に求めていきます。

 本図は、こうした要請に基づいて作成、改訂されていった英国水路部が作成した海図で、当時の日本の主要領土であった本州(当時外国ではNiponと呼ばれていました)、九州、四国を中心に、朝鮮半島沿岸を含めた広域全体を示しています。水路部作成の海図には、その対象地域ごとに番号が振られており、この図は、2347号と呼ばれるものです。

 2347号海図は、日本を対象とした英国水路部作成の海図の中では最も古い歴史を有しており、その最初は1828年にまで遡ります。これは、日本近海を航海し部分的な測量を行ったクルーゼンシュテルン(Adam Johann von Krusenstern, 1770 - 1846)の成果に基づく地図帳の日本図を元に作成されています。日本近海の英国自身の測量はこれ以降しばらく目立った成果がありませんが、オランダやロシアの部分的な測量成果に基づき、2347号海図は改訂を重ね、1855年、1861年、1862年とに出されています。大きな変化は1863年の改訂で、この年の5月と11月の二度にわたって大きな改訂が施されており、この改訂は、水路部が幕府より提供を受けた伊能図に基づいてなされたことで非常によく知られています。

 これまでの2347号海図の研究では、1863年の改訂版に多くの注目が集まってきましたが、英国を中心とした外国測量船による継続的、かつ本格的な測量は、これ以降に本格化しており、特に開港市と定められた兵庫(神戸)を要する瀬戸内海は、海上交通の要衝である一方、極めて航海が難しい難所としても知られていたことから、集中的な測量が行われ、これらの成果を迅速に海図として出版することが続けられました。また、明治政府最初の御雇外国人である、スコットランド出身のイギリス人、ブラントン(Richard Henry Brunton, 1841 - 1901)によって精力的に整備が進められた灯台施設についても海図上に記されていきます。

 本図は、こうしたこれまでの研究の中心であった1863年改訂版以降である、1870年までの測量成果に基づいて改訂された2347号海図で、1873年に刊行されたものです。明治政府による日本水路部(当初は水路寮)はようやく1871年に発足し、イギリス水路部の協力を得ながら、次第に独力で測量と海図作成を行うようになっていきますが、本図は、日本水路部発足直後の日英協力時に刊行されたもので、伊能図をベースに作成された地図に、英国を中心とした諸外国による測量成果を充実させ、それらが再び、日本の水路部に影響を与えて、日本独自の海図作成を促していくという極めて興味深い経緯を物語る海図と言えるものです。

 出版社は、当時の英国海図の専売代理会社Potterで、版を作成したのは、地図帳の出版と英国海図作成で知られるウォーカー(Walker, J. and C. (? - 1895)です。元もは二つ折りにして保管されていたのか、中心部に大きな折り目があり、その裏側には和紙のような薄紙で補強がなされています。

 また、本図には、これを元に作成されたと思われる関連地図として、英国議会文書の添付資料として1876年に作成された日本図が付属しています。この地図は、日本の商業報告文書の添付資料として作成されたもののようで、日本の商業政策上重要であった金、銀、銅などの鉱物資源産出地を色彩で表現しているものです。地図に記されたタイトルは、本図と全く同じですが、その用途は全く異なっているもので、当時の英国による日本に関する情報把握の多面性をうかがい知ることができる興味深い地図です。

1870年までの英国を中心とした各国測量成果と水深については1866年までのドーブ号などの調査による改訂がなされている旨が表記されている。また、伊能図をベースに幕末の1863年に英国水路部によって作成された同図にはなかった灯台関連施設の略記についての記載があるなど幕末から明治初頭に急速に進む測量成果に基づく改訂がなされている。(F.は不動光、Fl.は点滅灯、Rev.は回転灯とある)当時の価格は3シリング。
全体図。
中心部に大きな折れ目があり、元々は二つ折りにされていたのではないかと思われる。下部には出版社情報の記載があり、当時の英国海軍海図の専売代理会社Potterの名を見ることができる。
右下下部には本図のナンバーである2347との表記がある。2347号は、本州、四国、九州全体と朝鮮半島の一部沿岸地域の海図に当てられた番号で、1828年以降改訂がなんども行われている。著名なのは1863年5月と11月の改訂版で、伊能図をベースにしたことから急速にその精度が高まった。だが、以降の改定の経過と変遷についてはこれまでほとんどよく知られていないと思われる。
地図左下。
朝鮮半島沿海は、日本沿海と比べて測量が進んでいないようで、不明瞭なところも多く、改訂もあまりなされていないようである。
長崎や下関といった重要地については夥しい水路情報が記載されている。
1868年に開港地神戸を有しながら、海路の難所として有名だった瀬戸内海近辺は英国はじめ諸外国にとって正確な測量とその情報の共有が急務であったことから、灯台施設はじめ水路情報が極めて豊富。
言うまでもなく東京、横浜近海についても同様に情報量が非常に多い。
東北沿海についても測量と灯台施設設置が進んでいることがわかる。
付属する議会文書商業報告付属日本地図の表紙。いわゆる「ブルーブック」だが、彩色地図資料というのは珍しい。
地図に明記されたタイトルは、先の海図と全く同じでそれをベースマップとして、異なる用途に応用したものと思われ興味深い。
石炭や、銅、金銀など商業上重要な鉱物資源の産出地を彩色によって表現している。
この図は折り畳むことでブルーブックの表紙に収まるサイズとなる。