書籍目録

『東方への渡し板』

バーサ・ラム

『東方への渡し板』

1936年 ニューヨーク刊

Lum, Bertha.

GANGPLANKS TO THE EAST.

New York, The Henkle-Yewdale House, Inc, 1936. <AB2020275>

Reserved

13.0 cm x 20.2 cm, pp.[1(blank), 2(Front.), 3(Title.)-13], 14-315, 2 leaves(blank), Original green cloth with the dust jacket.
緑の布装丁にシミあり、見返しに旧蔵者の押印あり、全体として良好な状態。[NCID: BA87968711]

Information

ラムによる最もまとまったアジア画文集

 バーサ・ラム(Bertha Lum, 1869 - 1954)は、1903年に新婚旅行で初来日して以降、1908年、1911年と幾度となく日本を訪れて滞在し、浮世絵彫師である伊上凡骨や摺師西村熊吉のもとでの修行をはじめとして、日本の浮世絵版画職人らとの交流を通じて独自の作品を多数残しました。当初は日本の浮世絵の構図や主題を強く意識した作風でしたが、徐々に独自の世界観を表現するようになり、特にラフカディオ・ハーンの日本の妖怪や伝承の世界に強く惹かれ、それらをモチーフとする幻想的な作品を生み出しました。1922年には北京に滞在し、アジア各地を訪問して旅先の風景や伝承を題材とした作品も制作しています。

 本書は、ラムによる著作としては最もまとまったものと言えるもので、日本、朝鮮、中国、フィリピン各地における伝統的な祭りや風景を、ラムが独自の視点で多くの挿絵とともに描いたものです。急速な近代化にも関わらず、日本をはじめとしたアジア各地では、依然として人々の生活に深く結びついた伝統や、風習、祭祀が残されていて、行きずりの外国人旅行者にとっては見落としがちなこうした側面が、日本や中国に長く滞在したラムならではの視点で記されています。日本については、首都である東京についての記述から始まり、お盆、日光、京都、瀬戸内といったテーマを設けて約100ページにわたって論じられています。これらの記述は、ラムが本書と同時期に出版した日本についての英文ガイドブック『日本10日間の旅』(Ten days in Japan, Canada, c.1935)や、1922年に出版した『(日本の)神々、妖怪たち、幽霊たち:極東のこの世のものならぬ伝説集』(Gods, Goblins, Ghosts. Philadelphia / London, 1922)と並んで、ラムによる日本論の中心となるものと思われます。日本についての章に収録されている挿絵は、「狐女(The fox woman」、「川祭り(A river festival)」、「祭り(A street festival)」、「『能』の舞手(A “No” dancer)」、「芸者(Geisha)」といずれも、ラムが幾度も主題にして描いた題材のものばかりですが、既存の木版画やそれ以外の作品からの再録ではなく、本書のために新たに描き下ろしたもので、本書でしか見られない作品のようです。


「バーサ・ラム Bertha LUM (1869-1954)
 1869年アメリカ合衆国アイオワ州ティプトンで生まれる。1895年アート・インスティテュート・オブ・シカゴのデザイン学部に入学。翌年から1901年にかけて、イラストレーターのフランク・ホルムの学校とステンドグラス・デザイナーのアンナ・ウェストンの工房で指導を受け、その後再びアート・インスティテュート・オブ・シカゴで人体デッサンを学んだ。1890年代のシカゴはアーツ・アンド・クラフツ運動の中心地であり、アーサー・ウェズリー・ダウによって木版画が広められていた。
 1903年に新興旅行で初来日。浮世絵版画と版画職人を探し、帰国直前に横浜の老職人と出会うことができた。わずかな時間で技法を習い、彫刻刀と筆を購入した。帰国後ダウの本を手がかりに木版画の小品を制作する。1907年再来日し14週間滞在。美術史家岩村透のしょうかいで、彫師伊上凡骨のもとで3カ月学び、さらに摺師西村熊吉について数カ月修行する。この頃『蘭夢』という楽観を作る。帰国後数年間、自刻・自摺の版画を制作するが、1911年末には幼い娘たちを伴って再び日本を訪れた。この時は、家を借り、彫師と摺師を常駐させて制作した。1912年5月、《狐女》(1907年)を第10回太平洋画会展に出品。ラムは、ラフカディオ・ハーンの日本の伝説を題材とした物語から強い影響を受けたが、《狐女》はその典型的な作品である。
 その後数度にわたる日本滞在を経て、1922年秋には中国を訪れ、娘たちと北京に家を借りて住んだ。最初中国人の木版画職人を雇って制作したが、多色木版の制作が困難だったため、湿した紙に版木で隆起線を空刷りし手彩色する『盛り上がり線』の技法を考案する。1931年にはジャワ、シンガポール、スエズを歴訪し、1936年には木版画を再版するために7度目の来日をした。第二次世界大戦中はアメリカで暮らすが、1948年娘たちのいる北京に戻る。1953年北京を離れ、翌年イタリアのジェノヴァで死去した。」
(沼田英子氏によるラムの紹介記事、横浜美術館『アジアへの眼 外国人の浮世絵師たち』1996年所収、48頁より)

*ラムの来歴、作風については、スミソニアン博物館による書籍(Marry Evans L’Keefe Gravalos / Carol Putin. Bertha Lum. (American Print-Makers. A Smithonian Series). Washington, D.C., 1991)、ならびに、横浜美術館による前掲書所収の猿渡紀代子氏の「江戸浮世絵と現代飯をつなぐもの」を参照。

見返しには旧蔵者の押印あり
口絵とタイトルページ
出版事項
目次
序文冒頭箇所
ラムによる本書収録挿絵一覧
日本についての章冒頭箇所、「東京」
「狐女(The fox woman」
「お盆」
「川祭り(A river festival)」
「日光」
「祭り(A street festival)」
「京都」
「『能』の舞手(A “No” dancer)」
「瀬戸内」
「芸者(Geisha)」
ラムの意匠に基づく紙表紙も現存しているのは貴重。