書籍目録

『護衛艦(フリゲート)ラウタロ号の日本への航海』

マルファン

『護衛艦(フリゲート)ラウタロ号の日本への航海』

書評記事を集めた小冊子(一部欠落)付属 1938年 サンティアゴ刊

Marfan, Alejo.

VIAJE AL JAPON DE LA FRAGATA “LAUTARO”…

Santiago, Jeneral Diaz, 1938. <AB2020262>

Sold

With a small booklet of the book reviews.

18.0 cm x 26.0 cm, Title., 2 leaves, Front., pp.[1], 2-240, [some folded] plates / charts, maps, photos: [41], Later cloth boards.
用紙に酸化傾向が見られるが、大きな破損や欠落等はなく、概ね良好な状態。

Information

知られざるチリ海軍による日本航海、滞在記

 本書はチリの軍艦(フリゲートと呼ばれる巡洋艦)であるラウタロ号が1919年から1921年にかけて行った遠洋航海の記録です。チリ海軍の物資輸送を主な任務としていたこの航海の主要目的地であった日本についての記述が中心となっており、海軍少佐マルファンをはじめとした乗員が滞在した日本各地の様子や交流した人物について、数多くの写真、書簡のファクシミリなどとともに描かれています。航海終了から10年以上が経過した1938年にチリのサンディエゴで刊行された書物ということもあってか、これまで国内で紹介された形跡がないと思われる文献です。

 本書の著者である日本航海時にラウタロ号船長であったマルファン(Alejo Marfan)についての詳しい情報はわかっていませんが、本書中の補遺に伝記的な記事も収録されていますので、そこからある程度の経歴を確認することができるかもしれません。本書冒頭の序文に続いて、ラウタロ号の来歴と装備、大きさをはじめとした船舶情報、主要乗組員の紹介などが掲載されています(第1章)。本文では、ラウタロ号が1919年9月にチリを出発してホノルルを経由して、目的地である日本に辿り着くまでの記述に加えて、感情で水夫が歌う歌の楽譜や、滞在したホノルルやワイキキの様子についても詳しく言及されています(第2章)。

 ラウタロ号は、1919年10月23日にホノルルを発って神戸へと向かいます。これ以降の記録は第3章(43ページ〜)に収録されていて、途上で遭遇した台風についての詳細な気象情報とその分析も掲載されています。台風の影響もあって困難な航海でもあったようですが、無事に神戸へと到着し、当時の大阪日日新聞に掲載された、ラウタロ号到着を報じる写真入り記事の切り抜きも転載されています。
 
 第4章(61ページ〜)からは、日本での滞在中の出来事についての記録となっていて、日本滞在中にマルファン初め乗員が日本各地を尋ね、また多くの日本の軍人や政財界の人物とも交流を深めたことが分かります。第4章は、神戸から大阪、京都、奈良へと関西各地に足を伸ばしたマルファンは各地で見聞したことを記録しているだけでなく、「日本の人々についての私の意見」など、自身の見解や、交流した日本の人々とのエピソードなどを盛り込んであり、紀行文としても充実した内容となっています。また、第4章以降の日本滞在中の記事には写真もふんだんに掲載されており、マルファンらが滞在した各地の様子や雰囲気が写真からもいきいきと伝わってきます。

 第5章(91ページ〜)は、神戸を発って横浜へと向かう航海の記録で、海難所として知られる潮岬沖を抜けて太平洋へと大きく南に航路を振ってから、再び北上し伊豆半島の下田を経由して横浜に入るまでの航海記が収録されています。この章末尾には、この時の航路を描いた折込地図も収録されています。

 第6章(97ページ〜)は、横浜寄港中の出来事を記録しており、在横浜チリ領事との会談に始まり、横浜各地の様子を写真と共に伝え、また、のちに外務大臣、駐米大使となる当時海軍高官だった野村吉三郎から海軍主催の歓迎晩餐会に招待された際の様子を野村からの毛筆で認められた招待状のファクシミリを掲載して記しています。当時の海軍軍令部長だった島村速雄からも歓迎晩餐会の招待を受けており、同様に招待状のファクシミリを掲載するなど、横浜寄稿中は特に海軍関係者との親交を深めた様子が伝わってきます。こうした公式な交流だけでなく、観光も大いに楽しんだようで、当時来日外国人の観光地として人気の高かった鎌倉大仏前での記念写真や、箱根、日光、東京や横浜各地の様子を殺絵したスナップ写真も多数掲載されています。

 第7章(119ページ〜)は、横浜を経って帰路につきホノルルへと向かう航海記、第8章(127ページ〜)は、再び寄港したホノルルでの滞在期、第9章(135ページ〜)は、ホノルルを発って地理のバルパライソへと向かう航海記で、この章末尾には航海全体の航路を描いた折込図が収録されています。本文最終第10章(156ページ〜)は、帰着したバルパライソでの航海の終わりを記した内容となっています。169ページ以降は補遺(Anexos)となっていて、退官後のマルファンについての記事など後日談的な記事や、海軍、海洋語彙集など読者の便を図る内容となっています。

 また、本書には、1930年に刊行された本書についての書評記事を集めた小冊子が挟み込まれていて、惜しくも最終部あたりと思われる数枚が欠落してしまっていますが、1938年の本書刊行当時の各方面から寄せられた書評記事から、当時の本書に対する反響を窺い知ることができる興味深い内容となっています。

 本書は、日本への航海と日本での滞在記を中心とした書物であるにもかかわらず、チリのサンティアゴで1938年に刊行されたということもあってか、これまで国内ではほとんど紹介された形跡を見つけることができない文献となっています。国内研究機関における所蔵が皆無であるばかりでなく、国外での所蔵も極めて限られていることに鑑みると、発行部数そのものが多くなかったのかもしれません。いずれにしましても、当時日本を訪ねたチリ海軍関係者による写真や、ファクシミリを多数交えた記録である本書は、改めて読まれるべき日本関係欧文図書と言えるでしょう。

後年に施されたと思われるクロス装丁。用紙に酸化傾向が見られるが、綴じ直しもされていて、大きな破損や欠落等はなく、概ね良好な状態。
タイトルページ。
目次。
口絵①。神戸港に停泊するラウタロ号。
口絵②。著者マルファン。
ラウタロ号の主要スペック。
ラウタロ号の日本航海時の主要関係者の肖像。
本文冒頭箇所。第1章から第2章までは出発と、寄港地ホノルルまでの航海と滞在記録。
写真が数多く収録されているのも本書の特徴。
第3章は、ホノルルから神戸に向かう航海記録。
この時に遭遇した台風についても観測した気象記録を掲載している。
ラウタロ号の到着を報じる大阪日日新聞の記事も転載している。
第4章は、神戸から大阪、京都、奈良へと関西各地に足を伸ばしたマルファンは各地で見聞したことを記録しているだけでなく、「日本の人々についての私の意見」など、自身の見解や、交流した日本の人々とのエピソードなどを盛り込む。
訪問した各地の様子を撮った写真を多数掲載している。
第5章は、神戸港を発って横浜港へと向かう航海記録。
章末に航路を描いた折込地図が収録されている。
第6章は横浜、東京をはじめとした関東近郊各地の滞在記録。
当時海軍高官だった野村吉三郎から海軍主催の歓迎晩餐会に招待された際の様子を野村からの毛筆で認められた招待状のファクシミリを掲載して記している。
当時の海軍軍令部長だった島村速雄からも歓迎晩餐会の招待を受けており、同様に招待状のファクシミリを掲載。
公式な交流だけでなく、観光も大いに楽しんだようで、当時来日外国人の観光地として人気の高かった鎌倉大仏前での記念写真や、箱根、日光、東京や横浜各地の様子を殺絵したスナップ写真も多数掲載されている。
第7章は、横浜港を発ってホノルルへと向かう航海記で、以下帰路の様子を描いた第10章までで航海記を終える。
第10章末尾には、航海全体の航路を描いた折込地図を収録。
本文に続いて収録されている補遺の内容。
本書に挟み込まれている、1940年に刊行された本書の書評記事を収録した小冊子。
各方面からの書評記事が掲載されており、本書刊行当時の反応を伺うことができる興味深いもの。
残念ながら末尾部分が欠落しているが、残存分だけでも十分に有用。