書籍目録

「1841年1月7日、アンソン湾において、サルファー号、カライオペ号、ラーン号、スターリング号を伴ったイギリス東インド会社の誇る鉄製汽船ネメシス号による中国の軍用ジャンク船撃滅図」(アヘン戦争図)

ダンカン

「1841年1月7日、アンソン湾において、サルファー号、カライオペ号、ラーン号、スターリング号を伴ったイギリス東インド会社の誇る鉄製汽船ネメシス号による中国の軍用ジャンク船撃滅図」(アヘン戦争図)

(彩色銅版画) 1843年(5月30日) ロンドン刊

Duncan, Edward.

The Hon. E.I. Co. Iron Steam Ship NEMESIS, Lieut. W. H. Hall, R. N. Commander, WITH BOATS OF SULPHUR, CALLIOPE, LARNE AND STARING, DESTROYING THE CHINESE WAR JUNKS, IN ANSON’S BAY, JAN.Y 7TH. 1841...

London, Messing Fores, (May 30th) 1843. <AB2020250>

Sold

37.0 cm x 51.3 cm, 1colored engraving, mounted on card board.
厚紙に貼り付けられた状態で、端部に傷み、ヤケが見られるが、全体として退色もなく概ね良好な状態。

Information

「アヘン戦争図」として著名な図版に潜む多くの謎を解明する手がかりとなる、これまでの研究で言及されたことのない貴重版

 本図は、世界史の教科書でも「アヘン戦争図」としてお馴染みの銅版画で、1841年1月7日のアンソン湾(Anson’s Bay)とイギリスで呼ばれていた広州近郊の珠江河口付近にある虎門での戦闘場面を描いたものです。海洋画の名手として名高かったエドワード・ダンカン(Edward Duncan, 1803 - 1882)によって描かれた油絵にもとづいて、ダンカン自身が銅版を制作して印刷された銅版画で、印刷後に手彩色による鮮やかな着色が施されています。ダンカンによるこの作品は、後述するように商業用に大量生産されたり、何かの書籍に収録されたものではなく、本図に描かれているネメシス号を製造したレアード社とその親しい関係者に配るために、ごく少部数のみが特別に印刷されたものと思われ、現存するものは世界的に見ても多くありません。にもかかわらず、彩色が施されているものとそうでないもの、描かれている対象や解説文が異なる2種類が存在していることが知られていて、この違いが、本図が制作された意図や背景をめぐる「謎」として議論されている作品でもあります。このように彩色の有無と2種類の異なる異刷が存在する図において、本図は、これまで言及されたことがないと思われる彩色図で、非常に著名な作品でありながら、これまで「謎」とされてきた疑問点を解明するための大きなヒントを提供してくれる貴重な1枚と言えるものです。

 ダンカンによるこの作品については、吉澤誠一郎「ネメシス号の世界史」(大阪大学文学部西洋史学研究室『パブリック・ヒストリー』第10号、2013年所収)による優れた論考があり、作品を理解する上で非常に大きな助けとなります。同論文では、この作品が高等学校で採用されている世界史Bの教科書22種のうち19種までにおいて採用されている非常に有名な作品である一方、そこに描かれている内容とその意義、背景事情については、非常に不明な点が多いことが見過ごされてきたこと、また、描かれている内容が異なる2種類が存在することと、それをめぐる「謎」について考察されています。

 まず、描かれている内容についてですが、一見すると、この作品はイギリスによる最新の鉄製汽船が圧倒的な科学力・軍事力を背景に、海上戦において中国のジャンク船を圧倒している場面を描いているように見受けられます。アヘン戦争が持った世界史における衝撃的な意義を知る後年の視点から見ると、まさにこの作品は、アヘン戦争の実態を象徴的に描いた作品として非常に理解しやすい作品のように思われます。しかしながら、そのような後年の印象と異なり、同論文は、アヘン戦争においては、艦隊と艦隊とが海上で砲撃を交えるような海上戦が主戦となったのではなく、清朝側は、河口に設けた砲台を主戦力として、それに対してイギリス側は、上陸部隊と汽船からの砲撃とを組み合わせるという海陸を交えた戦闘が行われ、どちらかというと陸戦を主としていたことが指摘されています。また、イギリス側の汽船からの砲撃についても、砲撃の主力となるような大型汽船は、陸上砲台を攻撃できる射程範囲となる浅瀬の海域には近づくことができなかったこと、喫水の浅い特殊な鉄製汽船であったネメシス号が例外的に海上からの攻撃として効果を発揮したものの、その手段は大砲砲撃ではなく、コングリーヴ・ロケットと呼ばれるロケット花火のような特殊な攻撃手段によるものであったことを指摘しています。さらに、イギリスの圧倒的な科学力と軍事力の象徴のように思われる鉄製汽船軍艦は、アヘン戦争時のイギリス艦隊においては、まだまだ実験段階の例外的な存在に過ぎず、この作品で描かれているネメシス号は試験的意味合いを持って実戦に投入されたもので、主戦力の大部分は木製汽船であったことが指摘されています。つまり、この作品を一見して思い浮かべるような、また教科書の解説から得られるような、高度な科学力に裏付けられた圧倒的な海上戦力を誇るイギリスが、それらに劣る清朝の艦隊を海上戦において完膚なきまでに破壊している、という印象は、「アヘン戦争」の実際の様相とはかなり異なっていて、この作品は、アヘン戦争において例外的な存在であった鉄製汽船ネメシス号による、特殊なコングリーヴ・ロケットを用いたという、アヘン戦争全般の中でも非常に特殊な攻撃場面を描いていることを指摘しています。

「中国の学者による最近の研究では、アヘン戦争期の船や銃砲について、確かにイギリスのほうが様々な点で技術が勝っていたことが詳細に分析されている。他方で、その技術の相違は、程度の差であって、全く異質な次元にあったというわけでもないことも指摘されている。アヘン戦争を軍事の側面からみる場合の難しさは、このような過渡期の歴史性をどのように理解するのかというところにあるというべきだろう。
 この点は、1853年の「黒船」来航という日本誌の出来事にも関係してくる。周知の通りこの年、浦賀沖に現れた4隻のアメリカ船のうち、2隻のみが汽船であり、2隻は帆船であった。いずれも木製である。
 アメリカ合衆国の海軍がこの時点でどれほどの蒸気力を評価して採用していたのかは、また別の話となる。少なくとも、19世紀において急速に技術進歩を果たしていた欧米の艦船や銃砲に接して、幕末の人々は強い衝撃と大きな驚異を感じていただろう。そして、このような日本の歴史的経験が、ネメシス号銅版画の見方にも影響を与えているのかもしれない。
 たしかに、ここまで述べてきたような軍事的な事情を日本の高校生に丁寧に教えるというわけにはいかないだろう。しかし、ネメシス号は、あくまで過渡期の実験的な存在であり、だからこそ清軍の意表をついたという経緯、ネメシス号は海戦の主役ではなく、上陸する部隊を運んだり主力艦を曳航したりする任務を負っていたこと、ジャンク船を爆裂させたのは一種のロケット弾だったということを踏まえて、アヘン戦争において軍事力のもった歴史的意味を考えていくことは不可欠だと思われる。」(同論文11-12頁)

「常に保守的なイギリス政府は、1850年以後まで海軍の軍艦にさえ鉄の船体を用いなかった。或いは、1852年までイギリスの郵便船は、木船によってのみ運送された。イギリスの大汽船会社も、1860年代までは、木船を好む傾向があった。」(黒田英雄『世界開運史』成山堂書店、1972年、62頁)

 また、同論文では、ダンカンによる作品には、微妙に異なる2種類(同論文では【甲】【乙】として区別)が存在することが指摘されており、その違いがこの作品の主眼とも関係していることが論じられています。同論文の指摘に従って【甲】【乙】2種類の違いを整理すると、下記のようになります。

【甲】
・説明文にネメシス号以外の各船(サルファー号、カライオペ号、ラーン号、スターリング号)の名前を明記。(Nemesis, with Boats of Sulphur, Calliope, Larne, and Satrling, destroying the Chinese War Junks in Anson’s Bay, Jan, 7, 1841.)
・右端海上に何かを発射するボートが描かれている。

【乙】
・説明文にネメシス号以外の各線の名前が記載されていない。(Nemesis destroying the Chinese War Junks in Anson’s Bay, Jan. 7, 1841.)
・右端海上にボートが描かれていない。

 ダンカンによる銅版画は、イギリスでは、グリーンウィッチ国立海洋博物館(National Maritime Museum, Greenwich, London)が【甲】3点を所蔵(ID:PAH8192(無彩色【甲】)/ PAH8193(彩色【甲】=本図と同じ)/ PAH8893(彩色【甲】=本図と同じ))しているほか、国内では、東洋文庫が、彩色が施されていない【甲】(貴重書E-2-B-5)と、彩色が施された【乙】(貴重書 E-2-B-6)との2種を所蔵しており、同論文では主に東洋文庫所蔵の2種が参照(実見)されています。

 同論文では、「なぜ【甲】【乙】というほとんど同じ構図の版画がつくられたのか」(同論文5頁)、そして「もうひとつ、ダンカンの絵で理解しにくいのは、中央右のジャンクが炎上している理由である」(同論文6頁)という「謎」がこの作品にあることが指摘されています。そして、それに対する一つの回答として、【甲】では、ネメシス号以外にも右端海上に何かを発射するボートが描かれており、炎上するジャンク船の攻撃主体が、ネメシス号であるのか、このボートであるのかが曖昧になってしまっていることを指摘して、「【甲】のもつそのような曖昧さを払拭してネメシス号の役割を窈窕するために【乙】が作成されたという想定もできるだろう」と述べています。

 さて、本図は、同論文で整理された【甲】【乙】のうち、【甲】にあたるものです。しかし、同論文が参照した東洋文庫所蔵【甲】図は彩色が施されていないのに対して、本図は鮮やかな彩色が施されています。そして、この彩色の有無が、同論文が参照した図では確認することが困難であった、【甲】にあって、【乙】にない、もう一つの重要な特徴を明らかにしてくれています。

 炎上するジャンク船の攻撃主体が、右端海上に描かれた小型ボートであるのか、それともこの作品の主役となるべきネメシス号であるのかが、【甲】では明瞭でないとされていますが、彩色された【甲】である本図に描かれたネメシス号をよく見ると、【乙】には描かれていない、ロケット弾のような軌道を持つ攻撃が外輪上にあたる位置から発射されていることがわかります。その軌道も図中にははっきりと描かれており、あきらかに炎上する中央のジャンク船へと向かっていることが見て取れます。この攻撃は、同論文で指摘されていた「コングリーヴ・ロケット」という特殊な攻撃方法であると思われ、砲手と考えられる人物がそばに立っている様子も描かれています。このネメシス号からの攻撃は、彩色の施されていない【甲】では、読み取ることが困難でしたが、彩色が施された本図では非常に明瞭に描かれており、【乙】には描かれていない非常に重要な要素を確認することができます。つまり、中央で炎上するジャンク船の攻撃主体が、【乙】よりも曖昧であると指摘されていた【甲】は、実は、【乙】よりも一層明瞭にネメシス号が攻撃主体として描かれていることがわかります。

 では、「なぜ【甲】【乙】というほとんど同じ構図の版画がつくられたのか」という同論文で述べられている謎、ならびに【甲】【乙】のいずれが先に制作されたのかという制作順序に関する謎は、どのように考えることができるでしょうか。この謎は、同論文で「彼(ダンカンのこと:引用者注)がどういう経緯でこの絵を作成したのかは未詳」(同論文5頁)とされている制作意図(背景)を明らかにすることで、答えることができるのではないかと思われます。冒頭に述べたように、この作品は「ダンカンによって描かれ、彫版された(Painted, & engraved by E. Duncan)」と記されているように、ダンカンが描いた作品をもとにダンカン自身が銅版を制作しています(ダンカンはアクアチントとエッチングを用いた銅版画の名手としても知られていた。ダンカンの伝記については同論文でも紹介されている次の書物を参照:Emanuel, Frank L. Edward Duncan. Walker's Wuarterly No.13, October 1923, London, 1923.)この銅版の原図となった油彩画は、リバプール近郊のバーケンヘッド(Birkenhead)にある、ウィリアムソン美術館(Williamson Art Gallery, Birkenhead)に現在も所蔵されています。注目すべき点は、同館がこの油彩画を所蔵するに至った経緯で、同館と版画を所蔵するグリーンウィッチ国立海洋博物館の作品解説によると、この油彩画は、オールダーマン・レアード(Alderman J. W. P. Laird)が、1925年に寄贈したものであるということです。この寄贈者であるレアードが営んでいたレアード社は、1824年にバーケンヘッドで鉄工場を設立して以来、当時まだ実験段階にあると考えられていた最新技術である鉄船製造、特に鉄造軍艦の造船に優れた造船会社として20世紀前半まで大いに栄えたことが知られています。そして、このレアード社こそが、本図左下に記載されているように、ネメシス号を製造した造船会社に他ならないのです。なぜダンカンの原画がレアード社にあったのかというのは、レアード社がダンカンにこの作品の制作を依頼した依頼主であったからと考えれば、容易に納得することができます。つまり、レアード社は、当時まだイギリスでも実験段階と思われていた鉄製汽船を造船するという非常に大きな困難を乗り越えてネメシス号の製造を成し遂げたこと、しかもそのネメシス号が実験的に投入されたアヘン戦争において大きな軍功をあげたことを記念するために、当時海洋画家として著名だったダンカンに、ネメシス号を記念するような作品の制作を依頼し、その原画をもとにした銅版画も少部数制作して親しい関係者に配布したのではないか、というこの作品が制作された経緯が見えてきます。そして、長年同社において保管されていた原画は、後年1925年に同じくバーケンヘッドにある美術館であるウィリアムソン美術館に寄贈された、と考えることができるでしょう。なお、ダンカンは、アヘン戦争におけるネメシス号を主題としたもう一つの銅版画作品(The Honorable East India Company's Iron War Steamer, the Ship Nemesis scudding before a heavy gale off the Cape of Good Hope on her passage from England to China. )を本図の前(1841年10月26日付)に制作しており、グリーンウィッチ国立海洋博物館に所蔵(PAH8892)されています。この作品は、中国へと向かうネメシス号が海難多発所として名高い喜望峰沖で荒波に揉まれる場面を描いた作品ですが、より直接的な戦闘における活躍を強調するために、この作品に続いて本図が作成されたのかもしれません。いずれにしても、ダンカンとレアード社(のネメシス号)は非常に深い関係にあったと見ることができるでしょう。

 こうしたこの作品の制作意図(背景)に鑑みれば、異なる2種類の銅版画【甲】【乙】の存在と、その制作順序にまつわる謎ついても自ずと答えが見えてきます。すなわち、依頼主の造船会社であるレアード社が誇るネメシス号による攻撃と同船に従う小型船の存在を強調することが、ダンカンによる本作品の制作意図にあったと考えることできることから、最初に【乙】が制作されたのちに、よりネメシス号と同船に従う小型船舶の存在を強調した【甲】が制作された、と推論することができるのではないかと思われます。また、このような作品が制作された背景事情からの考察に加えて、さらに、銅版画という制作技法の観点から【甲】【乙】の制作順序を考えてみますと、【乙】の後に【甲】が制作されたと推論できることは、いっそう明らかなように思われます。すなわち、銅版画という制作技法では、「追加」は可能であっても、「削除」を行うことはほとんど不可能です。つまり、【乙】に上述したような内容を「追加」して【甲】とすることは、既存の銅板に彫り込めばよいので可能ですが、すでに掘り込まれた【甲】の内容を「削除」して【乙】とすることはほぼ不可能であることから、【乙】の後に【甲】が制作されたと結論づけることが妥当ではないかと思われます。

 いずれにしましても、これまで国内では言及(所蔵)されていない彩色【甲】図である本図は、アヘン戦争を象徴する作品として高校の教科書などで広く親しまれてきた作品をより深く理解するための様々な新しい手がかりを提供してくれる貴重な研究資料ということができるでしょう。


「ここに描かれているのは、1841年1月7日、広州近郊のアンソン湾(中国名;穿鼻洋)での海戦です。作者のエドワード・ダンカン(1803〜82)は、直接この海戦を見ていないため、記録をもとに想像で描きました。画面右奥に描かれたイギリス東インド会社所属の鋼鉄製蒸気船艦ネメシス号が、画面手前の清のジャンク(木造帆船)を攻撃しています。3時間半の戦闘の中で、ネメシス号1隻で中国船11隻を撃破したと伝えられています。ネメシス号は、東インド会社が当時の最新技術を投入して1840年に完成させました。
 この海戦を描いた作品には、類似した2枚の異なる絵があり、東洋文庫では、その両方をカラーとモノクロで所蔵しています。モノクロの絵(上述【甲】のこと:引用者注)には、右端にボートがあり、何かを発射したように描かれていますが、カラー(上述【乙】のこと:引用者)にはこのボートは存在しません。戦闘では、ネメシス号の砲撃がジャンクの火薬庫に命中して炎上し、清の艦隊を駆逐したとされていますが、もしかしたら火薬庫を炎上させたのは、この小さなボートからの発泡だったのかもしれません。」
(東洋文庫編『記録された記憶:東洋文庫の書物からひもとく世界の歴史』山川出版社、2015年、156頁)

端部に傷み、ヤケが見られるが、全体として退色もなく概ね良好な状態。非常に繊細な手彩色が施されている。
中央に描かれているのは、攻撃を受けて火薬庫が爆発して炎上したジャンク船。
異なる2種類の版が存在するこの作品のうち、右端のボートの有無が大きな特徴とされてきたが、本図をよく見るとネメシス号からの攻撃発射も描かれていることがわかる。
恐らく国内所蔵がないためと思われるが、これまでの研究で言及されていなかった彩色の施された本図では、ネメシス号によるコングリーヴ・ロケットと呼ばれる、ロケット花火のような特殊な攻撃とその弾道をはっきりと見てとることができる。
描かれた弾道の先にあるのは炎上するジャンク船で、攻撃主体がネメシス号であることが極めて明瞭に表現されている。
細部にいたるまで正確な描写で定評のあったダンカンの力量が遺憾無く発揮された作品と言える。
長大なタイトルには重要な情報が盛り込まれている。
左下にはネメシス号を建造したのがレアード社であることや、ネメシス号の主要スペックが掲載されている。また、ダンカンによって描かれた原画に基づいてダンカン自身によって彫版されたことも明記されている。
右下には、ネメシス号のエンジン製造元と主要スペックが記されている。
裏面。厚紙に貼り付けられた状態にある。
(参考)画家、銅版画家として多くの作品を残したダンカンの作品の特徴や簡単な伝記については、上掲書が参考になる。Emanuel, Frank L. Edward Duncan. Walker's Wuarterly No.13, October 1923, London, 1923.
(参考)同書に収録されているダンカンの肖像