書籍目録

『日本アジア協会紀要』 創刊号・第2号(合冊)

日本アジア協会

『日本アジア協会紀要』 創刊号・第2号(合冊)

タトル旧蔵書 1874年 横浜刊

Asiatic Society of Japan

TRANSACTIONS OF THE ASIATIC SOCIETY OF JAPAN, From 30th October, 1872, TO 9th October, 1873 [bound with] TRANSACTIONS OF THE ASIATIC SOCIETY OF JAPAN, From 22nd October, 1873, TO 15th July, 1874.

Yokohama, (printed at) The “Japan Mail” office, 1874. <AB2020240>

¥275,000

Exlibris Charles E. Tuttle.

2 vols. bound in 1 vol. as issued. (15.2 cm x 22.2 cm), Vol.1: Title., 4 leaves, 5 folded Plates, pp.[1], 2-84, 2 folded charts with photo copies of manuscripts, p.85-110. / Vol.2: Title., 7 leaves, pp.[1], 2-194, 1 folded chart, pp.195-244, 1 folded chart, pp.245-249, Later half cloth on marble boards.
もともと和装本だったと思われるものを洋装本に仕立て直したもの。

Information

明治期の外国人による多彩な日本研究を収録した貴重な創刊号

 本書は、横浜の在日外国人を中心とした「日本ならびにアジア諸国に関する事項の調査と情報の収集」を目的とする研究究機関、日本アジア協会(The Asiatic Society of Japan)による機関紙創刊号と第2号を合冊にしたものです。本来は別々に刊行される予定でしたが、1873年の横浜大火で準備されてた創刊号が焼失したため、第2号と合冊されて1874年に刊行されました。日本アジア協会は、外国人による日本研究機関として、1873年に発足したOAG(Deutsche Gesellschaft für Natur und Völkerkunde Ostasiens)と双璧をなす機関として非常によく知られていますが、その機関誌創刊号である本書には、当時の外国人による貴重な日本研究、報告が掲載されているほか、横浜在留外国人の交流の一端も示す、非常に興味深い記事が多数収録されています。最新の西洋科学が日本にどのようにもたらされたのかについて様々な角度からの考察が可能なだけでなく、お雇い外国人第一号とされるブラントン(Richard Henry Brunton, 1841 - 1901)はじめ御雇外国人による寄稿も多く、冒頭に掲載されている協会の組織と会員、規則などの記載された誌面からは、会長:ヘボン、副会長:ブラウン、パークス、評議委員にはサトウ、ブラントンらの名を見ることができます。

 本書については、その存在は早くから知られていたものの、具体的な内容についてはあまり研究が進んでいませんでしたが、近年刊行された楠家重敏氏による『ジャパのロジーことはじめ:日本アジア協会の研究』(2017年、晃洋書房)において、Japan Weekly Mailが資金援助を行い、会合での報告がJWMに掲載され、それがまとめられて本書に掲載されるという背景事情もふくめて、非常に数多くのことが明らかにされました。

 本書は、当時の特徴的な和紙と用紙が用いられていて、図版、図表、本文それぞれの性質に合わせて用いる用紙を変更するなど、造本上でも興味深い点が多く、創刊号の幻聴は現存数が少ないことからも大変貴重な書物です。また、日本を紹介する英語書籍刊行でしられるチャールズ・イー・タトル出版の創設者の蔵書票があることも興味深い点と言えます。

 楠家重敏氏による『ジャパのロジーことはじめ:日本アジア協会の研究』を参考にしながら、本書収録内容とその概要をまとめますと下記の通りとなります。

[第1巻]

サトウ『琉球覚書』(1872年10月報告)(p.1-) *折込図あり
→琉球の歴史と日中との交流関係を主に日本の文献に基づいて考察。各紙に転載され琉球処分の国際的反響を呼んだと言われる。

ハドロウ『ホス貝』(1872年10月報告)(p.10-)
→収集家の関心が高かった美しいホス貝の考察。江ノ島周辺で採集されたため横浜在住外国人の人気が高かったという。

グリフィス 『江戸の街路とその名称』(1872年12月報告)(p.20-)
→日本の街路の名称(グリフィス は誤って町名を街路名と理解した)の特徴や歴史的由来を考察し、英米の街路名所の特徴と比較考察

サトウ『日本の地理』(1873年3月報告)(p.30-)
→日本地理について歴史的展開や地方都市の特徴の考察も交えて包括的に論じたもの。

ネルソン『1872年9月ならびに10月の台風について』(1873年5月報告)(p.52-) *折込図表あり
→日本での東京気象台設置(1875年6月)に先立って日本を襲った台風について豊富な観測データとともに紹介。19世紀半ばから急速に発展しつつあった気象学の知見が日本にも及んだことを示す最初期の一例として重要。ただし、ネルソンは台風の発生と磁気の影響と誤って関連づけている。1873年にはウィーンで世界最初の国際気象会議が開催され、それまでまちまちであった観測手順や時間についての規則が定められた。日本では1882年に東京気象学会が設立されている。1881年にはクニッピングによる日本初の暴風警報が発令。

アストン『樺太と択捉におけるロシア人の暴行事件』(1873年6月報告)(p.86-)
→1807年のフヴォストフ事件(文化露寇)を扱ったもので、当時の日露国境確定交渉が背景にある。

エドキンス『日本の言語の本質とそのありうべき改良(日本語改良問題)について』(p.96-)
日本語と近隣諸言語との類似性が少ないことを指摘し、森有礼が提起した英語国語化の推進に賛成。

[第2巻]

ワトソン「ケンペル『日本誌』要約」(1873年10月報告)(p.1-)
→長らく欧米における日本研究の金字塔として権威を誇ったケンペルの著作の要約紹介。

デルシャム「江戸から草津への旅程と草津温泉覚書」(1873年10月報告)(p.25-)
→草津温泉までの旅程と温泉の効能について報告、ベルツによる温泉紹介のきっかけとなった。

マクラティ「日本の刀剣:その歴史と伝統」(1873年11月報告)(p.55-)
→日本の文献によりながら日本刀の歴史を紹介。幕末、明治初期の外国人にとって脅威であった日本刀の考察として関心を呼んだという。

ブラントン 「日本における建築技術」(1873年12月報告)(p.64-)
→横浜都市設計や灯台建築に関わる御雇外国人として、日本の建築物に不可欠な耐震論、日本住宅の特徴を論じる。

ブリッジフォード「蝦夷旅行記」(1874年1月報告)(p.87-112)
→1873年8月10月にかけて北海道に滞在した軍人による北海道の考察。内地旅行に制限があった当時、貴重な報告とみなされた。

サトウ「伊勢神宮」(1874年2月報告)(p.113-)
→ヨーロッパ人で最初に伊勢を訪問(1872年12月)したサトウが、パレスチナ、メッカに相当する宗教上の聖地として伊勢を取り上げ、伊勢詣と伊勢神宮について紹介。外国人による日本における神道理解の手引きとして歓迎され、新党の宗教的性質をめぐって熱心な議論が起きたという。

グリフィス 「日本の子どもの遊び」(1874年3月報告)(p.140-)
→子供の遊戯にはその社会の本質が反映されているという視点に基づいて日本の文化考察を展開

ブラウン「日本列島近辺の風と潮流』(1874年4月報告)(p.159-)
→工部省燈台局ブラウンによる、当時海難事故が相次いでいた欧米船舶の日本とその近海の航行にとって極めて重要であった潮流に関する報告。

ローレンス「常陸と下総の旅行覚書」(1874年5月報告)(p.174-)
→江戸北方の常陸周辺への旅行記、水戸街道などの解説

ルクナップ「深海測量について」(1874年5月報告)(p.182-) *折込図表あり
→アメリカ海軍大尉ルクナップによる深海測量に用いられる音響測定器具の紹介と深海測量の歴史についての報告。深海研究は当時急速に進みつつあった各地域での海底電線敷設に伴って盛んになった。

ブラキストン「北東日本(東北)への旅」(1874年6月報告)(p.198-)
→1873年10月28日から11月9日にかけてブラキストンが踏査した東北地方の記録。

アストン「日本語はアーリア諸語と近似性を有するか否か」(1874年6月報告)(p.223-)
→日本最初の日本語と印欧言語の比較考察と言われる。

サヴァティエ「日本の植物種の増加」(1874年6月報告)(p.232-)
→フランスの植物採集研究者として著名なサヴァティエによる論考の英訳報告。

ヘボン「気象観測」(1874年6月報告)(p.244-) *折込図表あり
→1863年から1869年までの横浜での観測記録に基づいた報告で、年間と月別の平均気温、最高気温と最低気温を示した表を付す。

日本を紹介する英語書籍刊行でしられるチャールズ・イー・タトル出版の創設者の蔵書票
第1巻タイトルページ
第1巻目次
会員名簿
会則
サトウ『琉球覚書』(1872年10月報告)の折込図版。本文とは異なる和紙に印刷されていることが興味深い。
サトウ『琉球覚書』(1872年10月報告)冒頭箇所。琉球の歴史と日中との交流関係を主に日本の文献に基づいて考察。各紙に転載され琉球処分の国際的反響を呼んだと言われる。
ネルソン『1872年9月ならびに10月の台風について』(1873年5月報告)冒頭箇所。
日本での東京気象台設置(1875年6月)に先立って日本を襲った台風について豊富な観測データとともに紹介。
第2巻タイトルページ。
第2巻目次。
会員名簿
会の年間活動の概要報告
会則
ブラントン 「日本における建築技術」(1873年12月報告)冒頭箇所。横浜都市設計や灯台建築に関わる御雇外国人として、日本の建築物に不可欠な耐震論、日本住宅の特徴を論じる。
サトウ「伊勢神宮」(1874年2月報告)冒頭箇所。ヨーロッパ人で最初に伊勢を訪問(1872年12月)したサトウが、パレスチナ、メッカに相当する宗教上の聖地として伊勢を取り上げ、伊勢詣と伊勢神宮について紹介。外国人による日本における神道理解の手引きとして歓迎され、新党の宗教的性質をめぐって熱心な議論が起きたという。
ブラウン「日本列島近辺の風と潮流』(1874年4月報告)冒頭箇所。工部省燈台局ブラウンによる、当時海難事故が相次いでいた欧米船舶の日本とその近海の航行にとって極めて重要であった潮流に関する報告。
ブラントンらとの議論の様子も収録されている。
ブラキストン「北東日本(東北)への旅」(1874年6月報告)冒頭箇所。1873年10月28日から11月9日にかけてブラキストンが踏査した東北地方の記録。
サヴァティエ「日本の植物種の増加」(1874年6月報告)冒頭箇所。フランスの植物採集研究者として著名なサヴァティエによる論考の英訳報告。
ヘボン「気象観測」(1874年6月報告)(p.244-)冒頭箇所。
1863年から1869年までの横浜での観測記録に基づいた報告で、年間と月別の平均気温、最高気温と最低気温を示した表を付す。