書籍目録

『ダンヴィュとクラプロートの名による中国と日本図』

ベルクハウス

『ダンヴィュとクラプロートの名による中国と日本図』

1843年 ゴータ刊

Berghaus, Heinrich / (d’Anville, Jean-Baptiste Bourguignon) / (Klaproth, Julius).

Karte VON CHINA UND JAPAN DEN NAMEN D’ANVILLE’S UND KLAPPROTH’S

Gotha, Justus Perthes, 1843. <AB2020221>

Sold

67.0 cm x 102.0 cm, 1 folded map, dissected into 21 sections, linen backed, with a marble card slip case,

Information

国境線を色彩で明示し、アジア各国の比較語彙表を掲載した非常にユニークな中国、日本図

 本図は、当時ドイツで著名な地理学者、地図制作者、著作家であったベルクハウス(Heinrich Berghaus, 1797 - 1884)が手がけた日本と中国の図で、そのタイトルが示すように、日本と中国の研究において多大な功績を残したダンヴィュ(Jean-Baptiste Bourguignon d’Anville, 1697 - 1782)とクラプロート(julius Klaproth, 1783 - 1835)の研究に基づいて制作されています。リネンで裏打ちされた折りたたみ図で、広げると長編が1メートルを越える比較的大きな彩色地図です。

 本図が非常に特徴的なのは、当時のヨーロッパにおける中国と日本研究、特に地理学と言語学の分野で大きな功績を残した2人の東洋学者の研究に基づいて、制作されていることです。ダンヴィュは、ランスのイエズス会士デュ・アルド(Jean Baptiste Du Halde, 1647 - 1743)による『中国・韃靼誌』(Description Géographique Historique, Chronologique, Politique et Physique de l’Empire de laChine et de la Tartarie Chinoise…4 vols, Paris, 1735)のために、最新の測量結果に基づいて中国図を製作したことで非常に名高く、この地図は長きにわたって正確な中国図としてヨーロッパで最も権威ある中国図の地位にありました。また、クラプロートは、十代の頃から中国語をはじめとする東洋言語に強い関心を持ち、自らアジア研究雑誌を刊行するなど、19世紀前半のヨーロッパにおける東洋学研究者を代表する人物として数多くの著作を残し、特に語学の天才として数多くのアジア言語の比較、系統分類を行い、日本語についても多くの研究成果を残しています。クラプロートは、ティツィング(Isaac Titsingh, 1745 – 1812)の旧蔵書や遺稿を活用して、日本語辞書や、詳細に地名を書き込んだ地図も製作しており、こうした研究成果はヨーロッパにおける日本研究の水準を大いに高めることになりました。

 本図は、こうした東洋学研究の巨人の成果を存分に活かし、かつ当時の地図制作者として高く評価されていたベルクハウスが最新の注意を払って製作された大変ユニークな地図です。凡例では、中国や日本をはじめとした地理的境界線を区分するための説明と色分けについての記載があり、各国、地域の国境線をできるだけ明確に表現しようとしていることがわかります。当時の彩色地図では、各国、地域の境界線を示すために彩色されること自体はよく見られることでしたが、実際には出版社(と雇用された職人)によってある程度任意に彩色されることが多く、必ずしもその色区分が、製作者による国境認識を意味するものではありませんでした。現代の視点から見ると、こうした色区分があたかも国境認識論争に資する史料であるかのように思いがちですが、実際には同じ図形で描かれた地図であっても、製作された地図ごとに色区分が異なっていたりするため、この点には注意が必要となります。ところが、本図ではこうした慣例とは異なり、はっきりと凡例にその色区分が各国地域の国境線を示すものとして明記されており、地理学者としても名高いベルクハウスによる認識を表現するものとして色区分が採用されていることがわかります。日本はオレンジ色の境界線で表現されており、北方では、樺太の南半分、択捉島までが、南方では吐噶喇列島、伊豆諸島あたりまでが含まれているようです。また、イギリスの元海軍将校で、私貿易船アルゴノート号の船長として1791年に日本との通商を試みたコルネット(James Colnett, 1753 - 1806)が「発見」した現在の鬱陵島を「竹島(アルゴノート島)」として描き、同島を1787年に確認していたラペルーズが「ダジュレー島」と命名していた島を「松島」として描いています。これは、当時権威あるアジア図として知られていたアロースミス(Aaron Arowsmith, 1750 - 1823)による 「日本、クリル諸島図:中華帝国沿岸部隣接地域とアムール川、バイカル湖、ならびにロシアと中国の沿岸交易場、それらの北京との相対的位置を含む」(MAP OF THE ISLANDS OF JAPAN, KURILE &c. with the Adjacent Coast of the CHINESE DOMINIONS and a Sketch of the River Amoor and the BAIKAL LAKE Including the Trading Posts of RUSSIA AND CHINA AND THEIR RELATIVE SITUATIONS WITH PEKING. London, 1811, revised ed., 1818.)に倣ったものと思われます。

 また、本図のユニークな特徴として、クラプロートの研究成果を反映させた各国語の地理語彙一覧が掲載されていることが挙げられます。ここでは「山(Berg)」や「砂地(Sand)」といった地形を表す言葉だけでなく、「金(Gold)」や「銀(Silber)」といった鉱山に関する語彙も含め、14の言葉のドイツ語と比較する形で、中国語、ツングース語、モンゴル語、チベット語、トルコ語、ペルシャ語、朝鮮語、日本語、アイヌ語が掲載されています。例えば、山については、日本語では「Yama, san」、同様に砂地は、「suna」、金は「kogane」、銀は「siro-gane」とされています。こうした語彙表は他の地図にはあまり見られないユニークなもので、当時最新の世界地理に明るかったベルクハウスが自身の知見を反映させたものと考えられます。

 本図は、開国前に西洋で製作された日本図としては非常にユニークで、また重要な地図であると思われますが、製作数がそれほど多くなかったのか、国内外の研究機関でもほとんど所蔵されておらず、店主の知る限りではアメリカ議会図書館所蔵の1枚しか確認することができません。このアメリカ議会図書館所蔵図は、本図と異なり分割されていない1枚図のように見受けられ、また各国、地域の色区分も本図とは微妙に異なるように見受けられます。現存数自体が極めて少ない地図ではありますが、本図とアメリカ議会図書館所蔵図との比較検討も含め、大変興味深い日本関係欧文史料の一つということができるでしょう。


「この大判の極東地図は、北部インド、ヒマラヤ、およびバイカル湖から朝鮮、日本、サハリンおよび千島諸島まで広がり、H・ベルクハウスの大判のアジア地図帳に出ており、1832年初めてドイツのゴータで、J・ペルテスによって出版された。 この地図は、その表題の参照にあるように、18世紀のフランス地図製作者ダンヴィルの情報を使用している。ダンヴィルは最新のイエズス会の報告書を基にした影響力のある1737年の中国地図、および1752年のアジア地図を作成した。この地図はまた、東洋についての作家であり旅行者であり学者であったH・J・フォンクラップロートの報告からも引用している。クラップロートは日本の地図製作者の問では、林子平の影響力のある「三国通覧図説」および蝦夷図(北海道)を複写しヨーロッパへ伝え、1832年ロンドンで初めて出版されたことで最もよく知られているだろう。彼はまた1806年にバイカル湖の地図を出版している。 この地図は興味深いテーマ別の色記号で、行政区分地域の境界を異なる色で区別した。北海道とエトロフは日本と図示され、残りの千島諸島はロシア領とされた。 この時代の多数の出版物を出したドイツ出版社の一つによる精緻な石版地図である。」
(放送大学図書館、デジタル貴重資料室『西洋古版日本地図一覧』No.155解説より。https://lib.ouj.ac.jp/gallery/virtual/kochizu/index_1800_02.html)