書籍目録

『中華帝国と大韃靼誌』(『日本誌』)

デュ・アルド / ケンペル

『中華帝国と大韃靼誌』(『日本誌』)

ドイツ語訳初版 全4巻(第4巻にケンペル「日本誌」収録) 1747-1749年 ロストック刊

Du Halde, Johann Baptista (Jean Baptiste) / Kaempfer, Engelbert.

Engelberecht Kämpfers Beschreibung de Japonischen Reichs…[IN] Ausfuhrliche Beschreibung des Chinesischen Reichs und der grossen Tartarey.

Rostock, Johann Christian Koppe, 1747-1749. <AB2020208>

Sold

First edition in German.

4 vols. 4to (19.4 cm x 24.3 cm), 詳細な書誌情報は、下記解説参照。, Later three-quarter leather, rebound.

Information

ケンペル『日本誌』ドイツ語訳版としての役目を長らく果たした重要記事を収録

 本書は、フランスのイエズス会士デュ・アルド(Jean Baptiste Du Halde, 1647 - 1743)が、中国についての歴史、地理、文化、政治、自然などを包括的にまとめた著作(Description Géographique Historique, Chronologique, Politique et Physique de l’Empire de laChine et de la Tartarie Chinoise…4 vols, Paris, 1735)のドイツ語訳初版です。原著フランス語版にはない、ケンペル『日本誌』のドイツ語訳を最終巻に収録していることが大きな特徴で、このドイツ語訳は、長年単行本としてドイツ語版が刊行されたなかった『日本誌』の代わりとして、18世紀ドイツ語圏における日本観に大きな影響を与えたことで知られる、大変重要な作品です。

 デュ・アルド自身は中国に実際に赴くことはありませんでしたが、16世紀末から18世紀に至るまでのイエズス会による世界各地の宣教活動を全36巻に編纂した『イエズス会士による外国宣教に関する強化的で興味深い報告書集』(Lettres édifiantes et curieuses écrites des missions étrangères, par quelques missionnaires de la Compagnie de Jésus. 34 vols. 1702-76)の編纂作業を通じて、中国をはじめとした東アジアに強く関心を持つようになったと言われています。そのデュ・アルドがイエズス会士がもたらしたあらゆる中国に関する事項を纏め上げ、包括的な『中華帝国誌』として刊行した作品が、本書の原著となったフランス語版です。この著作は全4巻で構成されていて、中国の概説に始まり、歴代王朝史、王朝の内部と統治機構、主要な産業や農業、漁業、人びとの文化と風習、流通と経済状況、諸学問、宗教、産物について韃靼誌も含めて網羅的に論じ、また数多くの図版や地図も収録して、18世紀のヨーロッパにおける中国研究の金字塔となりました。初版刊行の翌年(1736年)に再版(海賊版)が刊行されただけでなく、英訳(1736年)、ロシア語訳(1774年−1777年)など各国語にも翻訳されるほどの大きな反響を呼び、本書であるドイツ語訳版は、1747年から1749年にかけて刊行されています。

 本書ドイツ語訳版は、原著全ての逐語訳ではなく、テキストや図版の一部を省略しているように見受けられますが、それでも四つ折り版の比較的大きな判型の書物で全4巻という非常に大部の作品となっています。全4巻のうち、第1巻から第3巻までが中国誌に当てられていて、第4巻の前半が韃靼誌となっています。省略があるとはいえ、非常に数多くの折り込み図版も収録されており、大変コストをかけた出版物であることがわかります。

 こうしたヨーロッパにおける中国誌研究の金字塔としての価値に加えて、日本関係欧文史料として本書が極めて重要なのは、第4巻の後半に600頁近くにわたってケンペル『日本誌』のドイツ語訳版が収録されていることです。これは、当然デュ・アルドによるフランス語原著にはなかったもので、ドイツ語訳版の訳者が本書のために新たに付け加えたものです。訳者の序文では、中国誌、韃靼誌と極めて関係が深い、日本誌についても読者の関心が高いであろうこと、にもかかわらず、不幸にもケンペル『日本誌』は、英語版、フランス語訳版、オランダ語訳版があるだけで、ケンペルの母語であったドイツ語版は未だ刊行されていない状況にあることに鑑み、本書に付録として収録することにした旨が記されています。よく知られているようにケンペル『日本誌』は、ケンペル自身によるドイツ語草稿をもとにして、没後に英訳されて出版されたもので、本来であれば英語版とドイツ語版とが同時に刊行される予定でしたが、不運によってそれが果たされず、正式なドイツ語版が刊行されたのは、英語版刊行から半世紀が経過した1777年から1779年にかけてのことです(ドイツ語版出版をめぐる不幸な歴史については、デレク・マサラ「『日本誌』史:ケンペル『日本誌』原稿の購入と出版」ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー他編 / 中直一、小林早百合訳『遥かなる目的地:ケンペルと徳川日本の出会い大阪大学出版会、1999年所収に詳しい)。従って、18世紀ヨーロッパにおける日本観に決定的な影響を与えたことで知られるケンペル『日本誌』は、ドイツ語圏に関しては、本書が長きにわたって実質的にドイツ語訳版としての大きな役割を果たすことになりました。

 デュ・アルドの『中国誌』のドイツ語訳と同じく、本書に収録されているケンペルの『日本誌』も英語版原著の逐語訳ではないように見受けられますが、それでも600頁に迫る分量で構成されている本文は、抄訳というにはあまりにも巨大なものです。本書刊行後に、ドイツ語のさまざまな書物でケンペル『日本誌』の紹介や一部抜粋がなされるようになり、こうした書物が流布することでケンペル『日本誌』の影響が広がっていったことが知られています。こうした広がりも、本書における完訳ではないとはいえ極めて浩瀚なドイツ語訳が存在したからこそ可能になったもので、もし本書がなければ、ドイツ語圏におけるケンペル『日本誌』の伝搬は遥かに貧弱なものになってしまっていたのではないかと考えられます。その意味において、18世紀ドイツ語圏における日本観の形成において、本書の果たした役割は非常に大きなものといえます。本書のテキストが原著英語版と比べてどのような特徴を持っているのか、あるいは相違点がどのようなところにあるのかを調べるためには、両版を精査に照合して検証する必要があると思われますが、これもまた非常に興味深い重要な研究テーマと思われます。
 
 また、ケンペル『日本誌』は、ケンペル自身のスケッチや日本の書物などから採られた豊富な図版や地図が収録されていることでも知られていますが、本書においてはこれらはほとんど収録されておらず、巻末の2枚の折り込み図版と文中のごく小さな図版1枚の3枚のみが収録されています。うち1枚が日本地図ですが、この地図もケンペル『日本誌』から直接採用したのではなく、オランダの出版社、著作家であったティリオン(Isaak Tirion, 1705? - 1765)が、大部の叢書『万国民の現代史(Modern History; or Present State of All Nations. 1724 – 1739.)』の第1巻(中国や日本を論じる)のために作成した地図を底本にしていると思われます。このティリオンの地図は、ジェイソン・C・ハバード(日暮雅通訳)『世界の中の日本地図:16世紀から18世紀西洋の地図に見る日本』(柏書房、2018年)では、次のように解説されています。

「ケンペルのHistory of Japan 出版の翌年、イザーク・ティリオンはその地図を複写・縮小して彫り、ケンペル作という表記なしにトマス・サーモン著の Modrn History… or the present State of all Nations (万国民の現代史)のオランダ語版に挿入した。ティリオンは制作中に Jesso of Jesogasima(北海道)とカムチャッカ半島をつなげ、ケンペルの描写より西側に配置した。ケンペルの地図にある2枚の挿入地図と、ローマ字の横に添えた漢字表記地名は装飾物として削除された。ワルターは(1994年)(ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図』OAGドイツ東洋文化研究会、のこと;引用者注)『ティリオンはオランダ人がたどった長崎と江戸のあいだの宿場をつなげ、回路は破線、陸路は二重線で描いた」と述べている。」(同書340頁、地図番号078)

 ちなみにこの日本地図は、ティリオンの同書後年版(1736年)で改訂が加えられ、本州北端の形状がより正確になり、本書収録図の本州北端の海上に見える「松前島」(もちろん実在しない)が削除されたりしていますが、本書に収録されている地図の特徴と照らし合わせてみると、こうした修正点が反映されていないことから、より古い方のティリオン日本図を底本にしたものと思われます。ただ、ケンペル『日本誌』所収日本地図を範にして当時数多く生み出された日本図の大半が、ケンペルの名前を明記せずに刊行されているのに対して、本書における日本図はケンペルの名を明記しており、この点からは、訳者の原著に対する敬意と良心を見てとることができます。デレク・マサラによる上掲論文で明らかにされているように、ケンペル『日本誌』のドイツ語訳版の出版権は長らくケンペルの甥の元にあったため、他者による翻訳版刊行が困難な状況にありました。こうした点に鑑みると、これだけの分量のテキストを翻訳しておきながら、訳者が本書において英語版の図版や地図を直接採用しなかったのは、コスト上の問題というよりも、あるいはこうした原著に対する敬意と著作権上の配慮によるものだったのかもしれません

 また、もう一つの折り込み図版は、長崎港の様子と日本の貨幣(大判、小判など)を描いたものですが、おそらくこれらもケンペル『日本誌』から直接採用したのではなく、むしろそれらを定本とした類似の別の著作から採用しているのではないかと思われます。また文中に挟み込まれる形で収録されている非常に小さな図版は、将軍綱吉の命に応じて、ケンペルが歌と踊りを披露している場面を描いた非常に有名な図ですが、大きさが極端に小さく(英語版では両頁見開き大)、これが本来本書に収録されるべき図版であったのか、あるいは当時の所有者が何らかの別の著作に掲載されていた図版を独自に綴じ込んだものなのかは判然としません。店主自身、この小さな図版が収録されている他の書物を確認することができていませんので、この点はもう少し解明すべき余地がありますが、いずれにしても大変ユニークな図版と言えます。

なお、全4巻の詳細な書誌情報は下記の通りです。

Vol.1: Front., pp.[1(Title.)-3], 4-58, [1-3], 4-171, 174[i.e.172], 175[i.e.173], 174-180, No lacking pages, 183-194, No duplicated pages, 193-205, 406[i.e.206], 207-472, (some folded) maps & plates: [19].

Vol.2: Front., pp.[1(Title.)-3], 4-56, [1-3], 4-748, folded maps & plates: [15].

Vol.3: pp.[1(Title.)-3], 4-28, 2 leaves, pp.[1-3], 4-96, 87[i.e.97], 98-102, 203[i.e.103], 104-548, (some folded) maps & plates: [7].

Vol.4: pp.[1(Title.)-3], 4-56, [1-3], 4-126, 126[i.e.127], 128-264, [1-3], 4-38, No duplicated pages, [31], 32-552, [553-560], 561, [562-584], (some folded) map & plates: [3]