書籍目録

『バタヴィア:東インドにおけるオランダの首都;その位置、力、建物、中央と地方政府、歴史、宗教的事項、商業貿易、習慣、気候、疫病等を多くの図版とともに解説』

『バタヴィア:東インドにおけるオランダの首都;その位置、力、建物、中央と地方政府、歴史、宗教的事項、商業貿易、習慣、気候、疫病等を多くの図版とともに解説』

初版 全3巻(合冊) 1782年 アムステルダム / ハルリンゲン刊

BATAVIA, DE HOOFDSTAD VAN NEERLANDS O. INDIEN, IN DERZELVER GELEGENHEID, OPKOMST, VOORTREFFELYKE GEBOUWEN, HOOGE EN LAAGE REGEERING, GESCHIEDENISSEN, KERKZAAKEN, KOOPHANDEL, ZEDEN, LUCHTSGESTELDHEID, ZIEKTEN, DIREN EN GEWASSEN, BESCHREEVEN. MET PLAATEN.

Amsterdam / Harlingen, Petrus Conradi / Volkert van der Plaats, MDCCLXXXII(1782). <AB2020207>

Sold

First edition.

4 vols bound in 1 vol. 4to (22.5 cm x 27.0 cm), 1 leaf(blank), Front., Title. for vol.1, 1 leaf, pp.[1], 2-147, folded maps and plates: [7(no. I-IX)], Title. for vol.2, pp.[1], 2-108, Title. for Vol.3, pp.[1], 2-171, 1 leaf(advertisement), folded plates: [2(no.X & not numbered one], Title. for Vol.4, pp.[1], 2-103, 1 leaf(advertisement), 1 leaf(blank), folded plates: [2(no.XI-XII)]. Contemporary half boards, both detached.
刊行当時のものと思われる装丁だが、いずれの表紙も見返しの用紙とともに本体から剥離している状態。本文、図版は完備しており、製本状態も良好であることから、再製本、修理は容易と思われる。

Information

「落日の世紀」におけるオランダ東インド会社による包括的なバタヴィア誌に収録された日蘭貿易記事

 本書はオランダ東インド会社が東インドの植民地交易の中心地としていたバタヴィアの歴史と現状を包括的に論じた全4巻からなる大著で、バタヴィアの指示下にあった日本のオランダ商館における日蘭交易についても多くの至福を割いて言及している大変興味深い書物です。著者名は匿名となっていますが、その内容の充実ぶりに鑑みると、いわばオランダ東インド会社公認のバタヴィア誌として刊行されていると考えられることから、18世紀末のオランダの視点から論じられたバタヴィアと、そこから展開される日蘭貿易が論じられた書物として、日本関係欧文史料として非常に重要な文献です。

 本書が刊行されたのは1782年ですが、オランダにとって「黄金の世紀」とも称された17世紀に比べると、18世紀は、度重なる英蘭戦争や、漁業をはじめとした経済活動の停滞など様々な要因が重なり、「落日の世紀」とも呼ばれる時期にあたります。ヨーロッパにおけるオランダのこうした相対的な影響力の衰退と停滞は、東インド会社による貿易活動にも大きな影響を与え、日蘭貿易も含めて、東インド各地での交易からあげられる利益は次第に厳しくなっていました。こうした状況に対して、東インド会社内部でも積極的に改革を推し進めようとする動きが生じるようになり、ファン・ホーヘンドルプ(Dirk van Hogendorp, 1761 - 1822)は、アダム・スミスの『国富論』に影響を受けて東インド貿易の自由主義的改革を幾度も訴えています。また、勢力下にある東インドの学術調査を通じて、ひいては交易に資する知見をも集積しようとする試みから、1778年には、バタヴィア政庁が支援して「バタヴィア学芸協会(Bataviaasch genootschap van kunsten en wetenschappen)」が創設されています。本書は、こうした「落日の世紀」にあって、様々な方策によって何とかオランダ東インド会社を立て直さんとしていた時期に刊行されていることから、オランダ東インド会社の中心地であったバタヴィアについて、その現状や歴史を包括的に整理して論じることで、自身の立脚点を再考し、そこから打開策を打ち出すべく執筆されたものではないかと考えられます。

 本書は全4巻で構成されており、タイトルにあるように多くの図版や地図を交えながら、様々な角度からバタヴィアの現状と歴史について論じられており、当時最高峰の包括的なバタヴィア誌と言える内容となっています。その内容を目次から整理しますと下記のようになります。

第1巻
第1部第1章:偉大なるジャワ島について
第1部第2章:ジャワ島の人々の生活と道徳
第2部:バタヴィアにおける初期の主要都市の興隆と苦難
第3部:バタヴィアの都市と主要な建築物の記述(図版多数)

第2巻
第4部;バタヴィアが中枢機能を担う東インドの高度な統治について
第5部:バタヴィアにおける高等裁判所と名門大学
第6部:バタヴィアのその起源から現在に至るまでの主な歴史と命運

第3巻
第7章:バタヴィアの風習と道徳
第8章:東インドにおけるキリスト教に関する事情
第9章:オランダ東インド会社による交易について(日本関係記事はここに収録)

第4巻
第10章:インド地方における気候と主要な疫病について
第11章:バタヴィア近郊で見ることができる作物とその取引
第12章:ジャワとその近郊の海で見ることができる動物、魚類、鳥類について

 バタヴィアの位置するジャワ島の概説から始まり、バタヴィアの歴史をオランダ東インド会社による征服以前の歴史から説き起こし、現在のバタヴィアの都市機能の充実ぶりを論じる内容となっていることがわかります。バタヴィアの歴史については、「マキャヴェリズムの権化」「有能な独裁者」(長積昭『オランダ東インド会社』講談社、2000年、86-87頁)とも称された第4代オランダ東インド会社総督クーン(Jan Pieterszoon Coen, 1587 - 1629)によるバタヴィア城の建設やライバル国との競争に積極的な攻勢で挑んだ栄光の歴史が詳細に論じられています。また、バタヴィアの都市の紹介では、豊富な図版や地図を交えて、様々な角度からバタヴィアの状況が論じられていて、18世紀後半のバタヴィアの様子を理解する上で非常に有用な内容となっています。

 日本関係欧文史料として特に重要な日蘭貿易の記述については、交易活動について集中的に論じた、第3巻第9章に見ることができます。この第3巻第9章は、相対的にも多くの至福を割いているだけでなく、具体的な貿易統計数字を掲載しながら、各地との交易状況や利益、産品、歴史などが論じられており、日蘭貿易についてもかなり詳しく取り上げて論じられています。まず、日蘭貿易初期のライバルであったポルトガルの脱落がしていく過程について簡単に論じてから、初期の日蘭貿易における大きな転換点となった「タイオワン事件」について詳細に論じていることに目がつきます。この事件は、オランダが日蘭貿易において欠かせない中国産品を入手するための拠点として台湾にゼーランディア城を築いて台湾貿易を独占しようとしたことに端を発する、従来から台湾との交易を盛んに行なっていた日本の朱印船商人とオランダ東インド会社との利益が正面衝突した事件です。1628年に台湾に入港した末次平蔵の商船に対して、以前から対立を深めていたオランダ東インド会社の台湾長官ノイツ(Pieter Nuyts, 1598 - 1655)は露骨な妨害工作を行い、それに立腹した末次側が逆にノイツを暴力手段で捕縛し、副長官ムイゼルを人質として日本へと連れて帰りました。オランダ側の措置に立腹した幕府は、平戸のオランダ商館を閉鎖するという強行措置をとり、そのため日蘭貿易が途絶するという危機的状況に陥りました。この初期日蘭貿易最大の危機において中心的な役割を果たして解決へと導いたのが、先に触れたクーンで、彼は事件の中心人物であるノイツ自身を日本へと送り、幕府へと引き渡すという大胆な、しかも幕府側の心情を非常に心得た対応を取ることで事件を終結させ、その後の日蘭貿易の発展の礎を築くことに成功しました。本書におけるこの事件についての記述は、バタヴィア側からの視点から事件を詳細に論じた記事として非常に興味深いものといえます。また、1640年の平戸商館の閉鎖命令を受け、それに迅速に従った当時の商館長カロンの対応振りや、その後の長崎出島における日本との貿易独占の始まりと、そこから得られた利益や産品についても非常に詳しく論じられています。こうした日蘭貿易の歩みを改めて振り返り、今後の日蘭貿易の展望を開こうとする記述は、ちょうど本書刊行当時に日本の商館長を務め、幕府中枢や学者からも信頼が厚かったティツィング(Isaac Titsingh, 1745 – 1812)の対日政策との関係も含めて、大変興味深いものと言えるでしょう。

 本書によるバタヴィアの再認識と交易拡大の可能性を探る試みは、1795年のフランス革命戦争に起因するオランダ占領と、ジャワのイギリスによる占領、そして1799年のオランダ東インド会社そのものの解散といった激動の中で大きく揺さぶられながらも、イギリス東インド会社のラッフルズ(Thomas Stamford Bingley Raffles, 1781 - 1826)による改革的な統治時代を経て、再び独立したオランダによる国家政策によって継続されていくことになります。その一環として、日本の包括的調査を指名の一つとして来日するシーボルト(Phillip Franz Balthasar von Siebold, 1796 - 1866)の蔵書に本書が含まれていたのは、本書が19世紀に入ってからも、オランダによる東インド政策の基本書として重要視されていたことを物語るエピソードと言えるでしょう。

 なお、本書は1785年から86年にかけてドイツ語版(Beschreibung Und Geschichte Der Hauptstadt In Dem Holländischen Ostindien Batavia... 3 vols. Leipzig, 1785-86)も刊行されています。

刊行当時のものと思われる装丁だが、表紙が両方とも本体から剥離している状態。
口絵。オランダの支配するバタヴィアに人のみならずあらゆるものが平伏し敬う様を象徴的に描く。ただし、この口絵は本書のために書き下ろされたものではなく、本書以前に刊行された別の書物にも用いられていたことが確認できる。
第1巻タイトルページ。
読者への序文。
本文冒頭箇所。
ジャワ島全図。
バタヴィア市街図。
繁栄するバタヴィアの港の様子を描く。
市内に張り巡らされた水路(運河)と防御壁
第2巻タイトルページ。
第3巻タイトルページ。
「第9章:オランダ東インド会社による交易について」に収録されている日羅貿易関係記事。
バタヴィアを軸とした東インド貿易の推移と現状について数多くの統計数字を交えて論じている。
第4巻タイトルページ。
バタヴィア近郊の動植物などの解説と図版が収録されている。