書籍目録

『アジア言語誌』

クラプロート

『アジア言語誌』

1823年 パリ刊

Klaproth, Julius.

ASIA POLYGLOTTA,…

Paris, A. Schubart, 1823. <AB2020203>

Sold

4to (20.5 cm x 25.5 cm), LAKCING pp.[I(Half Title.?), II], pp.[iii(Title.)-vii], viii-xv, [xvi], [1], 2-277, 178[i.e.278], 279-294, 195[i.e.295], 296-351, 354[i.e.352], 353-384, pp.[121], 122-144, pp.1-8, folded charts: [1], Modern half leather on brown cloth.
タイトルページ含む冒頭8葉の下部余白に欠損と補修後あり(テキストの欠損はなし)。a-4と13-3、35-1、45-3の4葉の余白に切り込み欠損あり(テキストの欠損はなし)。

Information

東洋語学の天才として日本語研究を深めた研学によるアジア比較言語論

 本書は、19世紀前半におけるヨーロッパの東洋学者を代表するクラプロート(Julius Heinrich Klaproth, 1783 - 1835)が、アジアの諸言語を網羅的に比較しながら論じたもので、アイヌ語や日本語についても詳しく論じられている非常に興味深い書物です。

 クラプロートは、ベルリンの高名な化学者であったマルティン・クラプロート(Martin Heinrich Klaproth, 1743 - 1817)の息子で、すでに十代の頃から中国語をはじめとする東洋言語に強い関心を持ち、自らアジア研究雑誌を刊行するなど、当時のヨーロッパにおける東洋学研究者を代表する人物として数多くの著作を残しました。1805年にロシアの中国派遣団に随行した際には、イルクーツクで大黒屋光太夫の同僚だった日本の漂流民で、ロシア漂着後に日本語教師となっていた新蔵から日本語を学ぶ機会にも恵まれました。また、オランダ商館長を三度にわたって務め、ヨーロッパ最高峰の日本研究者であったティツィング(Isaac Titsingh, 1745 – 1812)の旧蔵書や遺稿を得ることができたことで、クラプロートは当時のヨーロッパにおける最新の日本研究を行うことができました。日本から帰国したシーボルトとも(紆余曲折がありながら)深い交流関係があったことでも知られています。

 フランスでは、クラプロートと同時代人で、彼も高く評価していた東洋学者レミュザ(Abel-Rémusat, 1788 - 1832)をはじめとした東洋学者らによる研究が19世紀に入ってから急速に進み、1822年には、フランス・アジア協会(La Société Asiatique)が設立されています。この協会は機関誌として、『アジア雑誌(Journal asiatique : ou recueil de mémoires, d'extraits et de notices relatifs à la philosophie, aux sciences, à la littérature et aux langues des peuples orientaux. 1822 - 1827)』を発行し、当時最新の東洋研究に関する様々な研究成果を発表しており、クラプロートもしばしばこの雑誌に寄稿しています。

 このように当時の東洋学研究の中心にあったクラプロートが著した本書は、クラプロートの言語研究の集大成の一つと言える作品です。くらプロートは本書においてアジアの数多くの言語を比較していますが、アラビア御、ペルシャ語、トルコ語、モンゴル語、ヒンドゥー語、チベット語、中国語、日本語、中央アジア諸言語、アルメニア語、ジョージア語を大きな区分として、これらから派生したとクラプロートが考えている諸言語が考察されています。クラプロートは、世界の様々な民族を理解するためには、その多様な言語を理解することが重要であるというライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646 - 1716)の指摘の示唆を受け、世界の様々な言語を網羅的に収集し、かつそれらを体系的に整理することを本書で試みると、序文において述べています。その際に特にこれまであまり研究されていないアジアの諸言語の考察を重視し、自身のロシアの中国遠征同行時に得た知見を生かし、できる限り各言語を用いる民族自らが記した書物にあたって研究したと述べています。本書冒頭には序論として、「アジアの歴史記述への寄与(Würdigung der Asiatischen Geschitschreiber)」と題したアジア史概論が設けられていて、多様なアジア言語の理解に欠かせないとクラプロートが考える、基本的なアジアの歴史的知識を読者に提供しています。このように、本書はアジアの各言語の知識を歴史的知見を前提として、網羅的、かつ体型的にクラプロートが整理した上で論じている点に特徴があり、その意味において、先駆的に歴史言語学的な手法を用いた画期的な言語研究書ということができます。

 このような書物において、日本に関係する言語として、アイヌ語と日本語の考察が含まれていることは非常に興味深い点です。「クリルあるいはアイヌ語(Kurilen Oder Aino)」(300頁)として取り上げられているアイヌ語は、カムチャッカ語、パシュトー語と比較しながら論じられており、ドイツ語も含めた各国語彙の一覧も掲載して詳細に論じられています。また日本語を論じた第16章(326頁)では、まず日本の歴史を概観するところから始められていて、紀元前に遡る中国との深い関係とそこから日本が派生したことや、日本の人々による自国の呼び方(Ni-fonあるいはNi-pon)などについても言及しています。日本語は中国の漢字と同じ文字を用いつつも、独立した異なる言語として発展したことが述べられていて、近隣諸言語では、琉球語との関係が深いことが指摘されています。「長崎」という言葉を具体的に取り上げ、漢字(Chinesische Schriftzeichen)では「長崎」その意味(Bedeutung)は「長い(Langes )岩浜(Felsenüfer)、その中国語の発音(Chinesische Aussprache)と、日本語の発音(Japanische Aussprache)として(Nanga-saki)というように解説されています。クラプロートは後年(1829年)にさらに日本語研究を深めて、平仮名や片仮名、音読みと訓読みといった複雑な日本語の構成について論じていることが知られていますが、1826年に刊行された本書では、まだそれらについては詳しく論じられていないように見受けられます。こうした点は、クラプロートの日本語研究の深まりを辿る上でも大変興味深い点のように思われます。アイヌ語の章に掲載されているような、他言語との比較語彙表では、ドイツ語、日本語、琉球語が取り上げられていて、例えば「Berg(ドイツ語)Jama(日本語、山)、Jama(琉球語、山)」というように数多くの言葉が掲載されています。

 なお、本書の末尾には補論としてブッダの伝記(Leben des Budd’a)も掲載されていて、アジア全域で広くみられる仏教の歴史的影響を理解するための補助線となっています。本書は、語学の天才として日本語研究にも大きな足跡を残したクラプロートの名著として名高いものですが、現在では非常に入手が難しくなっていることからも、大変価値ある日本関係欧文史料と言えるでしょう。


「クラプロートはまた、『アジア言語誌』(Asia Polyglotta, Paris, 1823)において、日本語の系統を論じて、言語学的にウラル・アルタイ語族に属することを提唱している。こうして魯西亜・ドイツを発信地としてまた、ヨーロッパ全体に日本語が紹介されることともなる。クラプロートのような言語学者の手に入る点で、いよいよ日本語も近代言語学の対象となるのである。」
(杉本つとむ『西洋人の日本語発見:外国人の日本研究史』講談社、2008年、118頁より)

タイトルページ
献辞文
序文冒頭箇所
本文冒頭箇所
日本語は独立した言語として扱われている。
「クリルあるいはアイヌ語(Kurilen Oder Aino)」冒頭箇所。
アイヌ語のドイツ語、カムチャッカ語、パシュトー語との比較語彙集。
第16章、日本語論冒頭箇所。
「長崎」という言葉を具体的に取り上げ、漢字(Chinesische Schriftzeichen)では「長崎」その意味(Bedeutung)は「長い(Langes )岩浜(Felsenufer)、その中国語の発音(Chinesische Aussprache)と、日本語の発音(Japanische Aussprache)として(Nanga-saki)というように解説されている。
ドイツ語、日本語、琉球語の比較語彙集。
上掲続き。
補論として収録されているブッダの伝記。
巻末に収録されている目次①
目次②
目次③
索引も設けられている。