書籍目録

『危機にあるアジア』(『亜細亜合同論』)

波多野烏峰

『危機にあるアジア』(『亜細亜合同論』)

オスマン・トルコ語版 1912(ヒジュラ暦1328)年 イスタンブール刊

Hatano (Uhou)

Asya tehlikede / müellifi Hatano ; mütercimleri Japonyalı Mehmet Hilmi Nakava ve Abdürreşit İbrahim.

İstanbul, Ahmet İhsan ve şürekası, 1328 (1912). <AB201774>

Sold

Edition in Ottoman Turkish

13.6 cm x 19.5 cm, pp. [1-7], 8-24, Original paper wrappers

Information

ムスリムであった波多野烏峰のアジア合同による欧米列強対抗論。珍しいオスマン・トルコ語版

 波多野烏峰(春房とも)は、その妻である秋子が有島武郎と心中した事件の当事者であったことで、現在はよく知られていますが、ムスリムに帰依し、特に厳しい状況にあったロシア系ムスリムと親交が厚く、多くの著作を残したことで知られています。彼は、当時(1910年代)の欧米列強に対して、日本だけでなく、中国、朝鮮、インド、そして中東のムスリム諸国が合同して抵抗することを説き、その理由といかにして合同を実現すべきかを『亜細亜合同論』で論じています。
 
 本書が刊行された1910年前後は、日本におけるイスラム世界との接触が急速に進んだ時期でもあり、来日したムスリム(当店ホームページ紹介しているイブラヒムもその代表格です)によって、日本での伝道活動が盛んになり始めただけでなく、国内でイスラム世界を紹介する雑誌などの出版活動も活発になったと言われています。波多野は、こうした出版活動にも(特に雑誌編集)積極的に関わっていたと言われており、本書の刊行もその一連の流れにあったものと思われます。

 波多野の主張する、アジアの合同による欧米列強への対抗は、西洋に対抗する東洋、という図式において、日露戦争に勝利した日本を西洋と対等に対抗しうる東洋の可能性と見立てる言説が力を持っていた時代背景もあり、中東世界でも比較的受け入れやすかったものと思われます。この書物がどの程度の影響力を持ち得たのかは明らかではありませんが、一次大戦へと向かう世界の政情の雲行きが危うさを増していく時代を示すものとして貴重な資料と思われます。

 なお、本書は、近年になって再び注目を集めているようで2009年にはアンカラで新たな編集によって現代版が刊行されています。

「一 亜細亜の危機 
試に思ひたまへ。
支那にして、欧米の分割するところとならば、為めに受くる日本帝国の影響は果して如何。実に、間断無き武力の逼迫は、帝国をして、今よりも百千倍せる軍備を得るに労せしむべく、就きて蒙る国民の苦痛は、所詮、想像の容すところに非ず。更に、欧米の進歩せる、大仕掛の工業は、極めて容易く帝国の副産物を、極東の市場より駆逐すべく。要するに、支那の分割が、最も密なる間接に於て、帝国の滅亡を意味するは、蓋し識者を持ちて、始めて知り得るの難事に非ず。(中略)
あゞ今の時、誰れか亦た、亜細亜の危機を叫ばざるを得べき。於是か著者は亜細亜合同の必要を高呼し、以て国を憂ふる真君子の同情に訴ふるところあらんを欲す。」
(波多野烏峰(述)『亜細亜合同論』1912年 冒頭より)

表紙。当時用いられていたオスマン・トルコ語と並んで漢字が表記されている。
冒頭の2ページでは、日本語原著の写真と記事を転載している。数点ある写真記事は「基督教国の力」と題され、欧米キリスト教国によるアジアでの暴虐を強調する残酷なものばかりである。
本文冒頭。構成を見る限りでは、日本語原著と同じであることから、完訳と思われるが、日本語原著が54ページであるのに対して、本書は24ページである。