書籍目録

『大学生のための日本語入門』

エリセーエフ / ライシャワー / ハーバード燕京研究所

『大学生のための日本語入門』

増補第2版  1942年 ケンブリッジ(アメリカ)刊

Elisséeff, Serge / Reischauer, Edwin O.

ELEMENTARY JAPANESE FOR UNIVERSITY STUDENTS. VOCABULARIES, GRAMMAR AND NOTES.

Cambridge, Massachusetts, Harvard-Yenching Institute, 1942. <AB202094>

¥27,500

Second Enlarged Edition (Second Printing with Additions)

20.0 cm x 25.0 cm, pp.[i(Title.)-iv], v-x, 1-199, Half cloth on original publisher card boards.
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS, School of Oriental and African Studies)の旧蔵書で、蔵書票が見返し部分に貼られているほか、タイトルページにも蔵書印と除籍印があり。

Information

日米開戦によりわずか一年余りで急遽増補が施された第2版

本書は、現在東洋学・日本研究の世界的拠点として名高いハーバード燕京研究所の初代所長として日本語研究に大きな足跡を残したエリセーエフ(Serge Elisséeff, 1889 - 1975)とその弟子で第二代研究所長、駐日大使を歴任したライシャワー(Edwin Oldfather Reischauer, 1910 - 1990)が編纂した日本語教科書です。本書初版は日米開戦の直前である1941年夏に刊行されましたが、同年末の日米開戦に伴い、アメリカにおける日本語研究と教育機関の充実がにわかに急務となり、こうした目下の目的にも対応するべく増補改訂が施されたものが本書です。

 著者であるエリセーエフ、ライシャワーは、現在ではいずれも日本語研究のみならず、その多方面にわたる活躍によってその功績が高く評価されており、特にライシャワーについては、戦後1961年から66年にかけて駐日アメリカ大使として活躍したこともあり、多くの人に知られています。エリセーエフは、ロシアで生まれ、ドイツ語での教育を受け、パリに亡命しつつも、アメリカと日本で活躍したという数奇な運命を辿っています。

「エリセーエフは1889年にロシアのペテルブルグに生まれた。18歳でベルリン大学に入学、日本語、中国語を学び、1908年に来日、東京帝国大学文学科に入学した。3人の家庭教師につき、日本語習得に努め、大学では上田万年、芳賀矢一、藤岡勝二、保科孝一、藤岡作太郎らの講義を受けた。同窓生の小宮豊隆の紹介で夏目漱石と面識を得たのもこの頃であった。1914年に帰国したが、1921年にはフランスに亡命、ソルボンヌ大学で日本文学史や日本文法を講じた。その後、1934年に米国ハーバード大学の要請で同大学東洋語学部の教授となり、1941年から5年間、海軍語学校の日本語特訓コースで日本語を教えた。
 エリセーエフの、ハーバードでの第一門下生だったのお辛いシャワーである。エリセーエフは自らの体験から優秀な東洋学者育成のためには、ヨーロッパとアジアで実地に勉強させるべきだという信念を持っており、ライシャワーをパリに3年間、日本、朝鮮、中国に3年間留学させた。(中略)
 この後、ライシャワーはエリセーエフとともにハーバードにおける東アジア研究の中心的役割を果たしていく一方、1940(1941年の誤りではないかと思われる:引用者注)年には、日本語教科書も刊行した。」
(関正明『日本語教育史研究序説』スリーエーネットワーク、1997年、95,96頁より)

 本書は全100講義の構成となっいて、いずれの講義も冒頭に語彙の解説、続いて文法の解説、最後に注釈という流れになっています。序文では、初版と同じく、従来の日本語テキストが日常会話を主目的としているが、大学の研究レベルで用いられるような語彙の習得には全く不向きで、日本学研究に必要な日本語能力を習得することが困難であるために本書が編纂されたということが述べられていますが、日本との戦争が始まったことによって日本語習得に対して新たなニーズが急速に生じつつあるという第2版の背景事情が説明されています。日米開戦に伴い初版は刊行後8ヶ月で売り切れとなり、大学では日本語教育が急務となったとして、こうした新しいニーズにも対応できるよう本書に急遽増補を施した旨が述べられています。特に初版は大学での日本研究を視野に入れたテキストとしてアカデミックな文章読解に力点を置いていたが、目下のニーズは、一般会話や文章の読解を必要とすることから、こうしたニーズに応えるために補遺を新たに設けて、本文と対応した翻訳練習問題、会話文の翻訳練習問題、平仮名とカタカナの書き方と、補遺に登場する漢字の書き方を加えたことが説明されています。本書である第2版の序文は、こうした慌ただしい増補が必要となった刊行当時の緊迫した事情と、それ以前のアメリカにおける日本語研究がそれほど活発でなかったことを思わせるもので、初版との違いが大きく感じられる内容となっています。この序文を読むと、わずか一年余りの間に、アメリカ国内における日本語学習の持つ意味と目的が全く変わってしまったことがよくわかります。

 エリセーエフとライシャワーは、本書刊行後も、日系二世のTakehiko Yoshihashiの助力のもと、1944年に『大学生の初歩日本語』(全3巻)(Elementary Japanese for college students. 3 vols. 1944(1971年の再版あり))を、また本書の例文編として、『大学生のための日本例文選集』(Selected Japanese texts for university students. 2 vols. 1942.)(第3巻は1947年刊行)も刊行しています。

 なお、本書は、燕京研究所と並んで、イギリスのみならず世界でも屈指のアジア・アフリカ研究の拠点として名高いロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS, School of Oriental and African Studies)の旧蔵書で、蔵書票が見返し部分に貼られているほか、タイトルページにも蔵書印と除籍印があります。

見返しとタイトルペジ。SOASの蔵書票と押印が確認できる。
序文では初版のそれを踏襲しつつ、日米開戦によって生じた急激な変化と第2版刊行の背景と狙いが語られている。
全100講義からなる本文は初版を踏襲しているものと思われる。
第2版で追加された翻訳練習
第2版で追加された会話文の翻訳練習
第2版で追加された平仮名書き方一覧表
第2版で追加されたカタカナ書き方一覧表
第2版で追加された漢字の書き方。上掲の補遺に出てくる漢字が取り上げられている。
巻末には初版と同じく索引が設けられている。