書籍目録

「日本の漆の木について」ほか『ゲルマン医理学アカデミー論集 1686年号』所収

クライアー(クレイエル) / メンツェルほか

「日本の漆の木について」ほか『ゲルマン医理学アカデミー論集 1686年号』所収

1687年 ニュルンベルク刊

Cleyer, Andreas / Mentzel, Christian...[et al]

D. ANDREAE CLEYERI, De Arbore laccifera Japanesi Fasnoky sive Namra. and others in MISCELLANEA CURIOSA SIVE EPHEMERIDUM MEDICO-PHYSICARUM GERMANICARUM ACADEMIAE NATURAE CURIOSORUM DECURIAE II. ANNUS QVINTUS, Anni M. DC. LXXXVI...

Norimbergae (Nürunberg), Wolfgangi Mauritii Endteri, M DC LXXXVII. (1687). <AB201767>

Sold

4to, Fly title, Front, Title, 11 leaves, pp. 1- 331[i.e.313], 314 - 436[i.e.439], 440 - 478, 1 leaf, pp.[1-2], 3-15[i.e.51], 52-206, 12 leaves (INDEX), plates: [35], Modern quarter calf on marbled boards.

Information

日本の植物をケンペルに先駆けてヨーロッパの学会で発表したクライアー論文を収録

 本書は、ベルリンの学術協会が刊行していた雑誌で、植物学に限らず、自然科学全般に関する幅広い学術論文を多数掲載しています。医学、動物学、天文学も含めた当時最新の学術成果を発表する媒体となっていた雑誌で、多くの銅版画によって解剖図や図表を収録している点にも特徴があります。この雑誌が大変興味深いのは、西洋人による日本の植物の本格的研究の端緒となった数多くの論文が収録されている点にあり、本書にもそうした論文を見ることができます。

 クライアー(Andreas Cleyer, 1634 - 1697)は、2度に渡って(1683−84年、1685−86年)オランダ商館長を務めた優れた植物学者で、離日後もバタビアにとどまり、当地や東アジア地域の植物収集と研究を続けました。ヨーロッパで最初の日本の植物と庭園の紹介書である『東洋園芸師(Der orientalish-indianische Kunst-und Lust Gärtener, 1692)』を著したマイスター(George Meister, 1653 - 1713)の植物採集者としての優れた才能を見出し、ともに研究を進めたことでも知られています。クライアーは、ベルリンのプロイセン王室図書室の責任者にして博物学者であったメンツェル(Christian Mentzel, 1622 - 1701)と文通によって、日本の植物を紹介しており、このことが日本とヨーロッパとの植物研究交流の先駆けとなり、その基礎を築く役割を果たしました。クライアーは、600枚近くに上る日本の植物画の収集を行い、それらをマイスターを通じてフリードリヒ3世に献呈しており、これらは今もベルリン国立図書館に保管されています。クライアーと交流を続けていたメンツェルは、クライアーが送ってくる日本やバタビア、東アジアの植物についての研究論文を、本書において発表するとともに、自身でも多くの論文を発表していました。

 本書に掲載されている、日本の植物に関する論文は、メンツェルによる東アジアでのGin-Sen、すなわち人参についての論文と、クライアーによる日本の漆の木についての論文、ほか1本の計3本の論文です。いずれの論文にも、扱われる植物を描いた銅版画が付されており、日本語や漢字での表記も再現されていることから、当地の文献をクライアーが手にし、それらをメンツェルに送っていたことがわかります。クライアーやメンツェルによる植物研究は、純粋な学術的関心によるものだけではなく、オランダ東インド会社による貿易上の関心、すなわち、ヨーロッパで入手できない珍しい効能や用途を持つ植物を探索することで、それらの輸入による貿易利益を得ることも意図されていました。そのため、薬品としての価値や効能、用途についてはとりわけ詳しく報告されています。クライアーの論考は、日本の長崎から1685年10月28日に送られたものであることも明記されており、クライアーとメンツェルがどのようなやり取りをしていたかをたどることができる貴重な資料となっています。

 これらの論文は、ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 - 1716)による、日本の植物研究に先駆けるもので、また、銅版画によって初めて日本の植物をヨーロッパに伝えた視覚資料としても大変重要な文献と思われます。

 「17世紀を通じて数多くのドイツ人がオランダ東インド会社の役員として東洋を訪れ、日本についての見聞記を残した。その中で最も学問的に評価の高い資料を集めたのは、1682年から1683年(天和2-3)と1685年から1686年(貞享2-3)年の二度にわたって、出島の商館長として来日したアンドレアス・クライアーと、そのクライアーの下で庭園技師として働いたゲオルク・マイスターである。二人は日本の植生を初めてヨーロッパに紹介したが、彼らがヨーロッパの知人や友人たちに送った植物画、学術論文、そして植物標本や押し花のコレクションは、ドイツ、イギリス、ポーランドに現在も残っている。彼等は、ケンペル、ツュンベリー、そしてシーボルトの先駆者といえるだろう。」
(ドイツ日本研究所編『ドイツ人の見た元禄時代:ケンペル展』(ドイツ日本研究所、1990年より)

口絵。本書が対象とする学問領域が図像化されている。
タイトルページ。
メンツェル論文冒頭。Gin-Senとは人参のこと。ヨーロッパにない薬草として注目されていたものと思われる。
メンツェル論文に付されている漢文注釈図。
メンツェル論文銅版画。クライアーの採集した日本の人参との比較図か。
クライアー論文冒頭。
クライアーが長崎からメンツェルに当てて送ったものであることをが明記されている。
クライアー論文銅版画。日本語のハスノキ、ニヌイタブ?が何を指しているのか、店主には判定できず。本書には、後者についてのメンツェル論文も収録している。
  • その他論文の一例
装丁は比較的新しく再装丁されたものと思われ、状態は極めて良好。