書籍目録

『コスモグラフィー:全世界の地誌と歴史』

ヘイリン

『コスモグラフィー:全世界の地誌と歴史』

第6版(実質的には第5版) 1674年 ロンドン刊

Heylyn, Peter.

COSMOGRAPHY IN FOUR BOOKS. CONTAINING THE Chorography and History OF THE WOHOLE WORLD, AND ALL THE Principal Kingdoms, Provinces, Seas, and Isles thereof.

London, (Printed for) Philip Chetwind, and Anne Seile, MDCLXXIV(1674). <AB202019>

Sold

6th edition (i.e. 5th edition).

Large 4to (21.5 cm x 34.0 cm), 詳細な書誌情報は下記解説参照。, Later full leather, rebacked.
[ESTC: 006132183]

Information

17世紀後半の英語圏知識人の世界観を規定した世界地誌の名著において描かれた日本像

 本書は、世界各地の地理と歴史についての情報を大部の一冊の書物に編纂した書籍で、17世紀後半のイギリスにおいてベストセラーとなったことで知られる名著です。著者のヘイリン(Peter Heylyn, 1600 - 1662)は、オックスフォード大学で教鞭をとっていた著名な地理、歴史、神学者で、本書は彼の主著として50年余りにわたって版を重ねて読み継がれました。本書は、当時の英語圏知識人階層に多大な影響を及ばした書物として知られており、彼らの世界観形成の基軸になった重要な文献ということができます。このような重要な背景を持つ書物である本書には、地図を含めて日本関係記事も収録されており、ここに記された(描かれた)日本情報は、当時の権威ある日本情報として大きな影響力を及ぼしたと考えられることから、日本関係欧文史料としても大変重要な書物ということができます。

 ヘイリンの『コスモグラフィー(大宇宙)』は、元々『ミクロコスモス(Microcosmos、小宇宙)』と題して1621年に刊行された書物に全面的な改訂版を施して1652年に刊行したものです。『ミクロコスモス』は幾度か版を重ねていることからそれなりの反響を得たようですが、現存部数の少なさに鑑みると残念ながらそれほど大きな影響力を有することはなかったようで、またヘイリン自身もその出来栄えに不満を覚えていたものと考えられます。16世紀終わりから17世紀初めにかけての時期、イギリスの本格的な海洋進出の開始に呼応する形で、世界地誌や歴史を扱った英語文献の名著が相次いで出版されており、「新世界」の情報に飢える英語圏読者のニーズに応えていました。ヘイリンの『ミクロコスモス』もそうしたニーズの高まりを背景に出版されたものと思われますが、同書が刊行された1621年までの世界地誌を主題とした英語出版物を簡単に列挙すると、下記のような書物があります。

1589年
ハクルート(Richard Hakluyt, ? - 1616)
『イギリス国民の主要航海記』
The principall navigations. 1589.

*1598年
リンスホーテン(John Huyghen Van Linschoten, 1563 - 1611)『東方案内記』英訳(John Huighen van Linschoten his discourse of voyages into ye Easte & West Indies.1598)刊行される。

1601年
ボテロ(Giovanni Botero, 1540 - 1617)
『世界著名王国誌』(英訳)
The travelers breviat, or an historicall description of the most famous kingdoms in the world. 1601.

1613年
パーチャス(Samuel Purchas, ? - 1626)
『廻国記集』
Purchas his pilgrimage. Or relations of the world and the religions…1613 / 1625.

1614年
ローリー(Walter Raleigh, ? - 1618)
『世界の歴史』
The history of the world. 1614.

1615年
ダヴィティ(Pierre D’vity, 1573 - 1635)
『世界帝国誌』(英訳)
The estates, empires, & principalities of the world. 1615.

 いずれも現在において名著とされているものばかりですが、上特に注目すべきは、1615年に刊行されたダヴィティ『世界帝国誌』英訳版で、これは、もともとフランス語で1612年に刊行されてから瞬く間に人気を博した書物として知られ、世界各国・各地を地域ごとに分類して網羅的に記述するというスタイルを完成させた名著として知られています。こうした錚々たる名著の中にあってヘイリンの『ミクロコスモス』が埋もれてしまったのは、執筆当時まだ若かった彼の年齢に鑑みるとやむを得ないことだったかもしれません。

 ヘイリンは『ミクロコスモス』の全面的な改訂版をいずれ出版することを長らく計画していたものと思われ、同書とは、書物の大きさも分量も全く異なる全面刷新を施した『コスモグラフィー』を1652年に刊行します。この改訂版『コスモグラフィー』は、本書である1674年版のベースとなったもので、「コスモグラフィー(大宇宙)」というタイトルに相応しく、フォリオ大(ただし実際には四つ折り)の大きな用紙に、ダブルカラムで1,000ページを越える分量になる大著として刊行され、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカを描いた折込の大型地図も収録していました。

 この改訂にあたって、ヘイリンは、先に述べたダヴィティの書物に大きく影響を受けていたことが、本書の特徴的なタイトルページからみてとることができます。ダヴィティ『世界帝国誌』英訳版は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アフリカを象徴する4人の人物が中央の玉座に坐するチャールズ1世にひざまづく場面(フランス語原著ではルイ13世)を描いた特徴的なタイトルページで知られますが、ヘイリンは『コスモグラフィー』改訂版のタイトルページとして、このダヴィティのタイトルページの意匠をほとんどそのまま流用しているのです。これは、名著として知られたダヴィティ『世界帝国誌』英訳版の実質的な後継書として、自身の『コスモグラフィー』を企図していたともいうことができるでしょう。

 この『コスモグラフィー』は、ヘイリンの思惑通り、大変な好評を博したようで、大型で折込地図を収録した(したがって大変コストもかかる)書物としては珍しく、幾度も版を重ね、ヘイリン没後も彼が亡くなる直前に遺した改訂を施した増補改訂版が刊行(1666年)され、実に50年以上にわたって刊行され続けることになりました。その意味において、本書は17世紀後半の英語圏における知識人階層の世界観形成に多大な影響を及ぼしたと言うことができるでしょう。本書は1674年に刊行された第5版と考えられるものですが、ヘイリン没後改訂版である第3版(1666年)以降、実質的な内容の変更はほとんどなく、完成度が当初から非常に高い書物であったともいえるでしょう。最終版となった第7版(1703年)になって初めて、地理学者ボフン(Edmund Bohun, 1645 - 1699)による増補改訂が行われ、地図も改めらることになりましたが、17世紀中は、ヘイリンの当初の記述がほぼそのまま用いられていたことになります。参考までに、『コスモグラフィー』改訂版の刊行の変遷を列挙しますと、下記の通りになります。

① 初版:1652年 [ESTC: 006101989]
② 第2版:1657年(ヘイリン生前最終版)[ESTC: 006076137]
③ 第3版:1666年(ヘイリン没後増補改訂版=本書の底本となった版)[ESTC: 006080674]
③A 第3版異刷:1667年(Chetwind版)[ESTC: 006161173]
④(第4版):1669年(版表記なし)[ESTC: 006084429]
④A 第4版異刷:1670年(Chetwind版)[ESTC: 006084387]
⑤ 第5版:1674年(第5版と表記)[ESTC: 006106550]
⑤A 第5版異刷:1674年(第6版と表記するが、実質的には第5版)[ESTC: 006132183]*本書のこと
⑤B 第5版異刷:1677年(第5版と表記)[ESTC: 006161171]
⑥ 第6版:1682年(第6版と表記、第3版を底本とする最終版)[ESTC: 006080806]
⑦ 第7版:1703年(ボフン改訂版、収録地図を刷新し世界図を追加)[ESTC:006377069]

 このように長期にわたって多大な影響力を誇った世界地理書である本書には、日本を描いたアジア図と、日本を独立して取り上げた記事が収録されており、これらの内容は、その影響力の大きさに鑑みると大変興味深いものといえるでしょう。日本は、「東方の島々(The Oriental Islands)」の筆頭として取り上げられていて、その位置、大きさ、構成といった地理情報に加え、気候や人々の気質、文化、言語、宗教、主要都市、近年の歴史など、多彩なトピックが手際よくまとめられており、コンパクトな記事ながら大変質の高い内容となっています。また、アジア図において描かれている日本は、16世期末のテイシェイラ型日本図にその原型があると思われますが、細かに地名が書き込まれていて、こちらも小さいながら質の高い日本図となっていると言えます。

 本書は当時多大な影響力を有し、17世紀後半を代表する英語で出版された世界地誌として知られる一方で、そこに含まれている日本関連情報については、これまであまり言及されることがなかったのではないかと思われます。その意味でも、ケンペル以前のヨーロッパにおいて流布した有力な日本情報として本書の記事を読み解くことは、大変い興味深い研究テーマと言えるのではないでしょうか。

 なお、本書はページ付がかなり複雑になっていますが、テキストに欠落はなく内容は完備しています。詳細な書誌情報は下記の通りです。

1 leaf(Imprimatur), Illustrated Title., Title., 4 leaves, pp.1-24, [25(Title. for the first book), 26(blank)], 27-290, 391[i.e.291], 292, 293, 394[i.e.294], 295-303, [304(blank), 305(Title. for the second book), 306(blank)], 307-329[i.e.327], 328-441, 136[i.e.442], 443, 139-226[i.e.444-531], Title. for the third book(Asia), pp.1-86, NO LACKING PAGES, 91-230, Title. for the fourth book(Africa), pp.1-77, [78(blank), 79(Title. for the part 2 of the fourth book(America)), 80(blank)], NO LACKING PAGES, 83-154, [155(Title. for Appendix), 156(blank)], 157-162, 20 leaves, [Folded maps: [4].

21.5 cm x 34.0 cmとかなり大型の書物で、ページ数も1,000ページを超えるボリューム。装丁も含め状態は非常に良い。
見返しには美しいマーブル紙が用いられていて、旧蔵者の蔵書票が残されている。
ダヴィティ『世界帝国誌』の特徴的なタイトルページの意匠を用いたタイトルページ。同書の後継書であるという自負心も含まれていたのではないかと思われる。
(参考)ダヴィティ『世界帝国誌』英語版のタイトルページ。上掲写真と見比べると、その影響関係は一目瞭然である。
タイトルページ。
読者への序文冒頭箇所。
序文冒頭箇所。
各パートごとに独立したタイトルページが設けられている。ヨーロッパは2つのパートに分けられている。
ヨーロッパ折込地図。
ヨーロッパ第一部冒頭箇所。
ヨーロッパ第二部タイトルページ。
アジアの部タイトルページ。
アジア折込地図。
日本については、かなり細かく地名が書き込まれている。
アジアの部冒頭箇所。
日本は、「東方の島々(The Oriental Islands)」の筆頭として取り上げられている。コンパクトながらも多岐にわたるテーマを手際良くまとめた質の高い内容といえる。
上掲続き。
アフリカの部タイトルページ。
アフリカ折込地図。
アフリカの部冒頭箇所。
アメリカの部タイトルページ。
アメリカ折込地図。
アメリカの部冒頭箇所。
補遺として、当時その存在が信じられていた「未知の南方大陸」についての小論が収録されている。
巻末には索引を備える。