書籍目録

『既知なる全世界の国々の完全な普遍誌』

[スツルジェオン] / ウィルソン

『既知なる全世界の国々の完全な普遍誌』

1738年 ロンドン刊

[Le Stourgeon, B.] . Wilson, Henry.

A COMPLEAT UNIVERSAL HISTORY Of the Several DOMINIONS Throughout the KNOWN WORLD…In their GEOGRAPHY, Natural, Ecclesiastical, Civil HISTORY, and POLICY. Adorn’d with MAPS, Cpy’d the best ORIGINAL. By the Late Mr. HENRY WILSON, GEOGRAPHER and MATHEMATICIAN

London, the publisher name is not stated, MDCCXXXVIII (1738). <AB20202>

Sold

Folio (24.0 cm x 38.0 cm), printed in two columns, pp.[1(Title.),2, 3-4(preface)], 5-64, 61, 62-252, 249, 250-336, [NO LACKING PAGES], 341- 583, [NO LACKING PAGES], 592-712, 709, 712-882, [NO LACKING PAGES], 885-944, 5 leaves(Index), Folded maps: [3], Contemporary full leather, rebound.
タイトルページと地図2枚が本体から剥離。全体的に水染みの跡あり。ヨーロッパ地図、索引最後の二葉に破れ(一部欠損あり)。ESTC:006250052 / 006063676 / 006383043(1732 ed.)

Information

「日本王国誌」と地図を収録、大英図書館ほか数機関しか所蔵が確認できない稀覯文献

 本書は、世界各地の地理・歴史に関する情報を網羅的、体系的に記した書物で、「日本王国誌」と日本を含むアジア地図を収録している点で、日本関係欧文資料として大変興味深いものです。フォリオ判で長辺が40センチ近くもある大型の書物に、ダブル・コラムで記事が収録されていることからも分かるように、当時最新の世界地理・歴史に関する膨大な情報を1冊で提供しています。しかも、これだけの大著でありながらも非常に奇妙なことに、本書は国内で全く所蔵されていないだけでなく、世界的に見ても大英図書館ほか数機関しか所蔵が確認できないという大変な稀覯文献となっている点でも、注目すべき書物と言えます。

 本書はタイトルページに著者名が記載されていませんが、18世紀刊行英語文献を中心に掲載した大英図書館の所蔵書籍目録(English Short Title Catalogue、以下ESTC)によりますと、1732年と表記されたタイトルページを有する版(ESTC No.006383043)が存在しており、そこにはスツルジェオン(B. Le Stourgeon)という著者名が明記されているようです。ただし、このスツルジェオンという人物についてもその詳細を知る手がかりがなく、本書以外の著作も確認することができませんので、あるいは筆名なのかもしれません。また、本書の価値を高めているユニークな折込地図の原版を提供したとされるウィルソン(Henry Wilson)という人物についても、全く情報がなく、タイトルに「地理学者、数学者」とあり、地図に「『完全なる海図帳(Compleat Sea Atlas)』の著者」とある情報以外にその詳細を知る手がかりがありません(『完全なる海図帳』という作品についても店主は確認できず)。このようにテキスト、地図を作成した人物の詳細が不明というのも本書をめぐる謎の一つですが、これだけの分量のテキストを書き、また他に酷似する類例を持たない地図を描くことができた人物ですので、相当の学識を有していた人物であることは間違いなさそうです。

 長大な本書のタイトルに記されているように、本書は当時ヨーロッパに知られていた世界各地の歴史、地理を網羅的に記述することを試みたものです。「普遍誌(Universal History)」という言葉は、現代ではあまり耳慣れない言葉ですが、元々はキリスト教圏における代表的な歴史観で、聖書に依拠して天地創造と人類の歴史を遍く記すことを目的とする書物のことを指していました。ルネサンス期において、空間的にも時間的にも聖書の枠組みを当てはめることが困難な「発見」が相次いでもこの試みは熱心に続けられましたが、18世紀に入るとその世俗化は避けようもなく進展し、単純にあらゆる地域の歴史と地理を網羅するという、百科全書的な歴史記述へとその意味が変容していきます。本書はこうした普遍誌の世俗化が進む中で1738年(初出は1732年とされる。上掲ESTC参照)に刊行されたものですので、かなり世俗化が進んだ時点での普遍誌と言えますが、後述するように聖書記述との整合性に言及する傾向が皆無になったわけではなく、一部にその名残が見られます。

 Historyという言葉からは歴史という時間的記述だけが思い浮かべられますが、その後のタイトルが長々と示しているように、本書では、世界各地の、位置、地理的範囲、境界、気候、空気、土壌、地域区分、都市、街、珍奇な品々、交易、富、航海術、港湾、海、河川、山岳、野菜、動物、鉱物、法律、政府、君主、爵位、戦争、革命、さらにまた、人々、外観、気質(傾向)、食事、風習、宗教、言語、学識、芸術、科学について記しており、さらに地理、自然史、宗教的歴史、世俗史、政策を含むとされています。

 また、本書には短い序文が設けられていますが、この序文は著者の見識を窺い知る上で非常に興味深いもので、世界各国の地理を理解することの重要性と、本書がこれまでの類書にない水準にあることをうたっているだけでなく、外国のことを学ぶ意義を強く主張している点で注目に値します。著者は、外国に対して奇異で珍奇なものばかりを求め、結局は自国が最上であると過大に評価する傾向に陥りやすいことを読者に戒めていますが、これは当時の航海記や旅行記が、ともすれば興味本位の冒険奇譚として読まれがちであったことや、そうした読者の傾向を意識して多くの書物が出版されていたという当時の時代背景に基づいているものです。著者はこうした傾向に警鐘を鳴らし、むしろ「全ての国々は「イングランド」と同じくそれぞれの長所を有する」のだと主張して、他国・地域の長所を正しい知識に基づいて学び、吸収することを強く薦めています。航海記・旅行記も18世紀に入ると、ハリス(John Harris, 1666? - 1719)の『航海と旅行記の完全集成(Navigantium atque Itinerantium Bibliotheca. 2 vols. 1705)』や、チャーチル(Awnsham Churchill / John Churchill)の『航海・旅行記集成(A Collection of Voyages and Travels,... 4 vols. 1704)』のような「科学的客観性」を重視した新しい書物が刊行されていきますが、著者が主張するような「全ての国々は「イングランド」と同じくそれぞれの長所を有する」とまで言い切る他文化観は、本書ならではの大きな特徴と言えるでしょう。

 本書は、ヨーロッパから見て極東にあたる地域、すなわち東アジアの記述から始められていて、そこから徐々に西へと進むという記述順になっています。本書の特徴でもある3枚の折込地図は、日本を含む東アジア、東南アジア地域を描いた地図、中東、南アジアを描いた地図、ヨーロッパ、北アフリカを描いた地図です。地図にアメリカが含まれていないことからも推察できるように、相対的にアメリカ大陸の記述がやや貧弱なようにも見受けられますが、フォリオ判で1,000ページ近くに渡って、全世界の地理・歴史を記述した大作であることは間違いありません。

 こうした本書において、日本は中国についで2番目に扱われており、49頁から「日本王国誌 (Description of the Kingdom of Japan)」と題して掲載されています。「日本王国誌」は全6章で構成されていて、その情報源は明示されていませんが、18世紀ヨーロッパにおける日本情報の金字塔となったケンペル(Engelbert Kämpfer, 1652 - 1716)の『日本誌 (History of Japan. 1727)』からの影響が多分にあるのではないかと思われます。ただし、『日本誌』をはじめとして、特定の情報源にそのまま依拠するのではなく、著者自身が多様な情報源を整理しながら、自身の見解をもとに整理しながら記述しているのが特徴で、先行文献の単なる孫引きではないところに、著者の見識の高さが伺えます。

 第1章は、「地理的位置と領地の範囲、主要都市、王宮、建築様式と家具の種類について」とあります。著者は、日本は多くの島々からなるが、その最大のもの(本州のこと)は国と同じ名前であり、「ニフォン(Niphon)」とも呼ばれること、ここではよりよく知られている名称である「ジャパン(Japan)」と呼ぶことにすると説明しています。次に大きな島として、「豊後(Bungo)」(九州のこと)を挙げ、その首都は島の名前と同じく豊後で、「キシマ(Kisma)」と呼ばれるオランダの商館がある小島(出島のこと)のある長崎(Nagasaque)もこの島の西岸にあると述べ、この島は一本の橋を渡ることで長崎の市中と行き来できるが、オランダ人がそのことを許されることは滅多にないと出島の様子を説明します。さらに、次のより小さな島は、「土佐 (Tonsa)」あるいは、「トコシ(Tokoesy)」(四国のこと)と呼ばれる島で、豊後島(九州のこと)の東、ジャパン(本州のこと)の南にあり、その首都は、「阿波(Nava)」という東岸の街であるとし、この他にも、無数の島々が日本にあるが、それらは全て、ジャパン(本州)という国王の住む島に服していると説明しています。

 日本の気候については、ジブラルタル海峡のそれと同じだが、緯度はイタリアよりも南になるので、より温暖、あるいは暑いと思われるが、一方でジャパン(本州のこと)北部は冬の間、非常に寒く大半の地域が雪に覆われること、とはいえ、概して非常に健康的な空気であるため、ペスト、痛風、結石は、この国ではほとんど見られないことを記しています。しかし、他方で軽度の梅毒などは非常によく見られることや、空気が良いため、土地は豊穣で米、雑穀、小麦、大麦の収穫高は大きく、国内での流通も盛んであるとしています。動植物はヨーロッパにおいて見られるものの大半が日本にも生息しており、家畜の飼育も盛んで、森林では杉を植え、地中からは金、銀、銅、錫、鉄、鉛などが採掘されるが、なかでも銀が質量ともに非常に優れていて、他の鉱物類は近隣のインド地域(Indies)ほどにはよくないこと、また、日本では真珠がよく採れ、白い真珠だけでなく、それと同じくらい価値があると言われる赤い真珠もあると述べています。

 聖書に基づく歴史観の名残といえる日本の人々の起源論については、日本の人々は中国から渡来してきたと考える向きもあるが、その地理的状況に鑑みると、日本からごくわずかしか離れていない韃靼(Tartars)から渡来したものと考えるべきであるとして、また日本の風習のうちで、火葬や頭部の刈り上げ等々、韃靼のそれと合致するものが見られ、これらは韃靼の人々が支配する以前の中国には見られないことにも鑑みると、いっそう確かであるという見解を述べています。

 主要都市については、ジャパン(本州のこと)には、特筆すべき大都市が3つあり、その最大のもので東方に位置するのが江戸(Jedo or Yedo)とよばれる広大な王宮の擁する大都市であると解説しています。江戸にある、宮廷、庭園、堀、住居、後宮などを備えた極めて豪奢な宮殿の内部には王だけでなく、王の血縁者と枢密顧問官が住居があり、外側にはより下級の諸侯の住居もあって、彼らは一年の半分をそこで過ごすことが義務付けられていること、彼らの住居は、王の目にかなうよう、その豪奢さを互いに競い合って建てられており、これは家臣の住居が過度に豪華であることが王への無礼にあたると考えられている中国とは正反対であるという見解を述べています。第2の大都市は、「ミヤコ(Meaco)」(京都のこと)で、本州西部の川のそばにあり、かつての首都であり、当時日本を治めていた「内裏(Dairi)」がいた都市で、以前は約18万戸の家屋があったと言われているが、戦乱により減少してしまい現在は約10万戸とされていること、この都市の通りは広大でよく整備されていて、城壁(城壁はこの列島でほとんど用いられることがない)を有しないが、監視の者が通りの終わりごとに配置されており、夜間の不測の事態や火事に備えていることを説明してます。第3の大都市は、「堺(Saccai)」と呼ばれる本州の南に位置し、ミヤコ(ここでは綴りが誤ってMacaoとなっている)のそばを流れる川の入り口にあって、非常に広大で人口も多く城壁と海、堀によって防御されていると述べています。

 建築物やその内部については、日本の多くの建物は木製で、収納可能なパーテンション(障子のこと)で一つの部屋を分割したり、拡張することが可能な造りとなっていること、町人は土塀の藁葺き家屋に住んでいるが、この家屋は火事に対して脆弱なので、貴重品を修造するための石造りの倉庫を別に有していると説明しています。また、高貴な人々の家屋は、より豪勢で、門扉は漆塗りが施されていて、これは装飾として優れているだけでなく、耐久性の面においても優れていることや、日本の家屋ではヨーロッパで我々が用いるようなガラス窓はなく、中国で見られるような藤や牡蠣の貝殻による装飾も見られないこと、戸口は開け放たれており、夜間に用心が必要な時だけ閉じられることも解説されています。さらに日本の人々にとっては、家屋の地面が、テーブルになり、ベッドになり、椅子にもなり、地面に敷かれたマットがテーブルリネンとベッドの役割を果たしていて、絵画が部屋に掛けられていることが普通で、他の家具は棚、中国陶器、刀剣などと非常に細かく解説しています。

 このように著者の日本についての記述は非常に細かいものですが、多くの情報をただ羅列的に記すのではなく、タイトルに示したような項目に沿って整理して解説されていることや、随所に他地域(特に中国)との比較を著者が試みにていることが特徴と言えます。全ての記述をここで解説していると切りがありませんが、第2章以下でも下記のような興味深い記述が展開されています。

第2章
日本の人々の気質や才能についての記述、彼らの習性、食事、娯楽、祭り、音楽、あいさつの仕方、交易、習慣、手工業製品、耕作などについて

 オランダ人がキリスト教を否定することで日本との交易を行っていること、日本の人々の彼らに対する猜疑心が極めて強いため、「出島(Island of Kisma or Desima)」と呼ばれる小島に厳しい監視下におかれていること、王への貢物と忠誠を誓う挨拶が強いられていること、日本の遊女を出島に招き入れて雇っていること、絹製品をはじめとする日蘭貿易におけるオランダの輸出品などの解説もなされています。また、日本には中国よりも優れた庭園があることや、「富士山(Fuy or Fuycan)」と呼ばれる火山のことや温泉、さらには、イングランドで非常に名高くなりつつある日本の漆製品のことなども王立科学協会紀要 (Philosophical Transactions)の記事を引用しながら紹介されています。

第3章
日本の人々の学識、芸術と諸科学、統治形態、軍隊、度量衡、法律と刑罰について

 日本の人々は概して文より武に長じると言えるが、その両方において堪能であるとして、日本の学問状況を解説し、将軍を頂点とする統治形態や強大な軍隊、通貨制度や法整備の状況などを解説しています。

第4章
日本の人々の宗教、寺院、迷信について

 キリスト教導入と廃絶の歴史を概説してから、仏教各派、神道についての解説をしています。

第5章
日本の人々の婚姻、女性と子ども、葬儀について

 寺院での坊主(Bonzi)による結婚式の様子や、女性と子どもの地位、葬儀が壮大であることなどが説明されています。

第6章
「蝦夷(Yedso or Jesso)」地について、蝦夷地がアメリカ大陸と地続きがあるか否かについての地理学者の様々な意見の整理、調停の可能性に基づく小論を付して。

 当時のヨーロッパの地理学者の間で議論が白熱していた地域であることを反映して、蝦夷が日本と地続きであるか否か、韃靼と地続きであるか否か、そしてアメリカと地続きであるか否かという3つの問いを検証しています。様々な議論を著者なりに整理して、根拠を示しながら、蝦夷はいずれとも地続きではなく島であるとしており、このことが収録されている地図にも反映されたものと思われます。

 また、本書に収録されている東アジア、東南アジアを描いた折込地図は、日本図としても大変ユニークなものとして注目に値します。この地図に描かれた日本の姿は、直接的には、当時のイギリスを代表する地図製作者であるモル(Herman Moll, ? - 1732)の「中国・日本諸島図(The Empire of China and islands of Iapan)」(1725)からの影響を受けているものと考えられますが、蝦夷地をはっきりと島として描いている点はモルの地図には見られない特徴で、これは先述の通り、第6章での蝦夷地をめぐる当時の地理学者の議論を著者なりに整理した見解に基づいているものと思われます。この地図は、西洋で製作された日本図としては、これまでほとんど知られていなかったものですので、日本地図史の点においても非常に重要な地図であると言えます。

 本書は、著者も地図製作者もその詳細が不明で、フォリオ判で1,000頁近い大部の著作でありながら、世界的に見ても残存数が極めて少ないという、様々な謎に包まれた書物ですが、序文で示された著者の見識や、膨大な文献を駆使して記述したと思われる著者の高い学識に基づいたテキスト、他に類似のものが見出せない独自の地図、そして極めて豊富で興味深い日本関係記事を収録しているという、これまでほとんど知られることがなかった日本関係欧文資料して大変重要な一冊と言えるでしょう。

当時のものと思われる革装丁だが、痛みが見られる。
タイトルページ。長大なタイトルだが、本書の性質を端的に表している。なお、タイトルページは本体から綴じが外れてしまっている。
序文冒頭箇所。短い序文だが著者の見識を窺わせるもので興味深い。
序文続き。
本文冒頭で扱われているのは中国。極東地域から西に進む順序で世界各地の地理・歴史が解説されていく。
中国についで扱われている「日本王国誌」冒頭箇所。第1章:地理的位置と領地の範囲、主要都市、王宮、建築様式と家具の種類について。
第2章:日本の人々の気質や才能についての記述、彼らの習性、食事、娯楽、祭り、音楽、あいさつの仕方、交易、習慣、手工業製品、耕作などについて。
第3章:日本の人々の学識、芸術と諸科学、統治形態、軍隊、度量衡、法律と刑罰について。
第4章:日本の人々の宗教、寺院、迷信について。
第5章:日本の人々の婚姻、女性と子ども、葬儀について
第6章:「蝦夷(Yedso or Jesso)」地について、蝦夷地がアメリカ大陸と地続きがあるか否かについての地理学者の様々な意見の整理、調停の可能性に基づく小論を付して。
日本を含む東アジア・東南アジアを描いた折込図。著者の見解に基づいて蝦夷をはっきり島として描いている点に特徴がある。
南アジア・中東地域を描いた折込図。
ヨーロッパと北アフリカを描いた折込図。痛みが激しい。
巻末には索引が設けられている。目次を持たない本書にとっては有用である。