書籍目録

『福音の下にある東インド』

ルアルディ

『福音の下にある東インド』

1653年 ローマ刊

Lualdi, Michelangelo.

L’INDIA ORIENTALE SOGGETTATA AL VANGELO…

Roma, Ignazio de Lazzari, MDCLIII(1653). <AB2019201>

Sold

4to(17.5 cm x 23.3 cm), Title., 21 leaves, pp.1-72, 67-74(I.e.73-80), 81-400, Contemporary parchment.
(Besson: 321)

Information

知られざる「日本教会史」と言うべき日本関係記事を多数収録

 本書は、17世紀半ばにローマで活躍した著作家であるルアルディ(Michelangelo Lualdi, ? - 1673)によって著された、日本をはじめとした東インド各地におけるカトリック伝道の歴史をまとめた作品です。ザビエルの伝記や日本におけるキリシタン迫害と殉教事件について多くの紙幅が費やされており、日本関係欧文資料として注目すべき書物と言えるものです。にもかかわらず、主要な日本研究欧文文献目録においても言及されていないため、国内所蔵機関も殆どなく、これまで本格的に研究されたことがない貴重な書物ではないかと思われます。

 ルアルディは生涯を通じてキリスト教の発展とその歴史について強い関心を寄せていたと言われており、膨大な研究草稿を残しながらも、その大半を刊行することなく没しました。本書は、ルアルディの刊行された貴重な作品の一つで、タイトルが示すように東インドにおけるキリスト教布教の歴史を中心とした内容となっています。本書に先立ってルアルディは、西洋におけるキリスト教布教史に関する2つの書物(①L'origine della christiana religione nell'Occidente. Roma, 1650. ②Istoria ecclesiastica, La propagazione delVangelo nell'Occidente. Roma, 1651.)を刊行しており、これらに続く一連の布教史として、日本をはじめとする東インド各地における布教史となることを意図して著された作品です。タイトルページに大きく記されているように、本書は、時の教皇イノケンティウス10世(innocentius X / Giovanni Battista Pamphili, 1574 - 1655)に捧げられています。

 ルアルディは序文において、東インドにおけるキリスト教布教の最大の功労者としてザビエル(Francisco de Xavier, 1506 - 1551)を深く崇敬していること、彼に続いて東インド各地での布教活動に貢献した人物を「ザベリアン」として捉え、本書は様々なザベリアンの姿を集成した「ザベリアン・ギャラリー(La Galleria Saveriana)」となることを意図して執筆した旨を記しています。ルアルディは、東インドをポルトガルによって新たに発見された地域として定義しており、ブラジルに代表されるアメリカ、アフリカの一部、そしてアジアがそれらに当たるとしています。その中でも最も遠方に位置するのが日本であると説明されていて、インドという名称は、元々はインダス川に由来し、インダス川とガンジス川に挟まれた地域のことを意味していたが、その語がポルトガルによる海洋進出によって拡張されてアメリカ大陸も「西インド」と呼ばれるようになったことなどを説明しています。

 本書は、400ページ、全47章構成からなる書物で、ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama, ? - 1524)による1498年のインド航海成功から記述をはじめ、ヨーロッパ人によるインド航海の簡単な歴史、ゴア、コーチシナ、マカオといった東インドにおける交易と布教の拠点となった主要都市についての概説が最初(ページ付のない第7章まで)に記されています。それに続く前半(1頁から)の大部分は、ザビエル関連記事に当てられていて、日本をはじめとする彼の生涯にわたる活動、彼が生前に起こしたとされる様々な奇蹟や、彼の功徳、没後の高い評価に関する記事によって占められています。その中で、日本におけるザビエルの活動や彼の日本の人々に対する考察も個別に章を設けて記述されており、下記のように主に第7章、第8章に記されています。
 
・第7章:ザビエルの日本における布教活動と日本の人々についての考察(58-69頁)
・第8章:ザビエルの偶像崇拝者との宗旨論争(69-70頁* ページ付乱丁によるもので実質的には約76頁まで)

 ザビエル関連記事に続く後半の記述は、東インド各地における布教とその成果に関する記述となっていますが、実にその半分以上が日本に関する記事で占められています。日本関係記事は第23章(194頁から)から第35章(304頁まで)にわたって掲載されており、さながら「日本教会史」と言えるほどの分量となっていることは注目に値します。ルアルディによる記述構成は、類書のように編年体の形式を取っておらず、聖書や福音書に由来する格言を意識した構成となっている(そのため、店主には意図を図りかねるところが多々あります)ようで、この点は、同時代の文献とも一線を画しているように見受けられます。記述内容は、日本におけるキリスト教の発展史よりも、迫害と殉教に焦点を当てているようで、各地における殉教事件と殉教者の行いの記述を通じて、日本におけるキリスト教がいかに真正なものであったかを強調(「殉教=永遠の勝利」)するものとなっています。本書刊行当時、日本におけるキリスト教布教は、もはや絶望的な状況になっており、カルディム(António Francisco Cardim, 1596? - 1659)の『日本殉教精華(Franciculus e Iapponicis floribus suo adhuc madentibus sanguine. 1646)』に代表される殉教に焦点を当てた日本教会史が、当時の日本関係欧文資料の主要なジャンルとなっていましたので、本書におけるこうした記述も、当時の潮流に沿ったものと考えられます。ただし、カルディムの著作が日本でも非常によく知られているのに対して、本書は100頁を越えるまとまった記述でありながら、これまでほとんど言及されたことがなく、その内容はもちろんのこと、記事の情報源、類似著作との影響関係といった背景も含めて、興味深い数多くの研究課題が手付かずとなっています。

 前述の通り、日本関係記事の構成は、聖書や福音書に由来する格言を意識した独特のものとなっていて、章題を一見してもその内容が非常にわかりにくくなっていますが、店主のわかる範囲で、各章の内容を簡単に列挙すると下記のようになります。

・第23章:偶像破壊を命じた(日本の)2人の王(大村純忠と大友宗麟)(194-202頁)
・第24章*:各修道会によるアジア、とりわけ日本における布教活動(203-208頁 *誤記のため第13章とされている)
・第25章:アジア(主に日本)における偶像崇拝と当地における信仰の戦い、ならびにその偉大な勝利(209-213頁)
・第26章*:日本におけるキリシタン追放と高山右近の物語(214-221頁 *誤記のため第24章とされている)
・第27章:殉教者マグダレナとジュリアおたあの物語(221-224頁)
     殉教者(奥州水沢の)ジョアキムとアンナ夫妻の物語(第27章続き、225-230)
     1620年11月6日の仙台におけるキリシタン処刑と殉教の物語(第27章続き、230-232頁)
・第28章:日本各地で生じたキリシタン迫害について(233-241頁)
・第29章:日本列島各地で吹き荒れた(母子を中心とした)殉教事件について(242-250頁)
・第30章:京、豊後その他各地で将軍様(Xogunsama)によって引き起こされた様々な(磔刑と火刑による)殉教事件について(251-261)
・第31章:島原を中心とした湯責め、水責めによる殉教事件について(262-276頁)
・第32章:大村(Omura)の牢獄(鈴田牢)に囚われた各修道会員とのその殉教について(276-284頁)
・第33章:平山常陳船捕縛事件について(285-291頁)
・第34章:太閤様(Taicosama)によって引き起こされた様々な殉教事件について(292-300頁)
・第35章:日本の(仙北の)キリシタンが示した信仰と慈善について(300-304頁)

 こうした日本関係記事に続いて、中国、トンキン、ラオス、カンボジア、ベンガル、モンゴル、チベット、アフリカ、ブラジルについてきの記述が最後の100頁弱に詰め込まれています。したがって、全体の構成としては、日本関係記事を含むザビエル関連記事が半分、日本関係記事が4分の1、その他地域が4分の1となっていて、ザビエルと日本関係記事が実に4分の3を占めていることがわかります。

 ルアルディは、イエズス会の活動を中心に置きつつも、フランシスコ会やドミニコ会、アウグスティノ会といった各修道会の活躍についても記述しており、特定の修道会の活躍を強調することを意図した記述になっていないように見受けられます。その一方で、「ポルトガルによって発見された東インド」を対象としていることから、フィリピンやメキシコといったスペイン植民地は本書で扱われていません。また、取り上げられている殉教事件の選択や、その切り口についても、かなり独特のものがあるように見受けられますので、こうした点も含めて、興味深い研究課題を本書に数多く見出すことができるのではないかと思われます。ルアルディは、その研究成果の大部分が未完の草稿のままであったことも災いして、現在ではほとんど顧みられなくなっているようですが、同時代人からは非常に高く評価され、その死が深く惜しまれたと言われており、数少ない彼の公刊された研究成果である本書に記された日本関係記事は、同時代のヨーロッパにおける日本関係記事の新しい側面を明らかにする手がかりを秘めた、大変貴重な研究資料ということができると思われます。

タイトルページ。本書がイノケンティウス10世に捧げられていることが記され、教皇の紋章が描かれている。
読者への序文において、ルアルディは本書の狙いと構成を解説していて、本書の内容理解にとって重要。
ルアルディは、ポルトガルによって発見された地域を「東インド」と定義して分類している。
ザビエル関連記事冒頭箇所。
第7章:ザビエルの日本における布教活動と日本の人々についての考察、冒頭箇所。
ザビエルが送った書簡から抜き出す形で、彼の日本の人々についての考察も取り上げている。
第8章:ザビエルの偶像崇拝者との宗旨論争、冒頭箇所。
第23章:偶像破壊を命じた(日本の)2人の王(大村純忠と大友宗麟)冒頭箇所。上掲は大村純忠(Bartolomeo Ré di Vomura、大村のバルトロメオ)による寺院破却に関する記事。
上掲別箇所、大友宗麟(Francesco Ré di Bungo、豊後のフランシスコ)についての記事。
第25章:アジア(主に日本)における偶像崇拝と当地における信仰の戦い、ならびにその偉大な勝利、より。1549年のザビエル来航以降の日本の布教氏を概観している。
第26章:日本におけるキリシタン追放と高山右近の物語、冒頭箇所。214頁末から215頁初めにかけて、高山右近(Giusto Vcacondono, ジュスト・右近殿)の名前を見ることができる。高山右近がマニラに追放されたことや、彼の信仰を称賛する内容となっている模様。
第27章:殉教者マグダレナとジュリアおたあの物語、冒頭箇所。ジュリアおたあ(Ota Giulia)は、朝鮮出兵時に小西行長によって日本に連れ去られた朝鮮人女性で、来日後に洗礼を受け、小西行長夫人の侍女、関ヶ原の戦い以降は家康の侍女となった。家康によって1612年に流刑となったが、流刑先の新島(Nigirima)で出会った2人の女性が彼女に感化され信仰の道に入ることなり、そのうちの1人マグダレナ(Madalena)は殉教した。
殉教者(奥州水沢の)ジョアキム(Gioachimo)とアンナ(Anna)夫妻の物語(第27章続き)
第28章:日本各地で生じたキリシタン迫害について、より。
第29章:日本列島各地で吹き荒れた(母子を中心とした)殉教事件について、より。
第30章:京(Miaco)、豊後(Bungo)その他各地で将軍様(Xogunsama)によって引き起こされた様々な(磔刑と火刑による)殉教事件について
第31章:島原(Ximabara)を中心とした湯責め、水責めによる殉教事件について
第32章:大村(Omura)の牢獄(鈴田牢)に囚われた各修道会員とのその殉教について。大村の鈴田牢獄は、捕縛されたイエズス会神父スピノラ(Carlo Spinola, 1564 - 1622)の報告などによってヨーロッパに伝えられていた。
第33章:平山常陳船捕縛事件について、より。平山常陳を船主とし、アウグスティの会の神父ズニガ(Pedro de Zuñiga, ? - 1622)とルイス・フローレス(Louis Florés, 1563? - 1622)が乗り込み、長崎へと向かった日本船は、当時スペインと交戦状態にあったイギリス船に拿捕されてしまい、平戸へと連行され、最終的に3人は殉教することになった。
第34章:太閤様(Taicosama)によって引き起こされた様々な殉教事件について
日本関係記事に続く100頁弱は中国をはじめとしたそれ以外の各地の記事となっている。
装丁の状態も良く、本文もシミ、ヤケが散見されるものの良好な状態と言える。