書籍目録

『1777年のための歴史・地理・芸術・旅行年鑑』

ファン・エスフェルト

『1777年のための歴史・地理・芸術・旅行年鑑』

[1776年] アムステルダム刊

Van Esveldt, Steven.

Historische, Geographische, KONST - en - REIS ALMANACH; voor den Jaare 1777….

Amsterdam, De Weduwe van Esveld en Holtrop, [1776]. <AB2019164>

Sold

12mo (6.5 cm x 11.2 cm), Title., Folded colored map, 5 leaves, 12 plates leaves, pp.[1-10], 11-216, Contemporary marble boards.
(Hubbard 111) / 刊行当時のものと思われる簡易の装丁で、背表紙部分が欠落。テキスト本体の綴じはしっかりしているが、表紙と本体の綴じはかなり甘くなっている。地図折り目裏面に補修跡あり。

Information

細かな地名が書き込まれた大変貴重な小型日本図を収録した1777年のアルマナック

 本書は、1776年末に刊行されたと思われる、主に旅行者のための1777年の年鑑(アルマナック)で、持ち運びしやすい手帳サイズの非常に小さな書物です。本書は、極めて珍しい日本地図と、その内容を解説したテキストが収録されていることが大きな特徴で、基本的に読み捨てられることの多い年鑑に収録されているものだけに、大変希少な日本関係欧文史料ということができます。

 この年鑑と地図を作成したのは、アムステルダムにおける出版事業で成功をおさめたファン・エスフェルト(Steven van Esveldt, 1710 - 1776)で、彼の没年に刊行されていることから、彼の未亡人とホルトロップ (Willem Holtrop)の共同出版社名義(De Weduwe van Esveld en Holtrop)で出版されています。その名の通り、旅行者を主な対象として、暦やオランダを中心としたヨーロッパ各地の通信事情などを記したものです。歴史や地理に関する読み物記事も収録していることが特徴で、この1777年のための年鑑には、手彩色が施された日本地図と、その地図に基づいて日本を解説したテキストが本文に掲載されています。

 この日本地図は、「最新の諸観察に基づいて作成された日本帝国諸島図」と題されたもので、本州北端と、「蝦夷大陸(Land Jeso)」とされた北海道南端を北限に、その位置はかなり誤っていますが、琉球諸島(E. Liqueio)を南端に日本を描いたものです。小さな書物に折り込まれている地図のため、縦7センチ足らず、横14センチ足らずの小型地図ですが、そこには小さな文字でびっしりと地名が記されています。この地図は、フランスの海図・航海計画保管所の責任者であったベラン(Jacques-Nicolas Bellin, 1703 - 1772)が、ケンペル(Engelbert Kämpfer, 1651 - 1716)『日本誌(The history of Japan, 1727.)』所収の日本図を元に作成した日本図を手本としていますが、ベランの地図で最も曖昧にされていた、本州北端海上に位置する地(つまり現在の北海道)をはっきりと「蝦夷大陸」と表記するなど、ファン・エスフェルト独自の追記を行っていることが確認できます。この地図は、西洋で印刷された日本地図史研究の大家であるハバート氏の大著『世界の中の日本地図:16世紀から18世紀西洋の地図にみる日本』(日暮雅通訳、柏書房、2018年)において、地図111番として掲載されていますが、この地図がもともといかなる文献に、いつ収録された地図であるのかについては曖昧な点が残るとされていた地図で、本書は、この問題に決着を着けることのできる大変貴重な1冊と言えます。

 また、211、212頁に掲載されているテキストでは、この地図に基づいて日本についての概説が記されており、こちらのテキストも大変興味深いものです。この記事は、「日本帝国、あるいは日本諸島の短い地理的解説」というものですが、地理だけでなく、日本の人々の気質や生産物などについても言及しています。まず、日本の位置について、日本は中国から日本海(Japnsche Zee)を隔てたところにある、と説明されています。ところが地図を見てみますと、朝鮮海(Zee van Corea)となっています。最も大きな島(本州のこと)は日本(Nyphon)で、それ以外に西国(Sikopf)あるいは土佐(Tonza)、そして下(Ximo)あるいは四国(xikoko)がある、と解説されていますが、九州を意味するはずの西国を土佐として、九州を意味する下が四国として誤って解説されています。ところが、こちらも地図を見てみると、四国には「四国島(E. Xicoco)」、九州には「下島(EIL.Ximo)」とあり、テキストにあるような誤りは見られません。この解説では、日本の気候が温暖なことや、米や穀物が極めてよく食されていること、鉱物資源にも恵まれている豊かな土地であること、1542年にポルトガル人によって発見されたこと、日本の人々は高潔な精神を有しており、学芸を愛し、また勇敢であること、そして、オランダが日本との貿易を許されている唯一の国であることなども記されており、短いながらも、普段は特に日本を関心を持つことなどほとんどなかったであろう読者層に向けて日本を解説した文章として非常に興味深い内容となっています。また、より詳細な日本の知識を求める読者には、18世紀半ばから終わりにかけて活躍した当時のドイツを代表する地理学者の一人ブッシング(Anton Friedrich Büsching, 1724 - 1793)による世界地理学叢書である『地球の記述(Erdebeschreibung)』を読むことを勧めています。

 年鑑というジャンルの書物は、その性質上、その年が終われば捨てられる運命にあることが多いものですが、本書は、非常に価値ある日本地図を失わずに今日まで残っていた大変貴重な1冊で、西洋における日本地図史研究だけでなく、専門書よりも幅広い一般読者に向けて書かれた日本を紹介している点でも、非常に価値ある日本関係欧文史料ということができるでしょう。

掌サイズの非常に小さな書物。
タイトルページ。
手彩色が施された日本地図は冒頭に折込図として収録されている。
地図に基づいて日本を簡単に紹介したテキスト冒頭箇所。