書籍目録

『説教集:附属、日本(天正遣欧)使節関連説教集』

ペルピニャン(ペルピニアーニ) / トルセリーニ(編) / (天正遣欧使節)

『説教集:附属、日本(天正遣欧)使節関連説教集』

1602年 リヨン刊

Perpinan (Perpinien), Jean / Torsellino, Orazio (ed.)

PETRI IOANNIS PERPINIANI VALENTINI, E SOCIETATE IESV ORATIONES DVODEVIGINTI…Addita sunt acta Legationis Iaponicae cum aliquot oratimonibus, quorum auctores, & argumentum sequens pagella indicati.

Lvgdvni(Lyon), Horatium Cardon, M. DCII(1602). <AB2019163>

Donated

Small 8vo (7.5 cm x 11.7 cm), pp.[1(Title.), 2], 3, [4-9], 10-12, [13-21], pp.1-329, 331[i.e.330], 320[i.e.331], 332-349, 359[ie.350], 351-361, 262[ie.362], 363-681, 681[i.r.682], 682[ie.683], 684-748, Later(19th C.?) half red leather on marble boards.
(Sommervogel, Vol.6, 547-552) / q4(pp.227/228)余白下部に破れ(テキスト欠損なし)あり。 テキスト上部にシミ跡あるが、全体として良好な状態。

Information

天正遣欧使節に関する第一級史料を補遺に収録した重要文献

 本書は、若くして亡くなったイエズス会の優れた人文学者ペルピニャン(Jean Perpinan or Perpinien, 1530 - 1566)の説教集で、1604年にリヨンで刊行されたものです。本書の「補遺」には、天正遣欧使節とグレゴリオ13世に関係する日本関係説教集が組み込まれており、日本関係欧文資料として看過し得ない非常に重要な文献と言うことができます。

 ペルピニャンは、イエズス会の卓越した説教師と知られた人物で、1551年にイエズス会に入会、コインブラやローマで教鞭を取りましたが、1566年に若くして亡くなりました。彼の死は文学上における偉大な喪失であるとして同時代の人々に惜しまれ、彼の優れた功績を示すものとして、生前の彼による説教を編纂した説教集が彼の死と同年の1566年に刊行されました。「説教(Oratio)」という言葉には、やや馴染みがないかもしれませんが、これは古代に遡る伝統を有するもので、その内容が優れていることはもちろん、そのレトリック、引用される言葉に現れる深く広い教養、読み上げる際の音韻にまで配慮することが求められるもので、「説教」という言葉から今日連想しがちな、いわゆる「話上手」とは全く異なる極めて高度な知性を要求するものでした。ペルピニャンは、この意味での説教に極めて優れており、それ故にその早すぎる死が同時代人から惜しまれたのでした。こうして刊行されたペルピニャンの説教集は、当然ながら多くの読者を獲得したようで、その後も増補改訂が繰り返され、17世紀後半に至るまで様々な版が刊行されています。

 本書は、このように名著と呼ばれ、各種の版が存在するペルピニャンの説教集のうち、1604年にリヨンで刊行されたものです。本書が非常に興味深いのは、日本に関係する数本の説教が補遺(Addita)として付されていることです。この補遺は、天正遣欧使節が1585年にローマを訪ね、グレゴリオ13世に謁見した際の演説を中心にしたもので、謁見式において使節が読み上げられた大村純忠ら3人の日本の諸侯からのグレゴリオ13世宛書簡をはじめとした非常に興味深い内容となっています。これは『1585年3月23日の日本使節とグレゴリオ13世謁見に関するローマ教皇庁枢機卿会の公式議録(Acta consistorii publice exhibiti a S.D.N. Gregorio Papa XIII. Regum Iaponiorum legatis Romae, die XXIII Martii. M.D. LXXXV)』と題して、1585年に刊行された書物の内容を転載したもので、同書は天正遣欧使節関係出版物のうち極めて重要な文献として高く評価されているものです。

 本書の編者であるトルセリーニ(Orazio Torsellino, 1544 - 1599)は、イエズス会の優れた著述家でザビエル 伝記の決定版と言われる『ザビエルの生涯(De vita Francisci Xaverii. 1594)の著者としても知られており、イエズス会士の報告を通じて日本についても理解が深かった人物です。トルセリーニがペルピニャンの説教集を編集したのは、1587年ですが、翌年1588年に改訂するに際して、初めてこの日本関係補遺を組み込みました。トルセリーニは、ペルピニャンの説教集にこうした日本関係説教集を補遺として組み込む意義を、その序文において強調しており、彼が明確な意志を持っていたことがうかがえます。当時極めて高い評価を受けていたペルピニャンの説教集に、日本関係の説教集を補遺として組み込むということは、トルセリーニが、それだけこの日本関係説教集を高く評価し、歴史に残すべきものと考えていたことを意味しています。その点において、本書は、原著の『公式議録』にはない、新たな文脈を背景に持っている書物として、注目されるべきものです。

 天正遣欧使節は、イエズス会東インド管区巡察使のヴァリニャーノ(Alessandro Valignano, 1539-1605)の発案により、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代として、4人の少年(伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ)がローマ教皇はじめ、ヨーロッパカトリック諸国に派遣されたもので、当時のヨーロッパで大変な話題となりました。遥か東方からヨーロッパにやってきた使節団は、対抗宗教改革運動の最中にあったカトリック諸国において熱烈な歓迎を受け、使節に関するおびただしい数の書物が当時刊行されていますが、本書に補遺として収録されている『公式議録』は、その中でも最も基本的な資料として、その重要性が高く認められている文献です。
 
 本文は全てラテン語で記されていて、最初に掲載されている書簡は、大友宗麟が教皇に宛てた書簡です。この書簡の末尾の署名欄には、「豊後(Bungi)の王フランシスコ(大友宗麟の洗礼名)より」と記されているのが確認でき、続いて、有馬晴信の教皇宛書簡が、そして大村純忠の教皇宛書簡が掲載されていて、三書簡いずれも、偶像崇拝の誤った教えからキリスト教に導かれることへの感謝と、教皇の慈悲に応え、自身の信仰を証するために使節を派遣する旨が記されています。これらの書簡は、教皇との謁見式において、イタリア語に翻訳されて読み上げられました。
 
 三書簡に続いて収録されているのは、宣教師ゴンサルヴェス(Gaspar Gonçaves, 1540 - 1590)が行った演説です。当時の式典や公式な謁見の場では、使節から演説(オラショ、Oratio)が行われることがことが慣例となっており、天正遣欧使節とグレゴリオ13世の謁見式では、ゴンサルヴェスがこの演説を行いました。遥か東方からローマに赴いた使節の不屈の信仰心を称揚し、かつてない遠方からの使節到来を実現させた教皇の偉大さを賛美したこの時のゴンサルヴェスの演説は、大変優れたものであったと言われ、教皇のみならず、謁見に立ち会った人々の感涙を誘ったと伝えられています。

 最後に掲載されているのは、式典で教皇名代を務めたボッカパズーリ(Antonio Buccapaduli, 1530 - 1593)からの使節に対する返礼となる答辞文で、教皇が使節の来訪を大いに喜んでいること、また日本におけるキリスト教の保護を約束し、今後の発展を願うとともに協力を惜しまないことなどが述べられています。

 この『公式議録』に続いて掲載されているのは、使節との謁見式の直後(1585年4月10日)に崩御したグレゴリオ13世に捧げられた弔辞演説です。この演説を行ったトゥッチ(Stephano or Etienne Tucci, 1540 - 1597)は、スペイン北部モンフォルテ出身の神学者で、イタリアシチリア島北部の街メッシーナに学んだあと、同地で修辞学を教えるようになり、パドヴァ、ローマで教鞭をとりました。彼によるグレゴリオ13世に対する弔辞演説は、同種の代表的なものとして1585年に複数種が刊行されています。この演説は、グレゴリオ13世の生前の事績を列挙して賞賛したものですが、天正遣欧使節と教皇との謁見式は、教皇治世最後のハイライトとして取り上げられています。グレゴリオ13世は、ヨーロッパ各地の神学校の整備、拡充だけでなく、日本において各種神学校を維持、設立するための資金提供を行っており、このことについても言及されています。この演説が行われた日付は5月15日となっており、この時使節一行はまだローマに滞在していたので、ひょっとしたらこの演説を耳にする機会があったのかもしれません。

 なお、本書のようにトルセリーニによって日本関係説教集が組み込まれたペルピニャンの説教集を、仮に「トルセリーニ日本増補版」と呼ぶとすれば、この版は下記の種類が存在することが確認されています。

①1588年、ローマ版(少なくとも2種あり)トゥルノン版
②1594年、リヨン版
③1602年、リヨン版(本書)
④1603年、リヨン版

 ペルピニャーに説教集自体は、トルセリーニ日本増補版以外にも数多くの版が存在していますが、その全てが、本書のように日本関係説教集が含まれているというわけではありません。現在ではいずれの版も入手が難しくなっていますが、トルセリーニ日本増補版はその中でも極めて貴重となっています。本書は、天正遣欧使節に関する第一級の資料を再録し、さらに日本についても言及したチャッピによるグレゴリオ13世弔辞演説までも収録していることから、日本関係欧文資料として、看過し得ない重要文献であると言えます。

タイトルページ。
補遺についての編者トルセリーニの解説冒頭箇所。
補遺に収録されている『1585年3月23日の日本使節とグレゴリオ13世謁見に関するローマ教皇庁枢機卿会の公式議録』は、天正遣欧使節関係資料として第一級の文献として高く評価されている。
大友宗麟からグレゴリオ13世宛書簡冒頭箇所。
有馬晴信からの同宛書簡冒頭箇所。
大村純忠からの同宛書簡冒頭箇所。
宣教師ゴンサルヴェスが、謁見式で行った演説冒頭箇所。
教皇名代を務めたボッカパズーリからの使節に対する返礼演説冒頭箇所。
使節との謁見式の直後(1585年4月10日)に崩御したグレゴリオ13世に捧げられたトゥッチによる弔辞演説
文庫本サイズの小さな書物だが、ページ数があるためかなり厚みがある。装丁は19世紀ごろに改装が施されたものではないかと思われる。