書籍目録

『「本朝武勇傳」:我が帝国における英雄譚;母国語で表記された日本語テキスト(と翻訳)』

ヴァレンツィアーニ

『「本朝武勇傳」:我が帝国における英雄譚;母国語で表記された日本語テキスト(と翻訳)』

(イタリア・アジア協会雑誌第6号からの抜刷り) 1892年 ローマ刊

Varenziani Carlo.

本朝武勇傳 HON-TEU BU-YUU DEN: RACCONTI DI ATTI DI VALORE EROICO NEL NOSTRO IMPERO. TESTO GIAPPONESE TRANSCRITTO E RECATO IN VOLGARE.

Roma, Tipografia della R. Academia deI Lingei, 1892. <AB2019155>

¥44,000

(Extracted from Giornale delle Società Asiatica Italiana Volume VI, 1892. pag. 85-110.)

8vo (15.3 cm x 22.6 cm), pp.[1(Title.)-3], 4-31, Original paper wrappers.
表紙、テキスト下部の余白に破れあり。

Information

教科書としても広く読まれた『本朝武勇傳』のイタリア語訳

 本書は、江戸後期に刊行された『本朝武勇傳』(楽人斎 / 歌川國久)の一部を、ローマ大学東洋語講座初代教授ヴァレンツィアーニ(Carlo Valenziani, 1832 - 1896)が、イタリア語に翻訳し、注釈を施したものです。『本朝武勇傳』は、日本における古今東西を代表する武人の生涯を、その軍功を中心にして記したものです。こうしたいわゆる英雄譚は、様々な書物が江戸時代を通じて刊行されており、いずれも一般向けの読み物として広く読まれたほか、寺子屋などにおいて教科書としても用いられました。ヴァレンツィアーニは、『本朝武勇傳』が、通俗的な読み物であるだけに、日本の人々や文化に強く影響をもたらした書物であると考えて、翻訳して紹介することを試みたものと思われます。

  19世紀イタリアにおける日本と日本語研究は、古くからある布教史の再版や伝道報告を別とすれば、世記半ばに政府主導で始まった東洋語研究に端を発しています。ヨーロッパ諸国と東アジア諸国との貿易の隆盛を背景として、1860年、イタリア政府は東洋語研究を進めるために、奨学生試験を実施しました。この試験に合格したセヴェリーニ(Antelmo Severini, 1828 - 1909)は、当時、東洋語研究の最先端であったフランス、パリに留学し、ロニー(Léon de Rosny, 1837 - 1914)から日本語を学び、帰国後は、フィレンツェ大学の前身である高等科学研究所(Istitutio di Studi superiori)で東洋諸言語の講座を担当し、イタリアにおける最初の東洋語講座教員となりました。セヴェリーニはこの研究所において教鞭を取って後進の日本研究者を数多く育てただけでなく、東洋研究雑誌『イタリアにおける東洋研究雑誌(Bollettino italiano degli Studi orientali)』を1876年に創刊するなど、研究成果の発表、公開にも極めて精力的に取り組みました。1877年には高等科学研究所内に「東洋研究アカデミー(Accademia Orientale)」を設立し、東洋諸言語に関する文献の収集、研究、翻訳書籍の刊行を行い、イタリアにおける東洋語研究の基礎を多方面に渡って築き上げました。

 こうしたフィレンツェにおける東洋語研究の興隆に呼応して、1876年、ローマ大学では最初の東洋語講座が開設されることになり、このローマ大学東洋語講座の初代教授となったのが、本書の著者ヴァレンツィアーニです。ヴァレンツィアーニは、セヴェリーニとほぼ同世代の学者ですが、その経歴は学者としては異色といえるもので、1850年にローマ大学を卒業してからは大学に残らず、イタリア鉄道省の弁護士として実務に専念しており、その傍ら、大学に頼らず自学自習によって東洋語研究を独力で務め、1876年にローマ大学の教授となりました。教授就任以前から精力的に日本の文化や、道徳の紹介、文学作品の翻訳などの研究成果を発表しており、セヴェリーニと並んで19世紀イタリアにおける東洋語研究の牽引者として大きな足跡を残しましたが、残念ながら現在ではほとんど知られていないようです。

 ヴァレンツィアーニとその著作については、吉浦盛純『日伊文化史孝:19世紀イタリアの日本研究』(イタリア書房、1969年)において、詳細に紹介されています。同書では、東洋学者ノチェンチーニ(Lodovico Nocentini, 1849 - 1910)によるヴァレンツィアーニ評として、次のように言われています。

「ヴァレンツィアーニは17歳の時、イタリアの独立戦争に参加するため、一時学業を捨てたことがある。大学卒業後は鉄道省の弁護士になったが、彼の法律的見解は大いに重きをなした。彼は公務の許すかぎり、言語の研究に熱中し、特に東洋の言語に多大の興味を有した。ローマ大学における東洋語の講座も、彼のために創設されたものである。彼は通俗的な読み物にあらわれた一般民衆の生活に強い興味を示した。また支那のものよりも、人情味と芸術味の豊かな日本のものに、一層深い興味をもった。論文を執筆するに当っては、推敲に推敲を重ねる習癖があったので、書き残したものは比較的僅少である。しかし、それら僅少の労作によっても、彼の研究に対する熱と愛とは、十分に観取される云々。」(同書41頁)

 本書のことは同書でも取り上げられており、下記のように紹介されています。

「ヴァレンツィアーニは、本書の序文の中で次のように述べている。
 日本人は、どんな危険に直面してもひるむことのなかった古来の英雄豪傑を、この上もなく尊敬し、これら英雄豪傑の事跡を、数世紀にわたって、歴史や伝説として語り伝え、称賛の念を惜しまない。
 日本の大衆文学の多くは、かかる英雄豪傑の事跡を記したものであるが、児童用の絵本にも、同じ題材を取り扱って、子弟の教育にあてているものが多い。本朝武勇伝も、この類の本の一つである。自分はその原文をローマ字綴で示し(5-15頁)、次にイタリア語の訳文を掲げ(17-31頁)、書中にあらわれる主要人物については、注で説明し、またほとんどすべての人々や地名は、漢字で示すことにした。日本の通俗的な歴史的読み物が、どんなものであるかを知って貰うのに役立てば幸いである。なお、この本の原作者は、楽人斎というペンネームの人々である云々。

 本書にあらわれた日本の英雄豪傑は、梶原源太景季と佐々木四郎高綱、朝比奈三郎義秀、田原藤太秀郷、長谷部信連、藤原保昌、平良門、日本武尊、遠藤武者盛遠などで、各人の伝記は、自動の読み物らしく、極めて簡単である。
 なお、訳者は本書を翻訳するに当って、武者鑑、日本王代一覧、諸家知譜拙記などを参考にしたと言っている。」

 本書は、『イタリア・アジア協会雑誌(Giornale della Società Asiatica Italiana)』(1887年創刊)第6号に掲載された論文を抜刷りにして、独立した書物として刊行した書籍であることが、タイトルページに記載されています。イタリア・アジア協会雑誌は、イタリアの東洋語研究の拠点であったフィレンツェの高等科学研究所で発行されていた雑誌で、イタリアにおける東洋語研究の第二世代を代表する、プイーニ(Carlo Puini, 1839 - 1924)らの論文をはじめとして、日本を含むアジア研究論文が数多く掲載された雑誌でした。

 19世期イタリアにおける日本語、日本研究は、実に多彩な、語学、文学、文化、歴史研究を生み出しましたが、その多くが100ページに満たない小冊子であったことも災いしてか、国内研究機関における所蔵状況は、極めて乏しいものとなってしまっています。吉浦盛純は、戦前から戦後にかけてこの分野の文献を収集して、パリやロンドンにおける日本研究とはまた違った日本研究がイタリアにおいても豊かに展開されていたことを前掲書において紹介していますが、同書で紹介された多くの文献は、今も国内研究機関において未所蔵となっているものが多く、こうした所蔵状況のせいもあって、19世期イタリアにおける日本研究に対する注目は、他国におけるものと比べて低いものとなってしまっているのは、非常に残念なことです。


「私の蒐集した日本文学の翻訳は、ほとんどセヴェリーニ、ヴァレンツィアーニ、プイーニ、ノチェンチーニの4人の手に成るもので、翻訳の範囲は、小説、物語、軍記物、演劇、和歌、往来物などの多方面にわたっている。訳文は正確で、特に語義の研究には力を注いでいるようである。日本の書籍の入手も容易でなく、参考書の類も乏しかった時代に、これだけの業績を残したことは、高く評価さるべきであろう。
 これらの資料探しには、今でも忘れられない数々のエピソードがある。もっとも骨が折れたのは、日本文学の翻訳の蒐集であった。それは、これらの翻訳のほとんど全部が、発行部数も対して多くはなかったろうと思われる大学やアカデミーの紀要や雑誌に掲載され、抜刷りのあるものもあるが、百年近くたつと、どちらも容易に発見することができないからである。しかも大部分は、数頁、数十頁の薄っぺらな冊子で、古書店のカタログに掲載されることは絶無で、古書店に足を運んで探すほかはなく、さらにカードの備え付けもない店では、蜘蛛の巣やほこりと戦いながら、高い書棚の本を上から下まで、一冊一冊丹念にのぞいてみなければならないこともあった。
 第二次大戦後は、この種の文献もほとんど影をひそめてしまったので、これからは余程の幸運に恵まれないかぎり、簡単に入手することは、できないのではないかと思われる。こんな次第で、数年前のローマ滞在中にも、かなり方々探して見たが、どうしても入手不可能に終ったものもある。しかし現在の私には、何時になったら、それらを入手できるか、見当もつかないので、心残りではあるが、一応今までに集めた文献にもとづいて、本書を出版することにした。日伊間の文化交渉研究の上に、多少なりとも役に立つことがあれば、長年の古本探しの苦労も報いられるわけである。」
(前掲書「あとがき」より)
 

タイトルページ。
序文冒頭箇所。
前半が日本語テキストのローマ字表記となっている。テキスト下部には注釈が設けられている。
後半が翻訳となっていて、こちらにも下部に注釈が設けられている。