書籍目録

『中国・日本の百科事典:「和漢三才図会」仏教関連項目の翻訳と注釈』

プイーニ / 寺島良安

『中国・日本の百科事典:「和漢三才図会」仏教関連項目の翻訳と注釈』

1877年 フィレンツェ刊

Puini Carlo / Terashima, Ryan.

ENCICLOPEDIA SINICO-GIAPPONESE. NOTIZIE ESTRATTE DAL WA-K AN SAN-SAI “TU-YE. INTORNO AL BUDDISMO. (PUBBLICAZIONI DEL R.ISTITUTO DI STUDI SUPERIORI PRATICI E DI PERFEZIONAMENTO IN FIRENZE. SEZIONE DI FILOSOFIA E FILOLOGIA. VOLUME II, Dispensa 3a)

Firenze, Successori le Monnie, 1877. <AB2019154>

Sold

Large 8vo (18.0 cm x 26.0 cm), Title., pp.[1(Half Title.)-3], 4-84, Modern cloth bound.
表紙や本文にシミ、やけが見られるが全体として良好な状態

Information

日本と中国の人々の世界観を表現した「百科事典」としての『和漢三才図会』に注目したイタリア語編訳

 本書は、19世紀イタリアにおける東洋語研究の第二世代を代表する、プイーニ(Carlo Puini, 1839 - 1924)による『和漢三才図会』の仏教に関係する項目のイタリア語編訳と注釈です。プイーニは、『和漢三才図会』を、中国とその影響を強く受けている日本の世界観、宇宙観を簡潔、かつ網羅的に示した重要な著作であると考え、天、人、地という三層からなる世界観に着目して、本書を編訳しています。その意味では、ヨーロッパ人にとって全く異質の文化を持つ日本や中国を理解するため、その背後にある独自の世界観、宇宙観にまで踏み込んだ深い理解が欠かせないという、プイーニの鋭い洞察を端的に表現した名著として、本書は注目すべき文献といえるものです。

  19世紀イタリアにおける日本と日本語研究は、古くからある布教史の再版や伝道報告を別とすれば、19世記半ばに政府主導で始まった東洋語研究に端を発しています。ヨーロッパ諸国と東アジア諸国との貿易の隆盛を背景として、1860年、イタリア政府は東洋語研究を進めるために、奨学生試験を実施しました。この試験に合格したセヴェリーニ(Antelmo Severini, 1828 - 1909)は、当時、東洋語研究の最先端であったフランス、パリに留学し、ロニー(Léon de Rosny, 1837 - 1914)から日本語を学び、帰国後は、フィレンツェ大学の前身である高等科学研究所(Istitutio di Studi superiori)で東洋諸言語の講座を担当し、イタリアにおける最初の東洋語講座教員となりました。セヴェリーニはこの研究所において教鞭を取って後進の日本研究者を数多く育てただけでなく、東洋研究雑誌『イタリアにおける東洋研究雑誌(Bollettino italiano degli Studi orientali)』を1876年に創刊するなど、研究成果の発表、公開にも極めて精力的に取り組みました。1877年には高等科学研究所内に「東洋研究アカデミー(Accademia Orientale)」を設立し、東洋諸言語に関する文献の収集、研究、翻訳書籍の刊行を行い、イタリアにおける東洋語研究の基礎を多方面に渡って築き上げました。本書も、フィレンツェの高等科学研究所の出版物として刊行されていることが、表紙に明記されています

 本書の著者プイーニは、フィレンツェの高等科学研究所において、セヴェリーニから中国語、日本語を学び、本書が刊行された1877年からは、同所の教員となって教鞭を執るとともに、数多くの日本、中国研究論文を発表しました。専門は中国語であったと言われていますが、日本語や日本文化に対する造詣も深く、本書をはじめ日本に関する研究論文(当店HPで案内していた『七福神』など)も著しています。プイーニが特に関心を持ったのは、仏教や神道といった宗教とそれに関連する歴史で、これは異文化を理解するためには、その世界観を規定している宗教を深く理解する必要があるというプイーニの鋭い洞察に基づくものと思われ、本書もその洞察力が遺憾なく発揮されています。

 本書は表題にあるように、寺島良安による『和漢三才図会』全105巻のうち、仏教に関連する記事を抜き出して翻訳、注釈を施したものです。『和漢三才図会』は、天、人、地の三部からなり、全105巻にも及ぶ膨大な「百科事典」といえる文献ですが、プイーニは序文においてこの書物の重要性をかなり詳細に解説しており、彼の『和漢三才図会』に対する関心が表面的なものではなく、明瞭な研究目的に基づいたものであったことがわかります。プイーニは、中国と日本の世界観は、主たる3つの世界に分かれていることを指摘し、それが『和漢三才図会』の天、人、地という構成に対応するものであることを解説することから始め、『和漢三才図会』という書物の構成、内容などを詳細に解説しています。そして、この書物は西洋人が、日本と中国を理解する上で、最も有用で重要な書物であることを強調し、全105巻からなる大部の著作の完訳を行うことは至難の技であるから、神道や仏教に関連する項目だけを抽出して翻訳することを試みるという、本書の狙いを述べています。またこうした編訳を行うに際して、原著との齟齬が生じたり、原著の意図を改変することがないよう、翻訳に際して行った細かな配慮、方針も述べられており、学問的に信頼しうる編訳となるべく、プイーニが相当の注意を払っていたことが伺えます。

 各項目は、まず漢字で表題が掲載されていますが、これは、セヴェリーニが研究所のために新たに作成させた漢字活字を用いたものと思われます。漢字表題の下には、ローマ字表記の読みが記載されており、読み方が複数ある場合は、正確に複数表記がなされています。記事冒頭では、該当項目が『和漢三才図会』原著のどこに掲載されているかを明記しており、読者が原著と対照しながら検討できるようになっています。本文中に登場する重要な用語はできる限り漢字活字を用いるようにしており、テキスト下部には、詳細な注釈も設けられています。80ページほどの小冊子ながら、16もの項目が収められていることは驚くべきことで、プイーニは、序文において『和漢三才図会』全体の構成を正確に解説していることからも分かるように、本書において翻訳した箇所だけでなく『和漢三才図会』全体を、ある程度通読していたことは間違い無く、本書に収録されている項目が様々な巻から採用されていることからも、彼の『和漢三才図会』に対する理解が相当に深かったことを示しています。その意味では、本書は、イタリアにおける日本研究が、再興されてからわずか15年足らずの間に、相当の水準に達していたことを示す非常に興味深い文献といえるものです。

 19世期イタリアにおける日本語、日本研究は、セヴェリーニを嚆矢として、実に多彩な、語学、文学、文化、歴史研究を生み出しましたが、その多くが本書のように100ページに満たない小冊子であったことも災いしてか、国内研究機関における所蔵状況は、極めて乏しいものとなってしまっています。戦前から戦後にかけてこの分野の文献を収集し、詳しく紹介した、吉浦盛純による『日伊文化史孝:19世紀イタリアの日本研究』(イタリア書房、1969年)では、こうした数多くのイタリアにおける日本研究が紹介されており、パリやロンドンにおける日本研究とはまた違った日本研究がイタリアにおいても豊かに展開されていたことを知ることができる貴重な書物となっています(店主も上記執筆に際して大いに参考にしております)。しかしながら、同書で紹介された多くの文献は、今も国内研究機関において未所蔵となっているものが多く、こうした所蔵状況のせいもあって、19世期イタリアにおける日本研究に対する注目は、他国におけるものと比べて低いものとなってしまっているのは、非常に残念なことです。


「私の蒐集した日本文学の翻訳は、ほとんどセヴェリーニ、ヴァレンツィアーニ、プイーニ、ノチェンチーニの4人の手に成るもので、翻訳の範囲は、小説、物語、軍記物、演劇、和歌、往来物などの多方面にわたっている。訳文は正確で、特に語義の研究には力を注いでいるようである。日本の書籍の入手も容易でなく、参考書の類も乏しかった時代に、これだけの業績を残したことは、高く評価さるべきであろう。
 これらの資料探しには、今でも忘れられない数々のエピソードがある。もっとも骨が折れたのは、日本文学の翻訳の蒐集であった。それは、これらの翻訳のほとんど全部が、発行部数も対して多くはなかったろうと思われる大学やアカデミーの紀要や雑誌に掲載され、抜刷りのあるものもあるが、百年近くたつと、どちらも容易に発見することができないからである。しかも大部分は、数頁、数十頁の薄っぺらな冊子で、古書店のカタログに掲載されることは絶無で、古書店に足を運んで探すほかはなく、さらにカードの備え付けもない店では、蜘蛛の巣やほこりと戦いながら、高い書棚の本を上から下まで、一冊一冊丹念にのぞいてみなければならないこともあった。
 第二次大戦後は、この種の文献もほとんど影をひそめてしまったので、これからは余程の幸運に恵まれないかぎり、簡単に入手することは、できないのではないかと思われる。こんな次第で、数年前のローマ滞在中にも、かなり方々探して見たが、どうしても入手不可能に終ったものもある。しかし現在の私には、何時になったら、それらを入手できるか、見当もつかないので、心残りではあるが、一応今までに集めた文献にもとづいて、本書を出版することにした。日伊間の文化交渉研究の上に、多少なりとも役に立つことがあれば、長年の古本探しの苦労も報いられるわけである。」
(前掲書「あとがき」より)

タイトルページ。フィレンツェの高等科学研究所の出版物であることが明記されている。
序文冒頭箇所。天・人・地からなる『和漢三才図会』の三部構成と日本と中国の人々の世界観が対応していることを解説している。
『和漢三才図会』全体の構成も詳細に説明している。
本文冒頭箇所。漢字活字を用いた項目表題とローマ字表記。テキスト冒頭には当該項目が『和漢三才図会』のどこに掲載されているかを明記している。
巻末には目次も掲載されている。
上掲続き。
裏表紙にはフィレンツェの高等科学研究所で発行されていた書籍のリストが掲載されている。
近年になって施されたと思われるクロス装丁。