書籍目録

『和英商話 全』

ファン・リード

『和英商話 全』

文久壬戌(1862)年 [横浜] 師岡屋伊兵衛 刊

<AB2019146>

Reserved

12.7 cm x 17.8 cm, 表紙、[1]丁、1丁、1-20丁、1(21ー23)丁、24-28丁、1(29, 30)丁、31-47丁、奥付, 刊行当時のものと思われる装丁、題箋付き
表紙上部に破れ、シミあり。裏表紙に当時の所有者による書き込みあり。本文中時折虫食いあるが、概ね良好な状態。

Information

居留地横浜で必要とされた商用英会話の手引き

 本書は、横浜在住のアメリカ人ファン・リード(Eugene Miller Van Reed, 1835 - 1873)が、横浜居留地で日々行われている商取引に際して必要と思われる日本語と英語のフレーズをまとめたもので、日本語話者を対象とすると同時に、カナ文字を英文と併記することで、英語話者の外国商人にとっても助けとなるように工夫して作成されています。1862年に刊行されており、英会話書としてはかなり早い時期の作品で、しかも横浜在住の外国人によって書かれているという、幕末の東西交流が生んだ大変ユニークな書物です。

 ファン・リードは、その名前から分かるようにオランダ系のアメリカ人で、浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)と出会ったことをきっかけに日本に関心を抱き、1859年にアメリカ総領事館付きの書記生として来日しました。来日してからはハード商会の社員として活動したほか、本書や簡便な商用英語教本である『和英商話』を著すなど文化活動においても精力的な活躍を見せ、幕末から明治初期に日本に滞在した外国人の中でも一際目立つ存在だったと言われています。また、1868年のイギリス船によるハワイ移民(明治元年であったことから「元年者」と呼ばれる)斡旋の企画者として、明治政府と対立しながら移民移送を強行したことでも知られており、こうしたことも災いしてか後年の彼に対する評価は毀誉褒貶が激しいものになっています。ただし、同時代の新聞や書物においては概ね好意的な評が多かったようで、例えば下記のような記事があります。

「(前略)当時、横浜で発行されていた『萬国新聞紙』には、「リードは生まれつき純善正直なれば、交る人々皆親しみ愛す」とあり、文久2年(1862)刊の『横浜開港見聞誌』には、「ウェンリイトなる人は、日本風薄鼠、細き蛇の日傘を用ゆ。夏の日でんちゅう笠を用ゆ。」「馬にくら置いてしとしと自分館中広き所にて日本風に強くしずかに乗まわす。」などの姿を紹介し、また、文久3年刊の『珍事横浜噺』には、「亜米利加人ウインリウトと申すは商人なり。日本の身ぶり、こわいろにて交わり、いたって通人なり」とある。横浜居留の外人のなかでは、かなり異彩をはなった存在であったらしい。」
(高橋辰雄「ヨコハマの名物男ヴァン・リード」日本英学史学会編『英学事始』エンサイクロペディアブリタニカ(ジャパン)インコーポレーテッド、1976年所収、130,131頁より)

 序文は英文で書かれており、本書が日本と外国の双方の人々にとって有用となることを願って著された旨が記されており、英文序文の裏面にある日本語序文では、ごく簡単に「この文章我が心を砕きしたためれば、日本の諸君子、これをまなびつうじたまはば、予が、よろこぶこと、これにすぎず。」と書かれています。冒頭には、アルファベットとイロハの一覧があり、商取引において最も重要であったと思われる数字の案内に続いて、様々な会話文例が掲載されています。いずれも、カタカナでの発音と英文、各単語のカタカナで記された日本語訳、そして文章での日本語訳が併記されています。たとえば、冒頭の文例には次のようにあります。

ホワット イス イット
What  is   it
ナニ   アル  ソレ
「ソレワ、ナニ、ゴザリマスカ」

 文例はごく簡単な挨拶、商取引の場面で使われるであろう文例が中心で、実際に商人であったファン・リード自身の豊富な経験を反映したもので、「海外ビジネス・とっさの一言」と言える内容です。当時の横浜で用いられていた英語だけでなく、ファン・リードのような外国人が実際に耳にした日本語を記していることから、「横浜ピジン日本語」と呼ばれる当時の横浜の商用話し言葉を知る手掛かりにもなる大変興味深い書物と言えるでしょう。