書籍目録

『横浜新報もしほ草』

ファン・リード / 岸田吟香

『横浜新報もしほ草』

創刊号から第31号(全41号中)6冊合冊  1868年 横浜刊

<AB2019145>

Reserved

6 vols. 11.8 cm x 17.4 cm, 第1冊:1-7丁, 1-6丁, 1-6丁, 1-6丁 / 第2冊:1-6丁, 1-6丁, 1-6丁, 1-6丁 / 第3冊:1-6丁, 1-6丁, 1-6丁, 1-6丁 / 第4冊:1-6丁, 1-6丁, 1-6丁, 1-6丁 / 第5冊:1-6丁, 1-5丁, 1-6丁, 1-6丁, 第6冊:表紙,1-6丁,裏表紙, 表紙, 1-6丁,裏表紙, 表紙, 1-6丁,裏表紙, 表紙,1-6丁,裏表紙, 表紙,1-6丁,裏表紙, 表紙,1-6丁,裏表紙, 表紙,1-6丁,裏表紙, 表紙, 1-6丁,裏表紙, 刊行当時の所有者による合冊本。第1冊から第5冊までと第6冊とは装丁が異なる。
第1冊から第5冊までは表紙に題箋、収録号数を記載したシール貼り付け、旧蔵者の押印あり。一部に虫食いあり。

Information

幕末明治激動の時期に横浜居留地で発行された日本語新聞

 本書は、横浜在住のアメリカ人ファン・リード(Eugene Miller Van Reed, 1835 - 1873)が、岸田吟香と協力して発行していた新聞で、1868(慶応4)年4月11日の創刊号から、同年11月26日付の第31号まで(全41号中)を6冊に合冊したものです。これらが刊行されていた時期は、ちょうど戊辰戦争が終結に向かい、箱館戦争が勃発するという、幕末と明治が交差する激動の時代にあたり、この時期に流布した言説を伝える貴重な史料として大変興味深いものです。

 『横浜新報もしほ草』発行の背景には、諸外国との条約締結以降、居留地横浜をはじめとして、各地で「新聞」が発行されるようになり、居留地在住の外国人が発行する英語(ほか外国語)の新聞から始まって、次第に日本語での新聞発行が開始されるようになってきたという、新聞という新しいメディアに対する需要の高まりがあります。幕府の洋書調所で1862年に発行された『官版バタビヤ新聞』を別にすると、日本の民間人発行の新聞としては、1864年にジョセフ・ヒコが発行した『海外新聞』があり、日本における政変と社会変動が激しくなった1868年になると、柳川春三の『中外新聞』、福地源一郎の『江湖新聞』といった、日本の民間人による本格的な新聞が相次いで発行されるようになります。『横浜新報もしほ草』も、こうした激変する社会情勢を背景とした新聞発行の隆盛に応じて発行された新聞の一つに数えられますが、横浜居留地在住の外国人、ファン・リードを発行人としていながら、日本語で書かれているという点に本書の独自性があります。在日外国人による日本語新聞発行の試みは、ベイリー(Michael Buckworth Bailey, 1827 ー 1899)が、『万国新聞紙』と題して横浜で1867年に創刊した新聞が知られていますが、本書はこれと並ぶ最初期の在日外国人による日本語新聞と言えるものです。ファン・リードは、創刊号序文において、ジョセフ・ヒコの『海外新聞』や『万国新聞紙』の名を挙げながら、こうした先駆的な試みがありながらも、前者が短命に終わってしまったことを惜しみ、新聞の有用性を日本の読者に伝えるべく本誌を創刊する旨が述べられています。また、漢文調の「学者ぶり」た文体ではなく、平易な仮名文で記すことに努めることも序文では述べられており、より広範囲の読者に向けて発行しようとする狙いを見てとることができます。加えて、本書は、他の日本語新聞とは異なり、外国人居留地で発行されていたことから、幕府や明治政府当局からの干渉を受けることが相対的に少なかったということも『横浜新報もしほ草』の大きな特徴に挙げることができるでしょう。

 ファン・リードは、その名前から分かるようにオランダ系のアメリカ人で、浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)と出会ったことをきっかけに日本に関心を抱き、1859年にアメリカ総領事館付きの書記生として来日しました。来日してからはハード商会の社員として活動したほか、本書や簡便な商用英語教本である『和英商話』を著すなど文化活動においても精力的な活躍を見せ、幕末から明治初期に日本に滞在した外国人の中でも一際目立つ存在だったと言われています。また、1868年のイギリス船によるハワイ移民(明治元年であったことから「元年者」と呼ばれる)斡旋の企画者として、明治政府と対立しながら移民移送を強行したことでも知られており、こうしたことも災いしてか後年の彼に対する評価は毀誉褒貶が激しいものになっています。

 本書に大きく関わった岸田吟香は、共同創刊者であるにも関わらず、どこにもその名前が見られませんが、これは外国人居留地発行の新聞であるメリットを最大限に活かすためのものだったと考えられています。ジョセフ・ヒコとも親しい関係があったことから新聞に対する理解、関心が高く、ヒコを通じてファン・リードと接触したものと考えられています。彼自身は、第17号前後に編集から離れることになったと考えられていますが、創刊から軌道に乗るまでの『横浜新報もしほ草』確立に大きな貢献を成したことは間違いありません。

 『横浜新報もしほ草』は、当時の他の多くの新聞と同じく、佐幕色の濃い編集方針であったことが知られていますが、これはファン・リードと岸田自身の信条によるものでだけはなく、当時はそうした方がよく売れたからというセールス面での動機があったことが、岸田自身の後年の述懐で明らかにされています(この点については、秋山勇造『明治のジャーナリズム精神:幕末・明治の新聞事情』五月書房、2002年を参照)。誌面構成は序文でも述べられているように、横浜居留地で発行されていた英文新聞記事の翻訳紹介や、上海や香港などの事情も当地刊行の新聞から紹介しています。また、風刺文や、ファン・リード自身の署名入り論説文なども掲載しており、戊辰戦争末期から箱館戦争勃発に至る時期までの激動する社会情勢を様々な形で伝えています。「新説」と題した小論において、ファン・リードは、日本の内乱を速やかに収め、諸外国からの侵略の隙を与えないようにすべきだという主張を展開しており、彼自身の当時の状況に対する見解が述べられている非常に興味深い一文といえるでしょう。こうした日本の政治社会情勢に関する記事だけでなく、欧米各国の政治社会情勢に関する記事や、ジョージ・ワシントン(Geroge Washington, 1732 - 1799)の伝記、風刺漫画、岸田が初版編集に大きく貢献した『和英語林集成』の著者へボン(James Curtis Hepburn, 1815 - 1911)の紹介記事、フランス人ロニー(Léon de Rosny, 1837 - 1914)がパリで発行した新聞『よのうはさ』の紹介記事など、実に多彩な記事が収録されていて、総合雑誌的な側面も有しています。中でも、ファン・リードによるハワイ移民の後日報として、ハワイに到着した牧野富三郎からの書簡とハワイ地図を掲載した記事(第20号)などは大変興味深い記事と言えるでしょう。

 『横浜新報もしほ草』については、創刊号から最終号と思われる第42号(1870(明治3)年3月13日)までを翻刻し、解説と分野ごとに記事を分類した翻刻本が小野秀雄によって1926年に刊行されており、本書を理解する上で欠かせない文献となっています。以下、同書も参照しながら、本書に収録されている主要な記事を整理すると下記の通りになります。

第1冊

第1編(慶應4年辰閏4月11日)
・序(93番 ウエンリート)
・関東勢松代の城主を難詰
・閏4月3日船橋合戦之事

第2編(慶應4年辰閏4月17日)
・パークス、サトウ横浜に帰着
・天皇浪華に行在
・浪華のはやりうた
・浪華新聞
・供奉の公卿より諸大名への下し文の写
・諸州雑報
・外国新聞
・横浜近事

第3編(慶應4年辰閏4月29日*) *原文ママ、19日の誤りか?
・外国事務執務規定
・閏4月5日御触
・滑稽先生日記の抄写(戊辰戦争短報)

第4編(慶應4年辰閏4月21日)
・滑稽先生日記のつづき
・雑報


第2冊

第5編(慶應4年辰閏4月24日)
・滑稽先生日記のつづき
・雑報

第6編(慶應4年辰閏4月25日)
・江戸浪人の檄文
・選録上海新報
・選録煙台新報

第7編(慶應4年辰閏4月28日)
・閏4月16日浅草蔵前に有貼帖
・北国より出たる檄文
・雑報
・譯録香港新聞

第8編(慶應4年戊辰5月2日)
・出羽山形より来信の写
・横浜近事


第3冊

第9編(慶應4年戊辰5月5日)
・羽州合戦之事
・閏4月26日八王子からの来信
・雑報

第10編(慶應4年戊辰5月10日)
・両総合戦の実記

第11編(慶應4年戊辰5月13日)
・両総合戦の実記のつづき
・雑報

第12編(慶應4年戊辰5月15日)
・新策(美國 彎理度謹具)
・ストンウヲルの事(横浜93番ヴェンリード誌)
・雑報


第4冊

第13編(5月晦日)
・奥州よりきたりし人のものがたり
・京地よりきたりし人のものはなし
・雑報

第14編(6月2日)
・歩兵頭松濤殺される
・江戸の不景気
・ぷろしやの船難破
・上海の邦人
・沼津合戦
・前英大使米国にて農業に従事
・長崎港商法隆盛
・兵庫の状況
・扶桑木の比喩

第15編(6月4日)
・閏4月29日甲府よりの書信の抜書
・京大坂雑報
・ハシントン人名之逸事
・5月17日出18日着 従江戸来信の写

第16編(6月5日)
・近日雑報(美國93番ウエンリード謹志)
・神戸よりきたりしはんじものうつし(図版あり)
・欧米諸国の軍備
・よのうはさと羅尼のこと


第5冊

第17編(6月10日)
・東海道総督参謀より大総督府参謀江贈る書版の写
・閏4月3日出 5月22日着 奥州松前より来信の写
。アメリカの平文(ヘボン)という名医
・西洋戦時の規定
・雑節:まかげえ(写真)のいろどり(着色)
・新発明火器之事

第18編(7月28日)
・兵庫大坂間鉄道敷設の説
・江戸築地ホテル館之図(図版)
・神戸よりきたりしはんじもの(彩色図版)
・浪華川口洋客館番号之図(図版)

第19編(8月25日)
・奥羽越列藩より外国諸ミニストル江文通之写
・英国にて普国軍艦の建造
・支那使節ポーリンゲーム華盛頓(ワシントン)にて優遇
・幕府の外国士官辞職
・英船、大阪より新潟に向けて兵士輸送
・米の輸送禁止
・巴里の人別
・横浜の人口激増
・運上高付き8万ドル以上
・大阪の貿易開始
・諭言一則

第20編(8月27日)
・米国の鉄道
・江戸にて貿易開始と外国公使が水野若狭守を奉行に推挙
・天皇が京都より江戸への遷都するという外国人の噂
・東久世少将より普魯西ミニストルへ陳謝
・普魯西の太子の米国訪問
・布哇出稼人取締、牧野富三郎の(ウェンリート宛)書簡(ハワイ地図付属)
・喩言一則


第6冊

第21編(9月5日)(表紙あり)
・幕府の艦隊品川沖を出帆
・幕府海陸軍の宣言
・徳川家北国征伐に参加との説(『タイムス』誌による)
・仏暹条約締結
・米価騰貴につき廻米を自由にせよ
・野洲黒羽にて米人捕縛
・官軍の軍艦4艘覆没

第22編(9月9日)(表紙あり)
・前大君の恭順姿勢を評価し、各国公使一致して内乱を平定させよ
・米国政府日本人に海軍伝習を命ずる
・米国密かに日本政府のために尽くす
・欧米諸国の兵数
・米国の商船数
・象牙の需要
・土耳古帝、食卓を注文
・徳川家より外国公使に贈られし書簡譯文の写
・魯西亜政府、会津兵その他の諸公に助力の意あり
・江戸城、帝の行在所に決定
・支那の皇后選定
・接待湯
・電信機を敷設せよ

第23編(9月10日)(表紙あり)
・兵庫外国人居留地神戸よりの新聞 8月28日兵庫出
・新潟の米沢兵、防戦の手段尽き退却
・函館官軍の手に帰する
・官軍、仙台に攻め入り、旧幕軍退却
・外国人、一橋公の和解調停を希望
・アメリカ議会、在外米人住民保護法を定める

第24編(9月20日)(表紙あり)*この年の表紙から「明治元年」戊辰年との表記になる
・江戸政府よりの触書 ヘラルド新聞より抄訳す
・三加保船難破
・魯西亜の蝦夷地への野心
・英艦蝦夷地にて座礁
・宗門信仰の盛んな印度天竺
・日本の放下師、英米にて好評を博す
・米国南北戦争の後始末

第25編(9月23日)(表紙あり)
・会津落城は虚説
・横浜市中へ御触之趣
・アメリカ戦場電信機の実験
・ヨセミテの大木林
・米国戦死者の追悼
・米国にて亜細亜州内地の旅日記出版
・回教徒巡礼の話
・布哇のミニストル、ワシントンに到着

第26編(10月9日)(表紙あり)
・仏国の軍用金調達金額予定の4倍に達す
・アビシニア太子生捕られ英国に移送
・ヴィクトリア女王瑞西の温泉へ
・カリホルニア州の支那人労働者8万人
・九条殿下、秋田城にて殺される
・天皇東京府に親臨
・天皇、古大君を御同伴との説
・欧州の内乱説にて絹糸下落
・南亜米利加の地震
・徳川氏眷族の転住した駿河清水開港の嘆願

第27編(10月21日)(表紙あり)
・戦地雑報
・諸物価下落
・日端条約締結
・会津若松城落城
・2,3の外国人による遷都に対する見解
・咸臨丸降伏始末
・榎本の蝦夷地侵略の報は疑わしい
・会津若松落城異説

第28編(10月28日)(表紙あり)
・会津若松城降伏確報
・宮様、東京府へ御帰陣
・和蘭海軍病院焼失
・天皇かな川駅へ御通覧
・官軍の軍艦6艘沈没
・東京府にて貿易場を開く
・徳川の眷族続々駿河に移る
・ナポレオン3世より薩藩へメダイル寄贈
・仙台近港にて軍艦7隻に遭遇

第29編(11月13日)(表紙あり)
・徳川民部大輔帰国
・榎本の艦隊函館に到着
・米国以外の各国、軍艦を函館に派遣
・函館の外交関係、魯西亜を加えて複雑化
・英国の榎本への降伏勧告
・米船抑留
・榎本函館を占領す
・主上、東京市中へ酒を給ふ
・あはれなるマキシミリアンの末路
・新火薬発明
・カイロに新宮殿造営

第30編(11月23日)(表紙あり)
・10月26日函館に於て 徳川氏海軍より外国公使え差送りたる書簡の主意左の如し
・悪名を除くことを政府に交渉
・函館繁栄
・丁抹以外の各国領事館榎本を承認
・官軍敗走の状況
・英仏台湾を攻略を狙う
・伊太利國内乱
・希臘米海軍総督に謝す
・島国(タヒチ島)の内乱
・英国米人の支那使節を遇せず
・布哇の邦人安堵

第31編(11月26日)
・会津より肥前藩役人のてにて朝廷へ差出謝罪の上書
・会津の家臣一同より差出せし謝表
・米沢の謝表
・仙台謝表
・榎本官軍に備える
・英艦に祝砲
・官軍、青森を焼いて逃亡
・勝海舟、大久保を榎本説得のために派遣

 上掲の通り、全31号が6冊に綴じられており、第6冊収録分は刊行当時の表紙を綴じ込んで合冊されています。『横浜新報もしほ草』は、現在の残存状況から推察すると、後年の号になるにつれて発行部数を低下させていったのではないかと思われます。なお、山口順子「『民間木版新聞郡』とその情報環境」(箱石大編『戊辰戦争の史料学』2013年所収)では、『横浜新報もしほ草』を含め、同時期に刊行された各種新聞の特徴と意義、情報伝搬の様態について史料学の観点からの考察が行われており、下記のような非常に鋭い視座を投げかけています。


「幕末維新期の新聞を歴史史料として認識し保存活用に努めようとする動きは、大正13年の明治文化研究会発足から始まった。吉野作造、尾佐竹猛、小野秀雄、宮武外骨、石井研堂たちが開始した文化活動は前年の関東大震災を契機としており、研究誌『新旧時代』(のち『明治文化』と改題)の刊行、小野秀雄解説校訂の『横浜新報もしほ草 江湖新聞』(福永書店、大正15年)を初めとする翻刻出版の開始、東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫の設立へと発展していった。今日のメディア研究の基盤として、その恩恵は想像を越えるものがある。
 しかし、文化財の現地保存主義の影響を受けた史料学が提起している課題に照らしてみると、各地方での新聞の受容痕跡が震災被害を受けた東京への一極集中によって分断されてしまったともいえる。翻刻事業では、収集された新聞の厳密な伝来や所蔵されていた他の文書群との関係などの史料批判はほとんど割愛されたまま書籍に一元化されており、複製物という先入観のもとで出所の異なる新聞を継ぎあわせ欠本を補っていく編集姿勢は、大勢として現代の複製出版まで踏襲されている。
 こうして書籍に一元化された複製物の利便性によって、木版新聞には豊富な史的痕跡があることが忘却されている。それは情報の収集、編成、加工、流通過程に伴ういわば情報環境の史的痕跡である。個々の新聞史料のもつ書誌データや異版の存在は各史料の形態的関連だけでなく、機能的関連を考察する材料でもある。印記や書入れ、写本等からは、受け手として現れる情報収集・編成加工の主体や目的を知るてがかりが得られる。また、異版から送り手が行う情報の編成加工と流通の時間的空間的範囲をある程度推測することが可能になる。政治的に流動的な時期の官許の現われ方は、法規制への対応を示している。このような情報環境の史的痕跡とともに、新聞に内在するテキストや画像を分析し、関連史料による実証的な考察を加えることが、史料学的に当該期のメディア史研究を深化させるための第一歩と考えている。
 また、新聞は大量複製刊行物として継続的定期的流通によって情報の流れのなかに人々を巻き込み、意識や行動の変容に間断なく働きかけを行おうとするメディアといえる。それゆえにそうした動態性の捕捉のためには、情報環境に対して技術や自然が及ぼした影響についても視野に入れて検討していく必要がある。通信や印刷技術は、情報の収集・加工・伝達のいずれに対してもその促進と制御に大きく関わり、また自然環境が陸海の流通経路にもたらす影響も決して無視できないからである。」
(山口順子前掲論文、267,268頁より)

第1冊表紙
ファン・リードによる序文
序文末尾に彼の記名がある。
パークスとサトウの横浜帰着を報じる記事
第2冊表紙
「滑稽先生の日記」と題して戊辰戦争の様子を日記調で報じた記事。
江戸浪人の檄文
北国よりの檄文
第3冊表紙
羽州合戦之事
「新策」と題したファン・リードの記名記事では、内乱を速やかに収め日本の独立を保つことを最優先すべきことを主張している。
欧米諸国の脅威を唱え、小国日本の採るべき道をファン・リードが論じるという興味深い小論。
末尾に「美國(アメリカのこと)湾理度(ファン・リード)」という漢字記名がある。
第4冊表紙
奥州よりきたりし人のものがたり
京大坂雑報と題した近畿の短報に続いて、ワシントンの伝記記事もある。
北米原産の食虫植物、ハエトリグサの紹介記事。
「神戸よりきたりしはんじものうつし」と題した風刺文
武器を背中いっぱいに抱えた商人とのやり取りを描いた図
第5冊表紙
東海道総督参謀より大総督府参謀江贈る書版の写
ヘボンの紹介記事
西洋戦時の規定
築地ホテル図。外国人向け西洋ホテルとして開館したばかりの築地ホテルを見開き+1ページを用いて大きく紹介している。
「神戸よりきたりしはんじものうつし」本書中、唯一の彩色図。英仏の駆け引きを風刺した図。
1868年のハワイ移民の牧野富三郎からファン・リードに宛てた書簡。
ハワイ図も掲載している。
第6冊表紙
第6冊収録号は全て表紙も綴じ込まれている。
前大君が恭順の姿勢を示し、内乱の事態を避けたことを評価する記事。
開港間もない神戸港の居留地の新聞記事からの紹介記事。
江戸政府よりの触書
会津落城が虚報であったと報ずる記事
南アメリカの地震、1868年に発生したチリ・アリカ地震のことと思われるが、この地震は日本に津波をもたらした。
東京遷都について外国人の所見を報ずる記事。
ナポレオン3世が、1867年のパリ万博に出展した薩摩に銀製メダルを送ったことを報じる記事。
パリ博覧会に徳川慶喜の名代として出席していた徳川昭武の帰国を報じる記事に続いて、榎本武揚による箱館戦争勃発を報じている。
榎本武揚が諸外国公使に向けて送った書簡の趣旨を報じる記事
英字新聞「横浜ヘラルド」からの翻訳記事