書籍目録

『「書紀」:日本古代の年代記』(日本書紀第1巻:神代巻第6段から第8段の翻訳と注釈)

ロニー

『「書紀」:日本古代の年代記』(日本書紀第1巻:神代巻第6段から第8段の翻訳と注釈)

(1884年刊行書の続刊) 1887年 パリ刊

Rosny, Léon de.(羅尼)

書紀 SYO - KI: LE LIVRE CANONIQUE DE L’ANTIQUITÉ JAPONAISE. PUBLIÉ EN JAPONAIS ET EN FRANÇAIS…TOME PREMIER.

Paris, Ernest Leroux, 1887. <AB2019144>

Sold

Large 8vo (17.5 cm x 27.8 cm), pp. [V?(Title.)-VII?(Half title.)-IX?], X-CXIII, 1 leaf, pp.[205, 206], 207-391, Modern blue paper wrappers.
(NCID: BA63269514 / 47793780) 後年(現代)の厚紙装丁。紙端に痛み、劣化が見られるが、全体として概ね良好な状態。

Information

1884年刊行書に続く『日本書紀』神代巻のフランス語訳と注釈

 本書は、19世紀後半のフランスを代表する東洋学者ロニー(Léon de Rosny, 1837 - 1914)による、『日本書紀』の第1巻「神代巻」第6段から最終第8段までのフランス語訳です。ロニーは、1884年に第5段までのフランス語訳を、神代巻=Kami yo-no maki=Histoire des dynasties divines. と題して出版しており、本書はその3年後に刊行された続刊にあたるもので、本書をもって「神代巻」のフランス語訳を終えています。単なるフランス語訳にとどまる内容ではなく、ロニーによる膨大な注釈と長大な序文を附されており、ロニーの日本研究の成果が如何なく発揮された第一級の日本研究文献といえる書物となっています。

 ロニーは、19世紀後半のフランスを代表する民俗学、日本、中国研究家で、大の知日家でもありました。十代半ばからすでに中国や日本に関する研究論文を発表しており、日本語の学習には特に熱意を示し、日本についての言語学的な情報が極めて乏しかった時代に、独力で日本語習得に励みました。1862年のいわゆる文久遣欧使節がヨーロッパを歴訪した際には使節らと親交を深め、福沢諭吉や福地源一郎などとも交流を続けています。1863年にフランス国立東洋語学校において最初の日本語講座が開設された際、ロニーは初代講師に任命(1869年に教授に任命)され、以後定年で1907年に退職するまでその職にありました。

 本書は、113ページにもわたる長大な序文が設けられており、ロニーによってこの翻訳がどのような意義を有しているのかについて詳細な解説がなされています。シーボルトらをはじめとする多くの「日本学者」が『日本書紀』をどのように捉えていたのかを概観し、日本の歴史と文化、精神性を深く理解するためには、『日本書紀』の理解が欠かせないばかりでなく、『日本書紀』をめぐる研究が日本において連綿と続けられてきたことを具体的な書名を挙げながら説明し、日本の精神文化(特に神道)において『日本書紀』がいかに大きな位置を占めてきたのかを解説しています。また、『日本書紀』成立に関する様々な事項や、類書、注釈書、伝存諸本といった書誌事項についても詳しく解説しており、序文全体が、独立した『日本書紀』研究論文と言えるほどの充実した内容となっています。

 テキスト本体である翻訳については、1884年に刊行されていた前巻のページ付を引き継ぐ形で、205ページ(表記は207ページから)から始まっています。漢字とかなの活字を用いて、原文テキストを掲載しているほか、勾玉など読者に馴染みのない事物については随時図版も盛り込んでいます。テキスト中にも重要な人名や事項については、漢字で表記し、その音読みを記した上で、内容について解説が必要とロニーが判断した箇所には、詳細な注釈をつけています。なお、本書は、内容から見ますと、「神代巻」第6段から第8段までを対象としているようですが、章立ては第7章から第9章となってしまっています。その理由については単なる誤植なのかどうか、あるいは何らかの意図があるのか、店主には判断がつきませんが、巻末に設けられている『日本書紀』「神代巻」の目次一覧を見てみますと、第1章から第5章までの記載に続いて、第6章を飛ばして、第7章から第9章までとなっていて、テキストと同じ章立てとなっていることが分かります。

 ロニーについては、日本語テキストの刊行や、国際東洋学者会議の開催などの研究がなされていますが、本書と1884年に刊行された前編の2巻からなる『日本書紀』「神代巻」の翻訳については、これまで日本学研究の視点からも、日本書紀研究の視点からも、あまり注目されていないように見受けられます。比較的分量の少ない論文を執筆することが多かったロニーの膨大な著作群の中でも、本書はかなり大部の著作に分類されることから、彼の主要著作の一つとみなすことが十分可能と思われる文献だけに、今後の研究が待たれる書物ではないかと思われます。



「『日本書紀』神代の巻の翻訳である。ロニーは『日本書紀』を「旧事記(旧事本記)、『古事記』と並ぶ「三部本書」のひとつで神道の聖典であるとの立場に立ち、漢字以前に日本にあったとされる神代文字はハングルと似ていることから、日本の古代人が朝鮮半島の人たちと意志の疎通ができ、神代文字で書くことに意義があったなどとする。」
(京都外国語大学付属図書館『フランス人による日本論の源流をたどって(展示目録)』2008年、42頁)

タイトルページ。漢字で「書紀」とあるほか、ロニーが好んで用いた自身の漢字表記名「羅尼」の記載も確認できる。
序文冒頭箇所。序文だけで110ページ以上という分量で、独立した研究論文と言える内容。
『日本書紀』成立と伝播、類書、注釈書などの書誌事項についても詳しく説明している。
テキスト冒頭箇所。原文を掲示した上で、訳文と注釈が続く。上掲は有名な「天の岩戸」の箇所
勾玉、などフランスの読者に馴染みのない事物についてはイラストも挿入している。
第8段、八岐大蛇
巻末には、補遺として「神代巻」全体の構成が掲載されている。
文献名も一覧できるようまとめて掲載されている。
上記末尾箇所。随所にちょっとした挿絵を盛り込むのはロニーの著作によく見られる。
比較的最近になって施されたと思われる青い厚紙装丁。紙の端部に傷みが見られるが、概ね良好と言える状態。